むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「24」 ①

2024年12月19日 09時02分00秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・彰子姫のご入内は、
迫っているらしい

二月九日の御裳着の式の、
盛んだったことは、
人の噂や兵部のおもとの便りや、
また経房の君から、
私は聞いたのだが、
御裳着の式に引き続いて、
ご入内があるだろう、
というのはみんなの推測だった

裳着の式をすませられ、
おとなの装いをされた彰子姫は、
十二歳とも思えず、
美しくととのった貴婦人で、
いらっしゃるという

お髪もお丈より四、五寸も余り、
幼稚なところはなく、
しっとりと落ち着いていらして、
品位も威厳もおありになり、
すでにお后と申しあげるに、
ふさわしい姫君でいられるそうな

左大臣・道長の君も、
北の方・倫子の上も、
ご長女の姫の成人ぶりに、
とてもご満足で、
かつ鼻高々のご自慢で、
いらっしゃるそうである

むりもない、
待ちに待たれた姫君の、
ご成人なのだから

私たちの間では、
いろんな噂が流れてきた

ご入内のおびただしいお支度、
調度や衣装の豪華さ、
おつきの女房たちの人選やら

「それにしても・・・」

と誰かがそっと洩らす

「十二歳というおとしでは、
何といったって・・・」

「そう
どんなにお美しくても、
まだ子供じゃないの?」

「ほんとうに、
一人前におなりになるのは、
まだ四、五年さき・・・」

「そんな負け目で、
お支度にうんとお金をかけられる、
ってところかしら」

そんなささやきが洩れる

そして私は、といえば、
彰子姫やそのお調度類に対し、
とても興味があるのだ

それにもともと、
左大臣・道長の君に、
昔から親近感があるからだろう

そのため、
周りの人々のいうことに、
同意して悪口をいう気になれない

だからといって、
定子中宮に対し、
その心寄せ、忠誠心が、
薄れるというのでは、
断じてない

それとこれは別である

ほかの女御がたが、
入内されたときと違い、
彰子姫には敵愾心がもてない、
しかし、中宮のおんためには、
不安なのだけれど、
だからといって、
彰子姫を憎む気にはなれない

このあやふやな、
迷い多い気持ち

それをどう人に説明できようか

思えばもう十年ほど昔、
知り合いの兵部のおもとに、
こっそりと土御門のお邸に、
連れていってもらい、
そのころ、
生まれられたばかりの彰子姫が、
やがてはお后がねと、
大事に育てられていらっしゃる、
ことなど仄かに聞いたものだった

私はむろんその頃はまだ、
宮仕えに出ていない

何となく、
鬱屈した気分をもてあましている、
普通の主婦だった

則光と暮らして、
ことに不満もなく、
といって幸福ともいえぬ、
平凡な日々を送っていた

だからよけい、
きらびやかな権門のお邸に、
あこがれたのかもしれない

まだ道長の君は、
権中納言でいられたが、
そのお邸は活気があって、
陽気な家風だった

そういう家で、
可愛がられてお育ちになる姫は、
どんなふうにご成人に、
なるのだろうと、
私は心寄せ、
あれこれ思い描いていた

その方がようやくに、
稚い貴婦人として、
世に出られた

(あれから十年も、
たったのかしら・・・)

と自分の身の上と思い合せ、
彰子姫に親近感を覚えるのは、
どうしようもないことである

右衛門の君や小弁・小兵衛といた、
若い人たちはそれぞれ、
いまから彰子姫と、
その取り巻きの女房たちに、
敵意を抱いているようであるが、
私はその話が出ると、
何気なく席を立ってしまう

人に気付かれぬように

実をいうと、
兵部のおもとは、
このあいだ三条の自邸へ、
私を訪れて来て、
こんなことをいうのである

「北の方がおっしゃいましたのよ
いま世にいわれる、『清少納言』、
中宮さまにお仕えしている方で、
なければ、
ぜひこちらへ来て頂くのにねえ、って
あの歌人、清原元輔の娘、
ということで、
なみなみならぬ関心を、
お持ちでいらっしゃいましたのに」

と兵部の君は、
残念そうにいい、

「さりとて、
中宮さまに、
お仕えしていられる方を、
横からむりに、
ということもできませんしねえ」

なぜそんなことをいうか、
というと、
ただいま左大臣家では、
彰子姫づきの女房や女童の、
人選に大わらわで、
自薦他薦おびただしい人数が、
ひしめき集まっているそうな

彰子姫は他の女御がたや、
中宮に比べると、
いちばんおくれて入内される

だから、
後宮の先輩たちに、
見劣りせぬよう、
お付きの女房たちも、
ひときわ才色兼備の婦人を、
選りすぐらねばならぬ

その数も十人、二十人ではない
四、五十人の女房を従えて、
入内されるわけだから、
これは、と思う才媛で、
しかも家柄身分才能の、
栄誉ある人々を、
厳選されるそうだ

名だたる歌詠みと指を折られる人、
美貌で有名な人、
それらを洩れなく、
彰子姫への宮仕えを、
すすめる手はのびているそうで、
あった

左大臣家では、

「元輔の娘を、
誘うことが出来ぬならば、
あの女に負けないような、
才気ある人を女房に加え、
彰子姫の後宮を光輝あらしめたい」

といっていられるそうだ

兵部のおもとは、
それを私に伝えて、
残念そうにいうのだが、
私はむろん、
中宮以外に心が動くはずもない

父の元輔に、
いまも歌人としての敬意を、
払ってくださる、そのうれしさ

感激屋の私は、
左大臣どのにも北の方にも、

(ありがとうございます
亡き父もさぞ喜んで、
いることでございましょう)

と思いを通わせてしまう

二月九日の御裳着の式は、
盛大な宴だった、
ということだが、
こんどの入内はそれを上回る、
さわぎになりそうだ、
と経房の君はいわれる






          


(次回へ)

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