・赤ちゃんにテレビを見せる可否が、
いま論じられているが、私はもちろん、
ママの肉声がいいに決まってる、と思う。
機械より生身、
モノよりナマの人間。
キカイから流れてくる音声、
いかに快い音楽、美声の語りかけであろうと、
それよりも、ガラガラ声のお父さん、
荒っぽい言葉づかいのお母さんのほうが、
ずっといいのは情があるから。
ナマの手ざわり、
ナマの息がかかること、
赤ちゃんは全身で、
肌ぜんぶの雰囲気で感じ取る。
それは(みんなこっち向いてる!)
という感じではなかろうか。
ママやパパ、まわりの大人がみな見てる、
エーテルが赤ちゃんを包み込む。
赤ちゃんなりに、
<あたしのことをみんな、関心持ってくれてる>
と満足するのだろう。
いかに精巧なキカイであろうとも、
(こっち向いてる)と感じられる電波は出せない。
ことに(ナマ)の力は人間の(てのひら)であろう。
(てのひら)にはすごい霊力があり、
医療のことを(手当て)というのは、
太古、人々は医療の方途を持たないとき、
親が心をこめて手でさするのが唯一の治療法だった。
それで治癒することもあった。
という話を少女のとき先生に聞き、
みんな目を輝かせて、ふしぎね、面白いね、
と言い合って、それっきり忘れてしまったけど、
このトシになっては思いださざるを得ない。
生の霊(くす)しき力は、
現代人にはかなり薄れているだろうけど、
なんといっても波動というものはある。
お化粧でもそうだ。
カット綿やスポンジで、
化粧品をつけたり拭いたりするよりは、
てのひらや指先で直接、肌に触れるのがいい。
ナマのまごころ、
ナマの愛情。
メールやワープロより、
読みにくくても私信は肉筆のほうが。
そして究極はそばに来て、
肉声を聞かせてくれるほうが、
人間の精神を安らげてくれるのだろう。
しかしナマはまた、
真実を告げることでもある。
電話ではごまかされても、
肉声を聞き、肉眼で見ると、
調子いい人はすぐわかるものである。
某日、私は旅先でタクシーに乗った。
わりに長距離になる。
運転手さんは四十過ぎくらいの気のよさそうな、
いい兄ちゃんだった。
私にとって男性は、
八十歳ぐらいまではみな(兄ちゃん)だ。
それ以上は百歳まで、(おっちゃん)だ。
<大丈夫ですか、
ちょっと山道、カーブ多いけど>
と兄ちゃんはいった。
<おばあちゃん、車酔いしない?大丈夫?>
おばあちゃんとは誰ぞ!
ミド嬢は知らん顔している。
じゃ~、あたしのことか?
生まれてはじめて、
おばあちゃんと呼ばれたぞっ。
少しショックだった。
しかし、これこそナマの声、
天の声というべきにやあらん、
と思ってしまった。
(次回へ)
WBC、準決勝メキシコ戦は、
劇的大逆転で日本が勝利しました。
今朝は決勝戦、アメリカ戦、真っ最中。
どうなりますか