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・「宇治へお連れせよ、
といわれますか」
驚く薫に中の君は訴える。
「わたくし、
京へ出るべきでは、
ございませんでした。
やはり宇治にいれば、
よかったのです。
弁の尼が羨ましい。
それにこの八月二十日は、
父の命日でございます。
法要をいたしたいと思います」
「それなら、
ご心配は要りません。
故宮の法事はすべて阿闍梨に、
頼んであります。
宇治へ行かれるといっても、
あの険しい山越えの道は、
男でも大変ですから、
そう簡単には。
それに山荘をご覧になると、
またお悲しみも増すでしょう。
私のかねての考えですが、
あの山荘をお寺になさいませんか」
「それならば、
どうぞわたくしを宇治へ、
お連れ下さい。
お父さまの法事をよい折に、
そのまま引きこもってしまいたい」
「とんでもないことです」
薫は中の君の心もわかるが、
後見人らしくいましめねば、
ならない。
日が高くなって、
人々が集まってきた。
あまり長居をしても、
わけありげに見えるので、
薫は立った。
あの中の君の悲しみ。
(それもみな、
自分が招いた運命)
と薫はくり返し思う。
亡き大君の願い通り、
中の君と結婚していれば、
こんな物思いもなかった。
薫は大君の死以後、
勤行にいそしんでいた。
それを母君の女三の宮が、
心配されて、
「あなたは出家などなさる、
おつもりではありますまいね。
長くもないわたくしの寿命のある間は、
そのままの立派なお姿でいて下さい。
あなた一人が頼りの、
この母の身になって、
世を捨てたりなさらないで。
あなただけが生きがいなのです」
といわれる。
この母宮は、
お年を召されても、
おっとりとはかなげな、
頼りないお気だてだった。
そういわれると、
薫は母宮がいとおしく、
あわれに思われ、
「大丈夫です」
と何気ないさまでいい、
(何もかも忘れて生きよう)
とわが心を叱咤する。
いよいよ、
匂宮と六の君の婚儀の夜になった。
夕霧右大臣は、
六條院の東の御殿を、
飾り立てて婿君を待った。
十六夜の月がのぼる。
まだ婿君の姿は見えぬ。
(お気のすすまぬ風、
もしやすっぽかされるのでは)
夕霧は気が気でなく、
ひそかに人をやって、
様子を探らせると、
宮は宮中をご退出になって、
二條院に帰られたという。
(うーむ、
お気に入りの愛人が、
いられるのだから仕方ないが、
しかし婚儀をすっぽかされた、
とあっては物笑いのたねだ。
どうしても今夜の予定を、
うやむやにするわけにはいかぬ)
夕霧は息子の頭の中将を、
お迎えにやった。
夕霧の歌が添えられた。
<大空の月にやどるわが宿に
待つ宵すぎて見えぬ君かな>
宮は最初、
宮中から直接、
夕霧の六條院へ、
おいでになるおつもりだった。
今夜がその日とは、
あまりにむごくて、
中の君にお告げになれない。
それで、
今夜は宮中で宿直だと、
中の君にお文をやられたが、
折り返してきた中の君の返事に、
お胸をつかれられた。
中の君はすでに、
周囲の人々の噂で、
今日がその日と知っていた。
しかし返事には、
恨み言はなくて短く、
「宿直あけの日を、
お待ちしております」
宮は六條院へ行かれる、
お気持ちが失せた。
こっそりと二條院へ、
お戻りになった。
中の君は小さくつぶやく。
「今夜はあちらへ、
お渡りの日では、
ありませんでした?」
「もうどこへも行かない。
いつまでも二人で、
ここで暮らす。
誰の婿にもならない」
しかし恋人たちは、
たちまち引き裂かれた。
頭の中将の来訪が告げられた。
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(次回へ)