むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「22」 ③

2024年12月09日 08時57分09秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・「病は」

「脚気」

これも身分高き人の、
悩むにふさわしい病である

また、もっと上品なのに、

「歯痛」

これこそ趣があってよい

歯痛を病む人は、
若くて美しい人がよい

「十八、九ぐらいの、
若い美しい女だった

髪の美しい長いのが、
裾にひろがり流れている

歯を病んで、
女は涙に額髪をぬらしている

髪がそのおもてに、
乱れかかるが、
女はそれどころではなく、
顔を赤らめ、
涙ぐみつつ、
痛む歯を手で押さえている」

なんて実に風趣がある

こう書いてくると、
私の筆は抑えようもなく、
弾んで動いてしまう

ほとばしる興趣のままに、
情景描写を楽しむ

「八月のころだった
白い単衣の柔かなのに、
袴、その上に紫苑重ねのうちぎの、
品のいいのをひきかけて、
女は胸を病んでいた

女の友達などが見舞いにくる
邸には若い公達の見舞客も数人、
部屋へ入れず、
庭や簀子の縁にいて、
見舞っている

その公達の中に、
病む女の愛人がひそかに、
まぎれこんでいて、

『いけませんなあ・・・
ふだんでも、
こんなことがよく、
起こられるのですか』

とさりげなく言いながら、
心からかわいそうに思い、
心配しているさまが仄見える、
それもいい

女は美しい髪を、
乱れぬよう引き結んで、
にわかに起き上がったりし、

『吐き気がするの・・・』

と訴えるのも可憐なさまだった

この女がお仕えする、
やんごとないあたりでも、
病のことをきこし召して、
御読経の僧の声のいいのを、
おつかわしになる

僧は病床近くに、
几帳を引き寄せて坐っている

広くもない場所なので、
ひっきりなしに見舞いの女たちが、
来るのがまる見えになっている

高貴な女房たちばかりなので、
とりどりに美しく、
あでやかである

僧は思わず目を奪われ、
よそ見しつつ読経する

仏の罰をこうむりそうな、
ありさまである」

そういう女の情緒にくらべ、
私の男の好みは、
ほどよきほどにうちとけ、
かたくるしくなく、
すっきりした男である

身分高き、
若き公達である

「色好みと、
色好みでない男、
と二つの型で考えると、
男は、色好みなほうがいい

あちこちに通う女を、
数多く持っている、
という男

ゆうべはどこの女のもとに、
泊まっていたのやら、
暁に帰ってそのまま、
寝もやらで起きている

眠たげなさまであるものの、
硯を取り寄せ、
墨をすりおろして、
念入りに後朝の文を書く

念入りにといっても、
それをもらった方は、
走り書きにさりげなく、
筆を取った、
という風に見えるよう、
心を尽くして書く

男は白い衣の上に、
山吹や紅の衣を重ねている

白い単衣の袖が、
萎れているのは、
昨夜の涙のせいだろうか、
夜の口説を思い出しつつ、
文を書くらしい

やがて書き終わると、
控えている女房に渡さず、
わざわざ立って、
小舎人童や随身などを呼び寄せ、
小声であて先を言い含めて、
手紙を手渡す

使いが出てゆくと、
男はそのあとを、
しばらくぼんやり眺めている

経などを忍びやかに口ずさみ、
呆然としているところへ、
建物の奥から、
朝食や手水の支度ができました、
と促す

男は奥の間へ入るが、
女の返事が来るまでは、
心もそらの様子である

さて、顔を洗い、
口をゆすいで、
直衣を着、
朝の勤行として、
法華経の六の巻を読みあげるが、
かんじんの有難い個所まで、
来たところで、
もう女への使いが戻って来た

してみると、
恋人の家は遠くない所らしい

使いは男にしきりに、
目くばせしている
女の返事を携えて来たのか

男は読経をやめ、
女の返事に心奪われてしまい、
読経どころではなくなる

何という罰当りなこと、
これも仏さまの罰を、
こうむるに違いない・・・」

私は歯痛に悩む女や、
朝帰りの男の風情を、
実際、
よく知っているのではないが、
何となく目の前に見る気がして、
いくらでも書けるのであった

また、
朝帰りの男にくらべ、
夜、男を迎える女の、
たたずまいと心理

「南向きの廂の板の間
顔がうつるほどつやつやと、
拭き込んだ板の間に、
ま新しい畳をおいてある

向こうに三尺の几帳の、
帷子も涼し気なのを置き、
女主人は畳に臥している

白い生絹の単衣に、
紅の袴、

ひきかぶっている夜具は、
濃い紅の衣で、
まだ着萎えていない、
しゃっきりしたもの

釣灯籠には灯が入っている

そこから柱を二間ほどおいた所に、
簾をあげて女房二人ばかり、
それに女童がいる

長押に寄りかかったり、
また下ろした簾に寄りそうように、
臥している

男が来たのは、
宵もすぎたころだった

忍びやかに門を叩く

事情を知る女房が、
心得顔にそっと男を迎える

それも気をつかって、
男を人目から隠すように、
ひそかに招き入れる

その情趣がまたいい

男と女あるじは、
何をひめやかに話すのか、
二人の間には音色のいい、
琵琶がある

男は話の合間に、
音を立てぬようにして、
手なぐさみに、
爪弾きしたりして、
話の伴奏をする

それが仄かに聞こえるのも、
大人の恋の道らしく、
情感があっていい」

実際、
私は則光を迎えたことも、
棟世を迎えたこともあった

けれども、
ここに書いた、
濃い紅の衣をかずいて、
眠る女は私であって私でない

再構築した現実の中の女だった

私はその情景の中の女に、
我ながら恋している

恋は私にあっては、
恋するための恋、
というところがある

こういう瞬景が、
中宮のお気に召すものやら、
どうやら

しかしあるいは中宮か、
そのほかの読者かが、
私好みの情景に共感して、
そこから物語の糸を、
紡いでくれるかもしれない

おお、そうだ・・・
かの学者詩人、
藤原為時の娘、
名は何というのか知らぬが、
宣考と結婚した、
あの物語好きの、
「うつせみ」の作者、
あの女の物語作りは、
若い公達を主人公に据えていたが
あるいは、
それにからませて、
また何かの物語を思いつくことが、
あるかもしれぬ

ともあれ、
こういう楽しみをみつけた以上、
私は則光の手紙で、
ひきおこされた不快と混乱を、
忘れることができる






          


(次回へ)

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