むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

39、五センチ

2023年03月26日 07時34分14秒 | 「なにわの夕なぎ」










・私にいわせれば、
モノをいうのは犬ばかりではない。

わが家のぬいぐるみはもちろん、
コップも時計も、家財道具一切、みなモノをいう。

それも私をほめそやしたり、
この家の居心地がいいとて満足感謝、
という殊勝な発言は全くない。

みな不平不満、苦情や不足、
嫌味ばかりであるところに特徴がある。

それは私自身の体でもそうだ。

私は右足を右丸、左足を左丸、と名づけて、
会話を楽しんでいるが、最近、
右丸の機嫌が悪くなった。

<ワイばっかりエライ目ェにあう。
膝がどうも具合悪うて痛うてなりまへん。
ちょっと左丸もがんばるように、
ハッパかけとくなはれ。
甘やかしはあかん>

右丸のおっさんは浪花の働き人らしく、
達者な巻き舌の大阪弁である。

対する左丸も、
年は若いが口達者なやつ。

<ぼくはそもそも、
先天性股関節脱臼やよって、
自慢やないが、右丸のおっさんより五センチ短いねん。
今までようがんばってきたとほめられこそすれ、
文句いわれる筋合いはない。
おっさんの膝に文句いわんかい>

たしかに、双方の言い分尤もである。

左丸を庇うため、右丸を酷使してきたのも事実。
必然的に体の重みが右丸の膝にかかる。

長道を歩くのに不便になり、
この際、障害者手帳を申請しようと思いたった。

<えっ、オマエ、今までもろとらへんかったんか>

と友人たちは驚く。

<いや、自分で自分のことが出来る人は、
もらえないのかと思ってた>よ私。

何しろ、四十代は阿波踊り踊ってたくらいだもの。

友人たちは健常者だから、
そのあたりの事情に暗い。

ついに右丸の膝が音をあげて、
はじめて私は障害を自分で認める仕儀に至った次第。

申請書類に記入していただくため、病院へいった。
整形外科の先生に診ていただく。

レントゲン写真で、左丸の股関節を、じっくり見た。
いや、これは左丸がプーたれるはず。

右丸の膝も変形している。
右丸が悲鳴をあげるはず。

<膝は手術できます。一ヶ月の入院かな。
左の股関節はちょっとむつかしいかもしれないけど、
まったく不可能、というわけでもない。
この頃、手術も進歩してます>と先生。

つまり、私がその気になれば、
右丸・左丸ともに文句を言わせぬ道もある。

と、示唆して下さったわけで、
先生は、<足の長さはどれくらい違うのかなあ>

<五センチです>

先生は測られて、

<ほんま、五センチや!>

なぜか感嘆のひびきがあった。

左丸・右丸の今までの苦労を、
ねぎらわれたのかもしれない。

書類を頂いて地下の食堂で、
ラーメンを食べて帰宅。

右丸・左丸とも、私が手術を施して、
健常になれるかどうか、賭けてるあんばい。

死んだ夫(おっちゃん)は、私の足につき、

<酒飲むのになんの不都合もないやないか>

と言い捨てた。

それに人生は<だましだまし保ってゆく>、
自由もあるしなあ・・・






          


(次回へ)

写真は、プランター栽培のいちごの花です。

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