むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

1、牡丹の寺 ②

2022年04月18日 09時18分40秒 | 田辺聖子・エッセー集










・きょうは特別に、山菜料理をご馳走になる。

普通は一人の旅ではむつかしく、
やはり三、四人以上の団体であってほしいということだし、
牡丹の花期は予約も必要であろう。

千二百五十年前の創建という富満(とどま)寺の、
万勝院はその一院で、
かつては六院三十三坊の堂塔伽藍を誇っていたが、
兵火に焼かれて跡形もないという。

ぜんまい、たけのこ、えんどう、干し大根、うど、
それにうなぎの蒲焼きに似せた、ごぼうの焼き物など、
山の幸が食膳に満ちていた。

折よく牡丹の花にゆきあわせた幸せに、
牡丹の花の酢の物、てんぷらを賞味することができた。

牡丹の花びらは紅紫色のもの。
肉厚でしゃっきりと、食べごたえがあって美味しく、
天ぷらにあげたものも、あっさりしてよい。

「笹の露、と名づけております」

私は住職さんに、
青竹をすっぱり一ふし切って、
端に口をあけた、竹徳利でお酒をついでもらった。

青竹の徳利は燗がむずかしく、
やや暖めた酒を入れて、湯沸かしでお燗をするのであるが、
竹の脂のせいか、酔い心地は早く、
まろやかな味になっていた。

高野豆腐、蓮根といった精進料理が、
素朴で淡白で、しかも味が深い。

住職さんの奥さんが、
村の婦人たちと一緒に作られているそうだ。

他家へ嫁いでいられるというお嬢さん、
といっても若奥さんが、天ぷらをあげるという、
家族ぐるみの態勢である。

牡丹の花びらの料理を、私は気に入った。
花びらを食べるという、夢のような話を、
人にしてもわかってもらえないのではないかしら、
と思いながら。

甘酢につけたのもよいが、
ふんわりと、そして軽くかりっと揚がった、
花びらの天ぷらの美味しさ。

口へ入れるともろく快い甘みとなって、消える。
白い透ける衣の中に紅色の花びらがある楽しさ。

暮れようとしている庭へ下りて、
また牡丹の花々を飽かず見入った。

山門の外は暗く、山の稜線も見えない。

はてなし山脈の果てへひとり来て、
夕暮れ、怪異なまでに美しい牡丹の花を見、
花びらを食べた。

はてなし山脈の山ふところには、
こんな、こわいような、ふしぎな、美しい、
なつかしい場所も、食べ物もあるのです。

牡丹の花は、あたりが暮れても、白色は消えず、
しんとしている。

なぜ、こんなにあでやかな美しい花が、
不気味に思えるのだろうと思ったら、
住職さんのお話でわかった。

牡丹の花には蝶や、
ほかの虫が寄ってきて、蜜を吸わないのだ。

そういえば、匂いも、
蜜ある花の持つ芳香ではなく、
抹香くさいにがい匂いだ。

牡丹の花がお寺と関係あるというのも、
はじめて聞いた。

真言宗の須弥壇(しゅみだん)には、
牡丹の花が描かれてあるということだ。

夜、牡丹のたき火を見せていただく。

もし、万勝院を訪れる人が運がよければ、
虫食いの枝など燃すときに見られるかもしれない。

私は幸運にも、牡丹の木のたき火にあたった。
事実、たき火にあたりたくなるほど、
山寺の夜は肌寒かった。

火はかなり勢いが強い。

「脂があるのでしょうか、よく燃えます」

炎の舌は長く、燃え盛った。
赤い火の中に鮮やかな紫色が走り、
かと思うとゆらめいて、えんじ色に崩れる。

火の色も、花の色に似るのだろうか。

しかし、紫色の火は牡丹の木の特徴のようで、
離れて遠くから見ると、美しかった。

豪奢なたき火に手をかざして見上げると、
びっくりするような、おびただしい星があって、
山はしいんとしている。

何と高い山だろう。

「若いころに病気をしまして、
そのとき、ふもとから医師(せんせい)に来てもらうのに、
難儀しました」

住職さんはいった。

十一戸ばかりのささやかな村で、
炭焼きの仕事も今は商いにならず、
険しい山で生きるには、
といろいろ住職さんは村のために考えたという。

そして村中が万勝院を中心に、
お寺をユースホステルに公開して、
観光で生きる道を探すことになった。

しかし、それは住職さんがあくまで牡丹を愛し、
山地の自然を愛するあまり、
人にもその幸せのおすそ分けを、
と願ってのことに違いない。

彼は、花札やマージャンを持ち込んで、
ご本尊さまの横でこっそり楽しんでいた、
不心得なグループを大喝叱咤したという。

牡丹の花を見、山頂に立ち、
暮れゆく谷あいをながめるために、
何時間も電車やバスを乗りついでゆく。

そういうために、
はてなし山脈の彼方の、
牡丹の寺はあってほしい。

夜はさらに音は絶えた。
牡丹も眠るのだろうか。

私はご本尊さまの横で眠った。
安らかな、満ち足りた旅の楽しさに包まれて。






          


(了  写真は家の庭の藤です 満開になりました)

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