むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

2、春寒の京の歌

2022年04月19日 08時46分57秒 | 田辺聖子・エッセー集










・早春の頃おいの京について、私は特別な感慨がある。

私は与謝野晶子が好きであるが、
彼女は早春の京都を「みだれ髪」の中で、
少なからず歌っている。

しかもそれは常の歌ではなく、
彼女の生涯をほとんど決定したともいえる、
重大な人生の一転機の日の歌である。

<春寒のふた日を京の山ごもり 梅にふさはぬわが髪の乱れ>

<御手づから水にうがひしそれよ朝 かりし紅筆歌かきてやまむ>

明治三十四年早春、
晶子は鉄幹と粟田山麓の華頂温泉に宿泊した。

鉄幹は妻子ある身であり、
晶子はきびしい封建道徳に縛られる旧家の処女であった。

双方、それを押し切っての恋に、
はじめて結ばれたのが、京の二日二夜だということは、
こんにち、晶子研究者のあいだの定説となっている。

晶子はその年の六月、
家を捨てて上京し、妻子を捨てた鉄幹と同棲、
正式に結婚して与謝野姓になったのが十月。

晶子としてはかねて期した京都行きであり、
自分の一生を賭けての行動であったろう。

文献によると、
二人が宿をとったのは辻野旅館という宿だそうである。

私はその家を知りたく思った。
どんな宿であろう。
梅の木があるのはわかっている。

<京の山のこぞめ白梅人二人 おなじ夢みし春と知りたまへ>

<なつかしの湯の香梅が香山の宿の 板戸によりて人まちし闇>

とあるからには、
宿に梅がなければならぬ。

ところが、学者の「みだれ髪」研究によると、
梅の香、闇、まち人、夢などという詩句は、
漢詩の常套的発想であって、
事実に即していると限らぬそうである。

和漢の教養ゆたかな晶子は、
それらを踏まえた上で、
美しい短歌をととのえたかもしれない。

人によると、晶子ともあろう人が、
正式な結婚もせず人目をはばかる密会などするはずがない、といい、
粟田山麓の二夜そのものを否定している。

しかしこれは鉄幹晶子の往復書簡を見ても、
どうやら事実のようである。

密会や逢引に大いに共感と関心のある私は、
個人的興味からいっても否定説を否定したい。

私としてはどうしても辻野旅館の庭に梅を植えて、
そのそばに晶子を立たせたい心境である。

私はそこを小説に書いたのであるが、
そのため、粟田山へ登って実地踏査するつもりでいたところ、
京都の知人と知り合い、彼はいとも簡単に、

「そんなもん、あらへん」

というのである。

華頂温泉も口碑にも残らぬか聞いたこともない、
もとよりそんな旅館はないという。

つまり明治三十四年に実在した宿は、
今は廃されて、昔をしのぶよすがもないわけで、
私はがっかりしたのであるが、
そこは小説というもののありがたさ、
さも事実らしく書いて形をつけた。

しかし私は機会をとらえて、
もう一度この場面を書くつもりでいる。

せめてそのあたりの何もないところへでも、
早春さまよって晶子の歌心のあとをなぞらえてみたい、
と思った。

ある春まだ浅い日、私は友人と京へ出かけた。

この友人は女性で、京都はよく知らないが、
ふしぎに食べ物屋のあり場所だけはそらんじている。

それで私が、粟田山を地図で見つけようとして、
京都駅で地図を広げていると、

「寒いさかい、先に暖まろう」と提案した。

それもそうだと「わらじや」へ行って、
う雑炊を食べることにした。

冬の京都の寒さは、
骨身にじんわり徹するようないやな寒さで、
梅もウグイスも、早春の景物は詩歌のあそびごと、
としか思われない。

鼻水をすすりあげつつ、
雑炊を食べているのが、いかにも似つかわしいのであって、
私の感じでは三月ごろがやっと京の早春である。

研究によると、
鉄幹晶子の恋の逃避行は一月下旬か、
さもなくば二月上旬、と推定されているが、
それなら梅の花はやはり晶子の文学的潤色であろう、
と思われる。

晶子はのち、上京して鉄幹と暮らしてから、
驚き、かつ困ったのは鉄幹の食生活があまりに質素で、
或いは粗末で、また東京においしいものが少なかったことだ、
といっている。

若い彼女は大いに悲しんだらしい。

「そら、あとはどうか知らんけど、
京都の一夜二夜は何食べたかて、
のど通らんやろ、それどころやなかったやろ」

と友人はいい、それもまことに尤もな推理で、
私は反発しなかった。

「わらじや」を出て、
私はまた粟田山へ行く道を案じていたら、
友人は寒いからデパートで買い物したほうがぬくもる(暖まる)
という。

文学的情緒を解しない人間は困ったものだ。

粟田山だけではなく京都を俯瞰できるところ、
というので将軍塚の展望台へ行くことにした。

何しろ寒くて、鼻も凍り落ちんばかり。
人かげもなく、風は凍てつくばかり。

京の町は氷片のようにきらきら光っていた。
この凛冽たる寒さこそ、晶子の烈しい決意に、
ふさわしかったかもしれない。

旧い自分を打ちこわし、
新しい生涯へ飛翔してゆく自分を、梅の花に擬し、
その闘志と決意を歌に托したのかもしれない。






          

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