<山川に 風のかけたる しがらみは
流れもあへぬ 紅葉なりけり>
(山道をゆけば
川の急流にひとところ
秋風がかけた しがらみができている
風が作った しがらみって
何だか、わかるかい、きみ
もみじなんだよ
深紅のしがらみなんだ
もみじはしきりに落ちたまり
水は流れることもできぬ
秋風の風雅ないたずら
美しいもみじのしがらみ)
・『古今集』巻五・秋歌下に、
「志賀の山越えにてよめる」として出ている。
志賀の山越え、というのは、
京都市左京区北白川から、
如意が嶽と比叡山の間を通って、
近江の志賀へ抜ける山道という。
志賀には志賀寺もあったので、
参詣人をふくめ、たくさんの人が往来した。
しかし現代では、道路も定かにたどりがたいようである。
山道で見た実景であろうか、
紅葉の吹きこむ清流、晩秋の雰囲気が出ていい。
しがらみ、というのは、
田に水を引くときや土木工事のとき、
水の流れを堰き止める柵である。
杭を打って、それへ横ざまに木や竹を打ち付けたもの。
風のしがらみの作者、春道列樹(はるみちのつらき)は、
あまり名のある歌人ではないが、
百人一首に入れられたためにその名を残した。
列樹のくわしい生涯は不明である。
父は主税頭(ちからのかみ・・大蔵省の局長クラスか)、
列樹は文章(もんじょう)あがりというから、
学問ができたのであろう。
官吏登用の国家試験にパスして、
叙位任官されて役人になっている。
延喜二十年(920)というから醍醐天皇の御代、
壱岐守に任ぜられたが、着任前に死んだといわれる。
(没年不詳)
この列樹、歌は五首しか伝わっていない。
『古今集』に三首、『後撰集』に二首。
掛詞や縁語を用いた技巧的な歌が多いが、
その中で、この歌は実感的でいいほうである。
もう一つ、私の好きな歌。
列樹がどんな人柄の男で、
どんな人生を送ったかわからないが、
われわれの感懐をうまくすくいあげて歌ってくれている。
「年のはてによめる」として、
<昨日といひ 今日とくらして あすか川
流れて早き 月日なりけり>
昨日はこうだった、
今日はこれをしないといけない、
明日には(あすか川にかけている)この予定がある、
といいながら、あっという間に月日がたってしまった、
はや一年過ぎたのか、
永遠に人はこの感懐をくりかえす。
(次回へ)