むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

35、ナマ

2023年03月22日 08時43分12秒 | 「なにわの夕なぎ」










・赤ちゃんにテレビを見せる可否が、
いま論じられているが、私はもちろん、
ママの肉声がいいに決まってる、と思う。

機械より生身、
モノよりナマの人間。

キカイから流れてくる音声、
いかに快い音楽、美声の語りかけであろうと、
それよりも、ガラガラ声のお父さん、
荒っぽい言葉づかいのお母さんのほうが、
ずっといいのは情があるから。

ナマの手ざわり、
ナマの息がかかること、
赤ちゃんは全身で、
肌ぜんぶの雰囲気で感じ取る。

それは(みんなこっち向いてる!)
という感じではなかろうか。

ママやパパ、まわりの大人がみな見てる、
エーテルが赤ちゃんを包み込む。

赤ちゃんなりに、

<あたしのことをみんな、関心持ってくれてる>

と満足するのだろう。

いかに精巧なキカイであろうとも、
(こっち向いてる)と感じられる電波は出せない。

ことに(ナマ)の力は人間の(てのひら)であろう。
(てのひら)にはすごい霊力があり、
医療のことを(手当て)というのは、
太古、人々は医療の方途を持たないとき、
親が心をこめて手でさするのが唯一の治療法だった。

それで治癒することもあった。

という話を少女のとき先生に聞き、
みんな目を輝かせて、ふしぎね、面白いね、
と言い合って、それっきり忘れてしまったけど、
このトシになっては思いださざるを得ない。

生の霊(くす)しき力は、
現代人にはかなり薄れているだろうけど、
なんといっても波動というものはある。

お化粧でもそうだ。

カット綿やスポンジで、
化粧品をつけたり拭いたりするよりは、
てのひらや指先で直接、肌に触れるのがいい。

ナマのまごころ、
ナマの愛情。

メールやワープロより、
読みにくくても私信は肉筆のほうが。

そして究極はそばに来て、
肉声を聞かせてくれるほうが、
人間の精神を安らげてくれるのだろう。

しかしナマはまた、
真実を告げることでもある。

電話ではごまかされても、
肉声を聞き、肉眼で見ると、
調子いい人はすぐわかるものである。

某日、私は旅先でタクシーに乗った。
わりに長距離になる。

運転手さんは四十過ぎくらいの気のよさそうな、
いい兄ちゃんだった。

私にとって男性は、
八十歳ぐらいまではみな(兄ちゃん)だ。

それ以上は百歳まで、(おっちゃん)だ。

<大丈夫ですか、
ちょっと山道、カーブ多いけど>

と兄ちゃんはいった。

<おばあちゃん、車酔いしない?大丈夫?>

おばあちゃんとは誰ぞ!
ミド嬢は知らん顔している。

じゃ~、あたしのことか?

生まれてはじめて、
おばあちゃんと呼ばれたぞっ。

少しショックだった。

しかし、これこそナマの声、
天の声というべきにやあらん、
と思ってしまった。






          


(次回へ)

WBC、準決勝メキシコ戦は、
劇的大逆転で日本が勝利しました。
今朝は決勝戦、アメリカ戦、真っ最中。
どうなりますか

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 34、コンニャク | トップ | 36、いづれも老いて »
最新の画像もっと見る

「なにわの夕なぎ」」カテゴリの最新記事