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心ある道具や造形物には、そうした心が宿っていることを感じさせてくれます。アトリエひこと出会えたのも、そういった流れの中でだと思えます。
アトリエひこは、戦後まもなく起こった福祉施設での造形活動の功労者の一人である西垣籌一(ちゅういち)氏の励ましを受け、始まりました。十八年続く活動の中で、その関わり方は柔軟に内省され、心休まる場となって存在していると思われます。そして私の彫刻の師、山本恪二(かくじ)も係わったところでした。大阪という厳しく雑多な街中で、慎ましく大切なことを育んでいきたいという心が感じられ、作品に正直にそれが現れているのを見ると、勇気づけられる。しかし障がいを背負いながら懸命に生きんとする命は、歴史の中ではどう扱われてきたのだろうか。隠され、打ち捨てられてきたのではないか。
彼らの生み出す作品には、人間が目を瞑ってきた大切なものが存る。社会が分業化、専門化し、人間の感覚が断片的、間接的に鈍くなり、生きるということと全てが分離して充足感が無く、お金の仕組みに縛られて、行き詰まりを感じてきているなか、その本質はここに残されている。それは「アート」という狭い領域を既に飛び越えている。生きることそのものと、造形、その他全てがひとつの姿になっているように思える。不安と喜び、苦も楽もひとつとなって、ただ生き抜く原点がそこにある。親子、スタッフの育ち合いの広がりの見事さ、ケアする者、される者という関係を超えた生かし合いの豊かさがある。私自身、アトリエひことの関わりの中で、理屈ではなくこれからの暮らしぶりの指針、可能性の光を見せてもらえたように思う。これこそがお宝である。
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