・去年の夏も暑かったが、
今年、長徳四年(998)の夏も、
去年に劣らぬ暑さだった
それに去年より、
まだ悪いのは、
またもやはやり病がはびこり、
死人が京中におびただしく出たこと
今年のはやり病は、
いつものもがさ(天然痘)ではなく、
赤もがさ(麻疹、はしか)
というものだった
小さな赤いぶつぶつができて、
京中、
病まぬ人はないくらいだった
とうとう、
主上や中宮、女院まで罹病された
それぞれの寺では、
祈願の声が絶えるときがない
私の邸でも、
小雪がもらってきて、
やがて私もかかってしまった
その次、その次、に、
もらい病で邸中たおれてしまった
ところが不思議に、
かからないのが、
古女房の左近で、
「この病は、
いっぺんかかると、
二度とかからないので、
ございますよ
三十年ほど前に私は、
これをやったことがございました」
などという
左近は一人で、
忙しい目をしていたが、
中宮のお側の人々も、
たくさん里下りをして、
数少ない女房たちで、
てんてこまいだそうだ
中宮は十日ばかり、
臥せられたと聞くが、
入れ替わるように、
高二位の祖父君がこうじられた
伊周の君や隆家の君と共に、
中宮が父君代わりに、
心たのみしていられた、
母方の祖父君である
(男皇子をお生みあそばせ)
と中宮に熱っぽくすすめていられた、
二位どのであったが、
脩子内親王のご誕生を見られただけで、
それでも伊周の君や隆家の君が、
都へ帰られたのは、
お嬉しかったに違いない
これから・・・
という時だったから、
二位どのは心残りの、
最期だったろう
高二位の君を、
「食らえぬ爺さんだ」
とののしっていた則光は、
遠江の任地で、
この情報をどう聞くであろう
しかし則光からは、
うんともすんとも便りがない
冷たいというよりも、
そういう気働きが全くないのだ
それを思うと、
私は怒り狂う
そんな奴は捨てて当然で、
さっぱり別れてしまって、
よかったと思うし、
一面、
これで切れてすっきりした、
と思う
棟世はそれにくらべ、
薬を携えて来てくれたり、
食べものや布を運んでくれる
経房の君は、
早くにかかって軽く、
すましていられ、
見舞いに来て下さったが、
「主上もやっとご本復に、
なりましたが、
内裏はいま大さわぎですよ」
「そんなにたくさん、
赤もがさでやられなすったの」
「ええ、それもありますが、
大宰府からの知らせによりますと、
南蛮の異賊たちが、
南の島々をかすめているそうでして、
壱岐対馬から襲われたそうです
大宰府の使いが来ると、
ろくなことがありません」
しかし私にとっては、
壱岐対馬は遠い国だった
南蛮の賊よりも、
権中納言、平惟仲の邸に、
押し入った強盗たちのほうが、
怖かった
棟世の話によると、
はやり病で一家が、
臥しているのをいいことに、
大っぴらな強盗団が夜ごと、
京中を荒し廻っているという
棟世は女所帯の私の家を、
気遣って屈強の男たちを、
夜だけ寄こしてくれる
彼らは、
棟世の邸でしているように、
大桶に水を満々とたたえ、
(放火に対する用意)
弓矢を離さず、
端近の縁に寝て守ってくれる
私も左近たちも、
どれだけ心丈夫かしれない
夏の夜はどうかすると、
浮浪者たちが築地を乗り越えて、
庭の隅や縁の下に入り込んで、
眠ったり、すきがあると、
家の中をのぞいてかすめたりする
今にはじまったことではないが、
京は物騒な町で、
その中でもことに、
夏は危険な季節である
はやり病で、
絶望的になっている民集たちは、
常識で考えられない暴れ方をする
私が御所に上がっている、
女房だということなんか、
気にもとめず、
何をするかしれはしない
そういう警戒心と恐怖があって、
つねに心の底でびくびくしている、
私にとって壱岐対馬の南蛮の賊は、
遠いことで、それよりもまず、
京の治安のほうが怖かった
それよりも、
もっと気になっているのは、
このあいだ「有明」
と名づけられた私の短い物語が、
どうして伊周の君のお手に、
入ったかということである
「あれはあなた、
経房の君でしょう、
お持ち出しになったのは
『春はあけぼの草子』から、
抜き出されたのじゃありません?」
経房の君は、
御簾の向こうで、
「あははは・・・」
と大笑いされる
「申し訳ない、
あまりに美しい短編だったので」
「どうやって、
お抜きになったの、
原稿はちゃんとありますのに」
「そっと抜いて、
筆写させ、
またそっと戻しておきました
これ、この通り、
お詫びいます
おそばへ寄ってお詫びしないと、
念が届きません
近寄っていいですか?」
「いけません
もがさがうつりますわよ」
「しかしこちらからは、
お姿が見えません」
「わたくしからは、
よく見えておりますから
ひどいじゃありませんか、
未完成のものを、
わたくしに断りもなく」
「だからお詫びしているじゃ、
ありませんか
実はそっと拝見して、
そっと戻すつもりだった
しかしあんまり楽しいので、
私一人で見るのは勿体なくなり、
伊周の君にお見せしたい欲が、
抑えきれませんでね」
「そんな」
といったが、
私の口調には、
怒りがなくなって、
好奇心と期待が生まれている
「で、大臣(伊周の君)は、
どうおっしゃって?」
「こりゃあいい、って
今までこういう清新な、
描写の物語を見たことがない、
この男や女、
どうなるんだろうって、
大いに興がっていられました
『宇津保』や『竹取』の、
古めかしいお伽話でもなし、
『落窪』のように下品な、
大衆小説でもなし、
『蜻蛉』のように、
息つまる手記でもなし、
こんな出だしははじめてだって」
「出だしとおっしゃっても、
物語はあれきりですわ」
(次回へ)