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道具やアトリエひこに限らず、実に様々な出会いを受けて今、自分はある。昭和三十五年に生まれ、育った大阪の街は、戦後の名残りから経済成長という流れが集積するエネルギーに溢れていた。子どもには、あらゆるものが新鮮で驚きの日々だった。路地裏、ヒーロー、新商品。それに年に2,3回訪れていた両親の里、彦根のはずれのよろず屋。藁葺き屋根、井戸、竈、五右衛門風呂、立派な仏壇と祖父の読経、ニワトリ、農業。その暮らしぶりに、幼いながら深いものを感じた。これらもずっと宝探しだったのかもしれません。
そんな下地の上に十歳頃に出会った仏像にも、強い影響を受けた。興福寺宝物館の大きな陳列ケースの中に、無著、世親が並んで少し高めに立っていた。これは何だ!とてつもない。高校を出たら仏師になろうとして反対され、ならばその思いを整理しようと社会福祉を学んだ。大学では、魅力のある人、力のある人、誠実な人に会う。己の幹の細さを痛感し、皆が進む福祉の現場に心から入りきれないまま、人物の彫刻へと進んだ。学童保育をしたり、道具にはまったり、現代美術での幸いなる出会いもあったり、勤めは注文家具作りをして二十数年になるが、ずっとものと暮らしの間を右往左往しながらきたように思う。
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