「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

38、独楽

2023年03月25日 07時57分39秒 | 「なにわの夕なぎ」










・所用があって夕方、車で出かけた。
私は運転できない。

ミド嬢が運転してくれる。
私は車に乗るのが大好き。

運転の労は省かれ、
専ら、外の風景を楽しめるから。

歩道の広い大通りへ出た。
街路樹がふさふさ茂って夕風が快い。

この時間、この大通りをゆっくり走るのは楽しい。
というのも、犬を散歩させている人が多いから。

そして私は、車の窓から、
犬にちょっかいをかけるのが大好き、
という困った性格だ。

信号で停まった横に、
同じく信号待ちの奥さんが連れている、中型の黒犬。

私は早速、おなかの中で黒犬にしゃべりかける。

犬は異能の存在であるゆえ、
声なき私の声が聞こえ、
尻目に私を見る。

利かん気らしい、精悍な面構え、
獰猛といっていい
私はひやかす。

<黒犬もいいけど、
犬は目玉も黒いから、どこに目があるのか、
わからなくて、対応に困るんだよね>

<ワイのワルクチいうかっ!>

と目をいからせる黒犬。

<悪口じゃないけど、
ちょっとくらい白いところがあったほうが、
愛嬌があるんやない?
全身まっ黒、墨のかたまりってのは可愛くないよ>

<うっせえ!一発、かましたろか>

<大阪弁で“面白くない”というのを、
“黒犬のお尻(いど)”というの知ってる?
“尾も白うない”のシャレ、ハハハ・・・>

<まだいうかっ、くそう!>

吠えかかろうとして、
奥さんに引かれ、こっちをねめつけていく黒犬。

次にきたのは、
注意深く、ゆったりと歩をはこぶ熟年男性に引かれ、
これももろともに風雪の歳月を重ねた、
というような、思慮深げな老犬。

これも犬ながら練れた表情。

しかしそれは老いたから練れた、
というものではなく、
持って生まれた性格と環境により、
ある種の境地へ到達した、
という仄かな教養をうかがわせる。

だからさっきの獰猛犬に対するように、
どや、おっさん、などとはいえない感じ。

私は口調を改め、

<いかがですか、毎日のお食事は。
おいしいもん、出ますか>

練れ老犬は品よい横目で私を見、

<ま、そこそこでんなあ>

<ハハア。
しかしまあ、そんなシケたことはおっしゃらずに、
威勢よく“最高やでっ!”とかなんとか>

<現実は現実でっさかいな>

老犬はゆったり歩くご主人のあとから、
同じくゆったり従い、耳を澄ますと、
ふたりは共に♪吹けば飛ぶような将棋の駒に・・・♪
と村田英雄を口ずさみつつ去っていく。

<は?何を笑ってらっしゃるんですか>

とミドちゃん。

私は思わず独り笑いをしていたのだ。

私は独りでいるとき、
テレビもラジオもあまりつけない。

何を見ても、上のごとく、
独りでいろいろ空想して独りで楽しむから。

独唱、独奏、独酌、などという言葉があるが、
私の癖は「独楽」というのか。






          


(次回へ)

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