むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「5」 ④  

2024年09月19日 08時34分15秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・存分に私も楽しんで、
何となく溜飲が下がる、
という気がした

この一夜の秘め事は、
私にとって、
気晴らしというか、
長年の憂さが、
晴れるようなもので、
則光に悪いという気なんか、
これっぽっちもなかった

宮廷ではああいう華麗な夜が、
いくつもちりばめられて、
いるのだろうなあ、
と思った

そのおこぼれの星が、
思わぬ機会に私の懐に、
ころがり落ちてきた、
という感じで、
私はその追憶を大事に、
胸にしまい、
時々思い出して、
匂い立つ残り香を楽しんでいた

そんなことを思い返しつつ、
行列を拝観していた

それでも私は、
むりやり運命を変える気も、
まだ熟しきらず、
日常の暮らしをくり返していた

則光がいなければいないで、
私は家のことをきちんと整え、
門を閉ざし、
子供たちを寝かせ、
召使いたちに火の用心をさせ、
家刀自の役目を果たした

ある夜、
則光が側にいて、
私は縫い物をしながら、
何ということなく、

「まあ・・・
こうやって十年、
経ったのねえ
早いわねえ」

と感心した

それは怒りでもなく、
嘆き悲しみでもなく、
自嘲でもなく、
いつの間にか十年の結婚生活を、
送ってしまったという、
感慨なのであった

則光は手枕でうとうとしていたが、
私の言葉は耳に入ったとみえ、
がばっと起き上がった

「う~ん、十年かあ・・・」

と考え込んだ

翌朝、
彼は勤めのない日だったので、
遅く起き粥を食べた

私と吉祥は先に食べたので、
そばで給仕をした

私は彼の食事が済んだら、
水害で傷んだ家の修繕の相談を、
しようと考えていた

私はまだこの家に住み、
老いるつもりだったから

ところが則光は、
食事を終えると平静にいった

「おれ、
ゆうべから考えたんだが、
お前、
今でも宮仕えしたいのなら、
したらどうだ?」

私は彼の表情から、
真意を探ろうとしたが、
則光の顔には、
なんの邪気も浮かんでいなかった

いつも通りの彼だった

もし怒ったとしても、
それなら頭から怒鳴るはずで、
決して遠回しの皮肉や、
あてこすり、
意地悪はしないのである

「お前、
ゆうべ、
十年たった、
といったろう?」

「ええ、
ほんとに、
いつのまに十年たったのか、
びっくりしたんですもの」

「お前のびっくりに、
おれがびっくりしたんだ
おれもおどろいた
十年たったんだ」

則光は、
純粋に興をもよおしたらしい

「十年も、
おれのために何やかや、
してきたお前なんだから、
今後十年は、
お前が好きなことをすればいいんだ
おれもたすけるよ
宮仕え、十年しろ」

「別れるっていうの?」

「別に別れなくたって、
いいじゃないか
お前がそうしたいというなら、
別だけれど
吉祥も十になった
ここまで面倒見てくれて、
ありがたいと思うよ
お前のやりたいことを、
やらせてやってくれ、
とお前の親父さんが、
あの世からいってるような、
気がしてね
なんでこんな気になったのか、
わからないが、
やっぱり物事には、
縁というものがある
そういうときに、
逆らわず自然にしなくちゃならん
お前、
宮仕えに疲れたら、
いつだってやめていいよ
いつまでもつとめてもいいよ
子供も手が離れたんだし」

則光は例の、
「左目の小さい女」
のところへよく通っているから

則光はほんとうに、

「十年を則光のために、
使ったのだから、
次の十年は自分のために使え」

といっている

悪意もなくそう思っているらしい

「あんたって、
ほんとに変な人ねえ・・・」

私はつくづくそういった

「お前だって妙な女だ
お前の妙ちきりんが、
おれにも伝染ってしまった」

と彼はいっていた

弁のおもとの紹介で、
道隆公と貴子夫人のいられる、
二條邸にあがり、
お目見得して、
定子中宮に仕えることになった






          


(次回へ)

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