・私にいわせれば、
モノをいうのは犬ばかりではない。
わが家のぬいぐるみはもちろん、
コップも時計も、家財道具一切、みなモノをいう。
それも私をほめそやしたり、
この家の居心地がいいとて満足感謝、
という殊勝な発言は全くない。
みな不平不満、苦情や不足、
嫌味ばかりであるところに特徴がある。
それは私自身の体でもそうだ。
私は右足を右丸、左足を左丸、と名づけて、
会話を楽しんでいるが、最近、
右丸の機嫌が悪くなった。
<ワイばっかりエライ目ェにあう。
膝がどうも具合悪うて痛うてなりまへん。
ちょっと左丸もがんばるように、
ハッパかけとくなはれ。
甘やかしはあかん>
右丸のおっさんは浪花の働き人らしく、
達者な巻き舌の大阪弁である。
対する左丸も、
年は若いが口達者なやつ。
<ぼくはそもそも、
先天性股関節脱臼やよって、
自慢やないが、右丸のおっさんより五センチ短いねん。
今までようがんばってきたとほめられこそすれ、
文句いわれる筋合いはない。
おっさんの膝に文句いわんかい>
たしかに、双方の言い分尤もである。
左丸を庇うため、右丸を酷使してきたのも事実。
必然的に体の重みが右丸の膝にかかる。
長道を歩くのに不便になり、
この際、障害者手帳を申請しようと思いたった。
<えっ、オマエ、今までもろとらへんかったんか>
と友人たちは驚く。
<いや、自分で自分のことが出来る人は、
もらえないのかと思ってた>よ私。
何しろ、四十代は阿波踊り踊ってたくらいだもの。
友人たちは健常者だから、
そのあたりの事情に暗い。
ついに右丸の膝が音をあげて、
はじめて私は障害を自分で認める仕儀に至った次第。
申請書類に記入していただくため、病院へいった。
整形外科の先生に診ていただく。
レントゲン写真で、左丸の股関節を、じっくり見た。
いや、これは左丸がプーたれるはず。
右丸の膝も変形している。
右丸が悲鳴をあげるはず。
<膝は手術できます。一ヶ月の入院かな。
左の股関節はちょっとむつかしいかもしれないけど、
まったく不可能、というわけでもない。
この頃、手術も進歩してます>と先生。
つまり、私がその気になれば、
右丸・左丸ともに文句を言わせぬ道もある。
と、示唆して下さったわけで、
先生は、<足の長さはどれくらい違うのかなあ>
<五センチです>
先生は測られて、
<ほんま、五センチや!>
なぜか感嘆のひびきがあった。
左丸・右丸の今までの苦労を、
ねぎらわれたのかもしれない。
書類を頂いて地下の食堂で、
ラーメンを食べて帰宅。
右丸・左丸とも、私が手術を施して、
健常になれるかどうか、賭けてるあんばい。
死んだ夫(おっちゃん)は、私の足につき、
<酒飲むのになんの不都合もないやないか>
と言い捨てた。
それに人生は<だましだまし保ってゆく>、
自由もあるしなあ・・・
(次回へ)
写真は、プランター栽培のいちごの花です。