為政者が永年の失政の責任を取らない。取らないどころかそれが一度も執政の席に就いたことのない野党の責任であるかのように言い含め居直りを繰り返している。不支持率が70%を超える福田が偉そうに総理の椅子からものを言う。国家の運営を預かる霞ヶ関の官僚たちの傍若無人な横行ぶりは、一部発展途上国に於ける悪徳役人どもの跳梁跋扈に遜色を見ない。財界・ゼネコンはかかる政・官経由で我々の血税を吸い上げることに血道を上げ、利益を公共に還元するどころか「増税するなら海外へ逃げるぞ」と我々を脅しにかかっている。結果この国は800兆円の借金で首が回らなくなり、増税だ消費税だ医療費削減だ高齢者にも負担を増やせ福祉なんか削れ・・の大合唱である。「こんな国に誰がした?!」と若者たちは怒って当然、昔の若者たちは連日街頭へデモの嵐を見舞ったが、今の若者たちの怒りは内に籠って陰湿な変容を遂げ、それが外面に出るときは個人的なテロリズムに走る傾向が顕著である。曰く「世の中嫌になった」「人を殺したかった」「相手は誰でも良かった」・・刹那的凶行かと思えばいや逆に周到な(かどうか)準備をしていたりする。「どうせ人間一回は死ぬんだからいつ死んでも同じだ。自分だけで死ぬのは嫌だから他人も殺してやる」・・そういうことだろうか。『夕刊フジ』は『アキバオタクの凶行』と断定しているが私には現在の日本の状況は帝政ロシア末期の『攻撃的ニヒリズム』を想起させる。曰く『座して死を待たず』である。政・財・官の汚濁と腐敗が已まない限り、常軌を逸したかかる『個人的』事件は今後も続発し得る。この国は今『打ちこわし』『ええじゃないか』『徳政一揆』等々がいつ起きてもおかしくない客観情勢の筈であるが、そうはならない。何があっても唯々諾々と為政者に従う羊の群れとその一方に陰鬱に切れかかっている個々の暗い怨念があるのである。 . . . 本文を読む