百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

一難去ってまた

2010-10-26 20:13:55 | Weblog

   10月26日  (火)  ①
          
平成17年1月1日より 2,157日目
                   歩いた歩数         その距離
          本日         11,567歩            8,097m
          総計  29,904,042歩  20,932,829m
パキスタン・アフガニスタン・イランを経てトルコのイスタンプールに向かう。後375,730m

  17日の事故以来、まだ一度も顔を見て挨拶もしてないので気がかりになって居たが、何としても足がない。幸い、今日パパがJROB会の旅行に出かけたので、パパの車を借りて見舞に行くことが出来た。

 堀之内に行くと、「今母は居りません。昨日日赤に入院しました・・・」という。飛び上るほど驚いた。容態が急変して入院したか?そんな重傷を知らずに見過ごしてきたのか?これは参った。申し訳ないと地団駄踏んだ。

 「お上がり下さい」というので、仔細を伺うべく妻と二人で居間にかしこまった。「実は、事故の方は打ち身でまだ痛みは治まらないのですが、この部屋で孫をあやしていて、転んで股関節を骨折してしまい、昨日の午後入院したんです」と。【直接交通事故とは関係ないんですから・・・】と注釈をつけて気遣われぬように言われたが、私の不注意で起こした事故が原因で体が痛み、それを庇っての怪我である以上、私の事故が元で起きたことには違いない。何とお詫び申し上げても許されるものではない。妻の姉妹の中で申し分のない人柄で私の最も慕っていた姉にこんな不始末をしてしまい、只々困惑するばかりだ。

 その足で、日赤へ駆けつけた。寝たきりで、目の辺り、右手全体が内出血で痣と七手なっており、肋骨にヒビが入って居て、それが痛み、起きて食事もままならぬため、おむすびで済ましてるという。骨折した股関節は28日に手術する、息子に「気をしっかり持って直ると信じて頑張れ」と言われている。大丈夫だと言われ、益々責任を感じた。

 帰り、駅前の寺沢に寄って、見舞の言葉を掛け、堀之内の日赤入院を知らせた。打ち身が痛むので湿布の貼り薬が欲しい、と言っていたが、笑顔で対応してくれた。気遣ってくれた気持ちが伝わって来て、私としては何ともお詫びの言葉にもならず、心苦しかった。家族の皆さんが温かくもてなしてくれたことが何より嬉しかった。

 


車 発注する

2010-10-25 16:34:00 | Weblog

  10月25日  (月)  ②
         
平成17年1月1日より 2,156日目
              歩いた歩数        その距離
         本日         18,807歩          13,165m
         総計  29,892,475歩  20,924,733m
パキスタン・アフガニスタン・イランを経てトルコのイスタンプールに向かう。後383,827m

  妻の乗る車を一日も早く購入しようと考え、盟友のYさんの息子さんに白羽の矢を立て,Yさんに相談したところ、直ぐに答えが返って来た。「希望価格は?」と言うので【100万円の範囲内】と答えた。そして値打ちものが出た。新車は200万だが、4ヶ月ほど乗ったので160万でお勧めしたいとのことだった。

 聞いたことのない名前なので、パソコンで検索するとその車があった。新車代金も載っていた。序にトヨタや日産の車も見た。軽4輪も見てみた。中古車を見て行くうちに「載せられない値打ちな車の情報がある。当方は修理した車は取り扱わない主義。知りたい方には本人に直接教えるという美味い話があった。

 クリックすると、メールで知らせるからアドレスを知らせて欲しいという。アドレスを送ると、今度は電話で、お宅に直接近々職員が訪問してお話をしたいという。

 若いセールスマンがやってきて、こちらの話を聞き、それをパソコンに打ち込むと、お宅の希望に添える車は手持ちで何百台ある。年式は?色は?型は?価格は?と希望を聞きながら絞って行った。

 妻は軽はいやだ。今までの型で良い。今83歳だから後何年も乗れない。安いほどイイ。色は汚れめの目立たないのがイイなどと注文した。それでも数台の車が残った。そして一台毎に車の各部を拾数枚の写真で紹介された。

 ここまで絞られて「では考えて置きます」とは言えなくなってしまい、その中からトヨタのカローラーを選んだ。私もYさんに相談した手前、後ろめたさはあったが、承知した。

 銀行で送金手続きをし、Yさんの息子さんに電話で報告をした。ドキドキしたが気持ちよく受け入れて呉れた。でも大いに恥ずかしい思いをした。

 

 

 


県下一

2010-10-24 16:57:46 | Weblog

 10月24日  (日) のち
          平成17年1月1日より 2,155日目
                    歩いた歩数        その距離
          本日          9,506歩           6,654m
          総計  29,873,668歩  20,911,568m
パキスタン・アフガニスタン・イランを経てトルコのイスタンプールに向かう。後396,991m

  今日は日曜日なのでいろいろな方の来訪を受けた。吉報は何と言っても盟友Yさんの奥さんが長野県マレットゴルフ大会で見事優勝したことだ。どんなことでもどんな小さなグループでも第一位になることは中々難しいことだ。ましてその単位が地区になり自治体にとなって行くうちにはライバルも増えて一位を確保して行くことは次第に厳しくなる。

 飯山市の選手選考会にはYさん夫妻は揃って入選、北信大会に出場、ここでYさんの奮闘は及ばず、北信代表に選ばれたのは奥さんの方だった。

 10月17日長野県の決勝大会は北信・東信・中信・南信の4地区から選抜された200名と前年の優秀選手によって飯山の競技場で争われることになった。

 私も嘗ては、マレットゴルフで趣味と健康の両立を願って、毎朝、会場往復は徒歩でのゴルフ場通いを重ね、記録の更新を願って努力したが、一度きり市の大会で3位入賞しただけで終わった経緯がある。或る時、寺の門前に、「下手がよい。下手でよい。下手が居らねば上手は居らぬ。一生懸命やればよい」という啓示を見て、悟った。

 毎年、雪解けの4月、【初打ち大会】があって、その後、全員で懇親会。大いに飲んで歓談。これが楽しみで参加していたが、その年、上位の皆さんの中で【ごまかした】「ごまかさない」で口論になった。上位を保つ為には人並ならぬ苦労が要ること、そしてルールを守ることが他人には厳しく、自分には甘くなる。これが争いの元のようだ。下手が居らねば上手は居らぬの啓示にも目覚め、私はマレットから足を洗った。

 Yさんの奥さんも町内の女性たちと常に切磋琢磨して腕を磨いてきたが、叶わぬ腕に焼き餅焼いて去って行った者も居る。そんな中での精進の精華、選抜された200余名の選手の中で、遂に県全選手の頂点に立ったのだ。ご苦労様!おめでとう!万歳!ばんざい!

 


ノルディックウォーキングで阿弥陀堂へ

2010-10-24 05:35:13 | Weblog

  10月23日  (土) 
          平成17年1月1日より 2,154日目
               歩いた歩数             その距離
          本日        20,54         5歩 14,382m
          総計  29,864,162歩  20,904,913m
パキスタン・アフガニスタン・イランを経てトルコのイスタンプールに向かう。後403,646m

 朝のウォーキングを端折って湯の入り荘のノルディックウォーキングクラブの「阿弥陀堂行」に参加した。会員のほか、地元の子どもたちも加わって総員30名程になった。会長から「今年最後のウォーキング、大変良い天候に恵まれて元気よく楽しいウォーキングになりますように・・・」と挨拶があり、準備体操も入念に張り切って出発した。 

 湯の入り荘から山道を下って行くと先導のOさんが「狸の糞がある。踏まないように!」と大きな声。神戸の大銀杏を右に見て村に入ると、「親子連れの熊が出た。気をつけて」と何人にも声を掛けられた。道々「これは熊が滑り落ちた跡だ」「これは熊が木に登ったときの爪の跡だ」「これは熊の寝床だ」などとOさんから詳しい説明があった。熊は木の上に小枝を集めて寝床を作って寝るのだという。これには驚いた。

  村中から道は急な坂となって、阿弥陀堂は近いとバカにしていたが、中々キツイ。このキツイ道を毎日子供たちが学校へ通って居るのだからスゴイ。ここには有名な石積みの棚田がある。あるというより、村の入り口から阿弥陀堂までの田はすべて棚田だ。村人の苦労が忍ばれる。

     IMG_0115

 疲れて中休みに、後ろを振り返ると、眼下に千曲川が流れ、田んぼが開け、その向うに飯山の町並みが見渡せる。Oさんは山並みを指さして、あれが妙高だ・あれが黒姫だ・・・などと説明してくれた。阿弥陀堂には自動車でやって来る観光客が次々と引きも切らずあるのには少々驚いた。

 阿弥陀堂の道の左側に大きな池があり、透明な水は村人の貴重な水源だという、その広場で昼食となる。時刻は11時半だったが疲れと空腹で久しぶりに「うまいお昼」となった。全員目標達成で楽しい団欒、眼下を眺め、西山の連山に手を翳し、高い山には紅葉も始まっていた。これらをカメラに収める人、子供たちは池の周りで魚を追い飛び跳ねていた。

 12時、Oさんの掛け終えで下山開始。下りは早い。湯の入り荘でクールダウン、解散1時15分。私は1時半の「デジカメ教室」で温泉に入る間もなく、講習を受ける。

 人物を撮るときは「その人の目にピントを合わせる」【被写体深度を調整する】【露出調整は必ずすること」構図では【黄金分割フレーム】を活用するなどを教わる。普段【easyモード】専門で証拠になるシーンさえ撮れさえすればイイとやっていた自分には目からウロコだ。よい勉強になった。

 

 

 

 


育英基金配分票来る

2010-10-22 17:16:44 | Weblog

 10月22日 (金) 
         平成17年1月1日より 2,153日目
                    歩いた歩数    その距離
          本日          14,638歩         10,247m
          総計  29,843,617歩  20,890,532m
パキスタン・アフガニスタン・イランを経てトルコのイスタンプールに向かう。後418,027m

  河北省承徳市の肖振嶺さんから電話が来た。元気の良い声だ。世情日中関係のムードは低調だが、私たちの友情は25年も連綿として結ばれていて深い。第一声が「先生のブログは毎日見ているよ。17日に先生が事故を起こしたことを知って驚いた。元気な声を聞いて安心した。18日に見たら事故の話は消えて無くなって居た。」と、言われて恐縮した。その事を知っているブロガーは少ない。私のブログをよく見て呉れていることを知って嬉しかった。

 次いで、承徳の外事弁から「送って頂いた育英基金の配分先の資料をFAXで送ると言った。私も待ちかねて何度か電話を掛けたがその都度、中国の電話局の交換手らしい女性が出て何か言うのだが、通じないので、諦めていた。それが肖さんから「電話とFAXが同じだネ。これからFAXを送るので電話に出ないで!」と言う知らせ。

 FAXは2枚で、育英基金は34名の生徒に配分されていた。送金した金額は22万円だが、円高が影響して17,162.64元となって一人500元宛配分されて勘定だ。一挙に給費生が3倍にもなって嬉しい限りだ。

 本来の契約では20万円が育英基金として配分され、2万円は私の里子と島崎さんの里子の分で区別すべきものだが、その区別が為されなかったことは残念なことだった。まだ里親制度が理解さてないのだろうか?

   戦略的互恵関係の進展という観点からも、両国国民の友好の増進のためにも、この育英基金活動を推進しなければならないと思うし、この基金活動を通じて、日中両国の児童の学芸品の交流等も計画して次世代への友好を図って行きたいものと願っている。