むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「22」 ⑥

2024年12月12日 09時10分42秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・棟世には、
年ごろの娘が一人いるが、
まだ婿は決めてないらしかった

男の子はいない

「いたら煩悩苦悩のもとだ」

といっていた

彼は則光とちがい、
私が宮中であったことを話すと、
非常に興味を示す

そうして反応の質が、
私によく似ていて、
その点からもしっくりと、
気の合う話し相手だった

彼が私に反ぱくしたのはただ一度、
私が方弘(まさひろ)の、
悪口をいった時だけである

いつもへまばかりやる方弘は、
私たち女房や女官の嗤われ者で、

「親の顔が見たい」

といわれていたが、
棟世によると、

「なに、
ああみえて、
結構抜け目なく、
立ちまわっているんだ
ああいうのに限って、
油断ならず小まめに動いて、
出世したりするんだ
彼だって必死かもしれない
男は女とちがって、
出世に命を賭けているから
嗤い者にしたりして、
彼の怨みを買うことはない
人には憎まれないほうがいい
ほんというと目立たないことも、
大切なのだが、
あなたに目立つな、
といっても無理だろう」

などとたしなめる

五十男に、
おちついた口調で、
諄々とたしなめられると、
則光にいわれたら、
むかっとくる私が、

「そうね」

とうなずけるのであった

それだけでも、
人生の展望がひらけた思いである

どんなに好もしい殿方でも、
今までの私なら、
張り合う気があったのだが、
棟世に向かうと、
角も棘もおのずとひっこんでしまう

それに、
棟世と会わないでいても、
それはそれで気持の平衡を、
失わないでいられるのが、
よかった

いらいらと気を揉むこともなく、
かといって、

「来る」

という連絡があると、
嬉しかった

私はそういう関係を、
気に入っている

それに正直なところ、
棟世のもたらしてくれる、
物質的援助が、
私の心身を安定させてくれた

なぜ、といって、
伊周の君のご帰京以来、
われわれ女房のいただく、
お手当てもやっと以前のように、
滞りなく頂戴できるように、
なったものの、
それまでの中宮のご逆境の折は、
途切れがちで実に不安定だった

親もとの、
しっかりしている人はいいが、
一人暮らしの女たちは、
内心、不安と動揺を抑えきれなかった

そういう心配も、
棟世があらわれてから、
薄れてしまった

将来のことは将来のこと、
今から思い煩ったとて、
どうなるものでもないのだし

安定したせいか、
このごろはいっそう、
宮仕えが楽しくなる

そういえばおかしいものに、
例の乞食尼がいる、

いつぞやあつかましく、
御曹司にまで紛れこんで、
仏さまのお下がりをねだった

その尼が、
くせになって始終、
うろうろとやって来るらしい

「常陸のすけと寝よかいな」

などと怪しげな流行り歌を、
唄ったものだから、
皆が、

「常陸のすけ」

とあだなをつけている

あの時、
中宮の仰せで、
巻絹をやったはずなのに、
いまだに衣は汚れ煤けたままで、

「まあ、
あの絹はどこへやったんでしょう」

とみなはおかしがったり、
小憎らしく思ったりした

このあたり、
紛れこみやすいのか、
このあつかましい乞食尼のほかに、
もう一人、
これは上品にやさしげな尼が来て、
物を乞うのであった

好奇心の強い若い女房たちが、
退屈しのぎに呼び寄せて、
身の上などを問うと、
尼は涙をこぼして恥入り、
あわれな様子だった

巻絹一反をとらせると、
伏し拝んで頂く

おとなしやかに、
くり返しくり返し礼をのべ、
嬉し気に立ち去ったが、
そのさまを、
常陸のすけが見ていた

そうしてさもあてつけらしく、
声を張って詠みあげる

<うらやまし足もひかれずわたつ海の
いかなる人に物たまふらむ>

それを二度、
聞けよがしに詠むので、
御簾のうちの女房たちが、
笑うこと笑うこと

乞食尼はさぞかし、

(でかした
即興の面白さを賞でて、
これをとらせよう)

という声でもかかり、
何かもらえると期待している

得意顔で歩きまわり、
ずうっとのぞきこみ、
いつまでも去らないでいる

「いやだ、
あの憎らしい得意顔」

「あれ、
『伊勢』の小町の歌を、
本歌にしているつもりじゃない?」

「あれで小町のつもりかしら」

「小町のなれのはて・・・」

「というよりは、
少納言さんの将来の姿では、
ないかしら、
あの当意即妙の才はじけた、
ところなんかそっくりよ」

というのは、
いうことに険のある右衛門の君

「よしてよ」

と私がいったので、
みないっそう笑い崩れ、
常陸のすけはたまりかねたらしく、

「どうか、
お下がりを私めに、
下されませ」

としまいにむきつけに、
催促する

「あたし、
あんなに図々しくなれないわ」

と私がいったものだから、
また大笑いだった

経房の君が、
たまたま来合わせていらして、

「見苦しい、追え」

と侍たちにいいつけられる

あとで常陸のすけのことを、
聞かれて、

「おやおや、
皆さんのお気に入りの、
お出入り芸人でしたか
『男山のもみじ葉』
の唄をぜひ習い取りたかった」

と大笑いされる

今年、長徳四年の冬は、
いいことずくめだった

私と棟世のことだけでなく、
中宮のご身辺もそうだった

脩子内親王さまは、
十二月に袴着のお式があり、
年が明ければ中宮は喪もあけて、
晴れて内裏へお戻りになる

今年はもがさが流行ったり、
賀茂川の堤が決壊したり、
不景気なことが続いたせいか、
新しい年になれば、
年号も変るという噂だった

何より主上と中宮が、
またご一緒にお暮しになって、
水も洩らさぬ仲となられるのが、
めでたい

私たちも、
再び登華殿の、
細殿暮らしに入ると思うと、
楽しかった






          


(次回へ)

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