「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

10、姥ときめき  ②

2021年09月22日 07時32分33秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「まあ、お姑さん!
結婚式ならともかく、喜寿のお祝いにホテルでパーティなんて、
聞いたこともありませんわ。ウチのマサ子は今年卒業しましたでしょ。
いずれはと思って、結婚式の費用を心づもりしていますけど・・・」

何をぬかすか、発想貧困嫁め。

「結婚式こそ、公民館か老人クラブ借りて、
『ほっかほっか亭』か『小僧寿し』の弁当で済ましたらええやないか。
老い先短い私こそ・・・」

「・・・いえ・・・それは・・・ですけど」

「何ですか、治子さん、
トシヨリは、民謡踊りで済ましとけ、というのかいな。
私も、ちっとはえらい目ぇしてきましたよってに、
たまにはパーティの壇上にスポットライト浴びて出て来て花束もらう、
というようなことをやってみたいんですよ。
私は洋装やけど、治子さん、あんたは民謡踊りが好きやから、
ホールの真ん中で踊ってちょうだい。
マサ子やら豊中の道子さん、箕面の須美子さん、
みなそろいの着物でドジョウすくいでもやってもろたら、
面白いかもしれまへんデ」

「まあ、そんなことしたら、マサ子、
お嫁の貰い手がなくなってしまいますわ・・・」

嫁はとうとう泣き出してしまった。
私は満足して電話を切った。

この嫁は、出来の悪い息子をやっと大学へ入れ、
今度は娘をかたづけるのに力を入れ、
私の喜寿祝いに使う金は惜しいが、
娘の結婚パーティはパ~ッと派手にやろうと思っているらしい。

娘に入れ上げても、彼らは感謝するどころか当然と思い、
結婚して一人前になっても、いつまでも親をアテにする。

親の手だすけがなければ、一人では何も出来ない。
うろたえまわって家庭崩壊。

娘に盛大な結婚式を挙げてやるより、
一人でやっていける気力を叩きこんでやるべきである。


~~~


・次の日からまた電話がかかりだす。

「パーティやりまんねんて?いったい何しますねん」

不満そうな声は長男。

「おや、婆がパーティやったらいかん、いうのか?
ほんならオジン見なはれ。子供のオモチャみたいな勲章もろた、
というてはパーティしてるやないか。
なんでオバンはしたらいかんのや?」

「何やったら、ウチの会社、戦後三十周年になりますよって、
それと一緒に感謝パーティ、いうのんやりまほか」

「ああ、やめてやめて・・・
むさいオジンらが義理で来るようなんいやや」

次男の電話は夜にかかってきた。

「大体やな、オバンいうもんは、子供や孫の後ろに隠れとるもんじゃ!」

あたまからカマすのである。

何やて?女親と思てバカにするのか。

この子も四十八、九というのに、
なんで男というもの、会社でちょっと地位が上がると、
私生活でもいばるのか。

尤も、この次男のガミガミ言いは、
私に対する甘えと依存心の裏返しであろう。

三男はいつものことで電話なし。
理屈言いの嫁が電話してきた。

「お姑さん、キンジュのお祝いをなさるんですって?
キンジュって七十でしたかしら、八十でしたかしら」

大学出をハナにかけるわりに、
どこか抜けていて、学のある人間というのは往々教養が偏波である。

「七十七ですよ。キンジュじゃない、キジュですよ」

「あら、おめでたいことだから、欣寿か金寿と思ってましたわ。
なんで喜ぶという字が七十七なんでしょう?」

大学で何習うてるのや?

「教養偏波の当番札」をかけられているのであろう。

すっかり当番を済ましてしまった私は、
今は首が軽いと思っているけれど・・・
ハタと思い当たった。






          


(次回へ)

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