「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

1、ローマ ①

2022年08月27日 08時12分00秒 | 田辺聖子・エッセー集












・「屋台というもの、
外国にもあるんでしょうか?」

という話が出て、

「屋台で無うても、
赤提灯とか縄のれんとか、
それに類したものがあるのと違いますか。
大体、古い町にはあるもんです」

「庶民がいれば、きっとあるでしょうね」

「外国の屋台て、
何を食べてるんでしょう?」

ということから、
それを探訪してみよう、
ということになった。

私は町の屋台に、
多大なる興味と関心を持っている。

子供の頃から、
一銭洋食やちょぼ焼き、
ワラビ餅の屋台にむらがっていたせいかもしれない。

長じて、同人雑誌にいたころに、
例会が果てると赤提灯や縄のれんに入って、
同人たちと安い酒を飲んだ。

大阪のキタは、曾根崎あたり、
ミナミは上六(上本町六丁目)や阿倍野などであった。

古いゴチャゴチャした下町の盛り場、
ややこしく道路が曲がりくねって、
そういうところに、
赤提灯や縄のれんの店はかたまっている。

こういう都市のバイキンとでもいうべきものがないと、
人間の住む町の暖かみが出てこないような気がする。

大阪の財界が、
大阪文化振興のために、
中之島に劇場を五つも建てる、
という計画をもっているが、
そんなんより、
「大阪の文化をおこそう、思たら、
安い飲み屋を沢山(ようけ)作れ、
いうんです」

と作家の福田紀一氏は力説しておられた。

氏によると、
同人雑誌の一次会では「ええことしかいわへん」
そうである。

二次会でだんだんアホなことをいいはじめ、
三次会ぐらいでベロベロになってからやっと、

「お前の小説、
さっきはほめたけど、
実はあれはアカンぜ」
ということになるそうである。

「それが文化ですわ」

と福田さんは主張する。

「高い金出して劇場作ることも大事やけど、
ほんまに文化を盛んにしよ思たら、
二千円でたらふく飲んで食らえるような飲み屋を作らなあかん」

私は大賛成。

私なんか、神戸でいつも食べる。

屋台の立ち食いの串カツ屋、
コップ酒二杯、
串カツたらふく食べて七百円くらい、
縄のれんのおでん屋もせいぜい千円まで、
それでまずいかというと、
一流料亭と甲乙つけがたい味なのだから、
私ごとき無定見の人間は、
何とも複雑な感じ。

いやもう、
屋台や縄のれんの店のない町には暮らせない。

大阪には千里ニュータウンという、
巨大な人工都市があるが、
私なんかこの町へ来ると、
悪夢にうなされる気がする。

絵で描いたようなチリ一つとどめぬ明快清澄な住宅街だ。
天を突く団地はえんえんと丘の果てまでつらなる。

道路は白々と広く放射状に四通ハ通し、
緑の木々は豪邸を包む。

洗いさらしたように清潔な人工の町である。
こういうのを見ると、私はせつない。

こないに人間の脂ッ気抜いてしもてどないするねん、
という感じ。

屋台や縄のれんというものは、
町のバイキンであってみれば、
人工都市にあらかじめそういうものを作るわけはない。

私は町っ子であるから、
夜は陸の孤島といったところに住む気は、
ぜんぜんしない。

高級住宅街に住め、といわれたら、
泣き出してしまう。

そういう意味で、
私が住んでみたい町は台北であった。






          


(次回へ)

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