本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

福島と永田町と・・。

2011-08-21 20:12:42 | 政治
放射能汚染はどこまで続くのか?東電が目に見える汚染水の浄化に明け暮れている間にも、あちこちで汚染の拡大が報告されている。国中どこの水がきれいでどこの草が安全だなどということは最早誰にも断言出来ない状況に陥り、メディアも「国を信じていた私が馬鹿だった」などという地元住民の憤懣を生で放映するようになった。国会はというと、福島原発のことなどどこかへ放り投げて、民主党の代表選へ向けて与野党ごったまぜの大騒ぎである。あちこちでにょきにょき立候補している「泡沫候補」たちは、何も本気で代表から総理になりたいなどとは思っていないように私には思われる。彼らがやっているパフォーマンスは、言わば来たるべき「解散~総選挙」へ向けての「合法的」事前運動なのである。彼らは自分の「議席」の心配をして代表選に立候補しているに過ぎない相変わらずの顔ぶれである。今をおいて他にそれが可能な時期はないからである。これは以前の自民党が得意としていた「総裁選全国キャラバン」と同工異曲の事前運動で、民主党が自民党から学んだ術策はこの程度のことでしかないのである。大騒ぎして自分と民主党の支持率が1ポイントでも上がれば御の字だろう。今行われているああだこうだの政策議論は「言っているだけ」「言ってみただけ」のもので、彼らはマニフェストも簡単にかなぐり捨てる連中だから、何を言おうともう誰も信用しない。じゃあ自公に戻るのかと言えば、私はそれも御免である。トランプゲームではないが、この際「政治家の総とっかえ」が必要ではないのか!? . . . 本文を読む

自転車は生活弱者の乗り物である。

2011-08-18 15:10:37 | 
平松は「放置自転車一掃」などとほざいて自転車ユーザーを目の仇にしているがこれは市職と一体の管理者的発想そのものであって自転車は生活弱者の乗り物なのである。日々の「足」として自転車を常用~愛用している我々は行く先々で自転車を「停める」が「放置」などしない。「放置」するのは府警が見逃している「自転車乗り逃げ」の窃盗常習者らだけである。警察も市職員も乗り逃げ犯と一般常用者との区別が出来ないから、たまたま彼らの規制にひっかかった運の悪い者だけが、強制停車させられなんだかんだと職務質問された挙句本署へ登録証の確認をされたり、定食屋で食事中「違法駐輪」の赤札を付けられたりするのである。「駐輪場を作れ!」と言えばまず最初に「月極め有料駐輪場」だけを作る。「必要なのは1日だけの臨時駐輪場だ!」と言えばほんの一部だけを臨時化する。無論有料でしかも条件は近郊の守口市や枚方市より数段厳しい。駐輪で金儲けしようとしているのか。大日イオンの駐輪場は3時間まで無料だし、枚方市営の駐輪場だって条件は大阪市より遥かに緩い。彼らにあるのは「排除」と「管理」の論理だけなのであって、逆に全く欠落しているのが世間一般の普通の「生活者の視点と視線」である。狭い道路は車と単車と自転車で満ち溢れていることは確かであるが、そんなに「乗り物」が邪魔ならそれらをお構いなしに連日売りまくる業界を規制すべきなのだ。買った方はその日から永劫「駐車場」「駐輪場」に悩まされ続ける。事情で車やバイクを使えない者にとって自転車ほど便利な乗り物=移動手段はない。環状線や地下鉄の一駅や二駅などお茶の子さいさい、私などのように時間はあっても金のない人間は、大阪から京都・枚方或いは反対方向に神戸までだって遠乗りすることもままある。それが出来るのも足腰がまだなんとか保つ間だけである。先日ふと話した老女などは「暑い中家に閉籠もっていても体が弱る一方だし、お弁当作ってお出掛けしたいが、(自転車はもう乗れないから)電車は満員だし食べる場所がない」と嘆いていた。大阪市内の公園や緑地は確かに弁当を食べるように整備されている場所は少ない。街へ出ればちょっと腰を降ろすにも金がかかる。「貧しい者はどこにも出ずに家の中でテレビでも見ていろ!」というのが市職と一体の平松の市政なのである。 . . . 本文を読む

国際問題。

2011-08-15 10:52:52 | 世界
領土問題や国境問題を殊更煽り立て国家間・民族間の対立を助長させるのは、古今東西の為政者たちの常套手段であるが、この下卑た煽動にまともに乗せられて他国・他民族に対する根拠無き憎悪・差別と蔑視・忌避感に易々と囚われてしまうのが、我々「そのへんの一般大衆」なのである。ま、こういうことを繰返しているうちは、我々人類はろくなことは出来ないし、ろくなものになれないだろう・・ということで、今日は最近私たちがドタバタで体験した小さなエピソードについて。w . . . 本文を読む

8月14日(日)のつぶやき

2011-08-15 01:46:23 | 絵本字本
00:52 from Tweet Button ブログを更新しました。『1.荒くれ者の酒場とか♪』http://t.co/ecdzP4l 01:03 from Tweet Button ブログを更新しました。『2.みわちゃ3号のお返し隊♪(in pico.)』http://t.co/EWGT2hL 10:27 from Tweet Button ブログを更新しました。『1.みわちゃ3号のお返 . . . 本文を読む

三千人デモ。

2011-08-15 00:44:53 | web・メディア
ここ本家に「遺伝子の乗り物」関連の記事を書き、いつものように某exciteブログにコピペしようとしたら、「!遺伝子の乗り物はセキュリティ上問題があっ て使えません!」と掲載を拒否された。こちらは学術上の用語と思っているので拒否される意味がわからなかった。あそことヤピログは万が一の事態に備えて(はあ?)保険をかけている ようなところなので、私にしてもブログの維持継続自体に大きな意味はない。そういう理不尽で意味不明な制約をかけて来るならこちらの方でお断りしたいと考えた。ブログを書くだけ でもなんだかんだ言われてしまうご時世ということだろうか。ひどい話である。それで思い出したが、楽天でも何年か前似たような事件があって、他所では何の問題 もない記事について、やれ「禁止ワード」だ、「セキュリティ」だと難癖を付けられたことがあった。当時楽天の三木谷社長は警察(検察?)関係者と親しい間柄にあるという噂があっ たので、警察OBか検察OBか知らないが、そっち方面から楽天に回されて来た人間が、何か目立つような仕事をしたくなって(!)手始めに私のブログを「規制」してみた のだろうと、そのときは思い、以後楽天ブログへの投稿は止めたという経緯がある。今でも楽天には日記更新メールをたまに返信するだけである。大阪地検な どは最近不祥事の連発で大分居心地が悪くなっている筈だから、今回のエキサイトブログの規制もその煽りを受けているのかも知れない。一般に検察だとか警察 だとかが基本を忘れ、我々一般市民に対して見込み違いの「やる気」を発揮するとろくなことはないのである。w・・というわけで今回に限ってはHTMLエディターに変更して、分家の記事をそっくりそのままコピーしてみた。w . . . 本文を読む

8月13日(土)のつぶやき

2011-08-14 01:47:07 | 絵本字本
09:15 from Tweet Button ブログを更新しました。『1.新着・コブラーズの『お返し隊』♪』http://t.co/AAN6hE2 09:21 from Tweet Button ブログを更新しました。『2.新着『二人でお出かけ』隊♪』http://t.co/DsQDAlL 09:33 from excite blog [exblog] 今年の今宮神社『宵戎』♪ http: . . . 本文を読む

利己的遺伝子。

2011-08-13 09:01:18 | 世界
「個々次々に生まれては死滅して行く我々生命の個体は実は《DNAの乗り物》に過ぎない」という理論が脚光を浴び、大騒ぎになったのはいつのことだったろうか。ちょっと気になって《DNAの乗り物》をグーグルで検索してみたが、新しいデータが上位にはなかったので、この理論の現状はどういう進展を見せているのかは私にはわからなかった。気にかかったのはどこかにあった「遺伝子が利己的だから我々個体も利己的で当然だ」という文面である。個々の生死にのみ拘っている限り「利己」「排他」からの脱却は凡そ望むべくもないから、この「自己への拘泥」=「利己からの脱却」こそが「未来」や「子孫の繁栄」への期待と熱望、或いは「宗教」や「神話」へと我々を一気に駆り立てる動機付けになっているとするものである。更に言えば、我が国は今近隣のロシアとも韓国とも中国とも『領土問題』を抱え込んでいる現況であるが、『国家』なるものが『利己的個人の集合体』に過ぎないものであるとしたならば、「『領土問題の平和的解決』などということが一体可能なことだろうか?」という疑いもまた容易に醸成されて来るのである。歴史は「領土は力のある方が取る」ものであることを示しているからである。個体の視点から世界を見る限り、我々は偶然この世に生を受け、或る日必然的に死んで行く。「死期を悟る」ことは個々可能であるとしても、自分が死ぬ瞬間を自分で決めることは自殺以外には不可能である。文学で言えば『死霊』の主人公・三輪与志は病床の兄高志に向かって「人間が自分の意思で出来ることは昔から二つしかありません」と断言して「自殺」と「子供を生まない」ことの二つを挙げている。作者の埴谷雄高は私生活でも夫人に何度も堕胎を強要し、夫人からはその度に「それなら何故あなたは私をお貰いになったのですか?」と詰られ続けたものだと生前自分で述懐していた。埴谷は「自分は亡き妻に対しては終始暴君=スターリニストとして振舞った」のだと自認していたのである。・・というわけで、世間は恒例『お盆休みの一斉休暇=民族大移動』の真っ只中であるから、私も人間の生死について少しだけ考えてみた。 . . . 本文を読む