・昨年の暮れに、
私は「女の日時計」という長編小説を出版した。
本の見本が出来上がった日、
私は繰ってみて、最後の略歴に目を通したとき、驚いた。
おもな著書として、「廓景色」「色模様」をあげてある。
これは私の作品ではない。
六、七年前に物故した女流作家の川野彰子さんの作品で、
「色模様」のほか、「廓育ち」という作品が、
直木賞候補になったりテレビや映画になったりしたから、
おぼえていられる方もあるかもしれない。
どうしてこんな奇異なことが起きたのだろうと思ったら、
その前の一行に、
「昭和四十一年、医師・川野純夫氏と結婚」
というくだりがあって、ハハアと思い当たった。
ここで間違えたのだろう。
というのは彰子さんの夫だったのも川野純夫氏で、
はやくいうと川野純夫氏にとって、
彰子さんと私は先妻、後妻の間柄だからである。
四十一年に結婚したのは私だけれど、
どこですりかえられたか、
彰子さんの作品と私のとまでがごっちゃになったらしい。
私は早速、係りの人に苦情を申し立てたが、
出版元の資料がそうなっていましたという弁明で、
大新聞社の資料にしてはずさんであるといわざるをえない。
さて私が憤慨していると、他人はニヤニヤして、
「やっぱり気になりますか」というのである。
「そりゃ、いやよ。
ホカの人だったらともかく、
彰子さんのなんてイヤです。
もっとも主人にしてみたら、
どっちも一緒かもわからへんけど」
というと、誰もが腹を抱えて笑いだすのは、
これは一体どういう事なのだ。
カンカンになっているのは私一人である。
しかし私にしてみれば向かっ腹が立つ、
大阪弁でいえば「けったくそ悪い」というところ。
いったい後妻というものは、
どうかして先妻とのちがいを誇示しよう、
ケジメをつけようという気があるのが普通で、
私もご多分にもれない。
それを作品までつっこみにされては、
たまらないという気がする。
しかし主人に言わせると、
「何いうとんねん、
いちばんいやなんはこっちやで。
気ぃつこうとんのやから」
などといっている。
「何や知らん間に、こないなっとんねんから仕方がない」
といい、それは私も同じで本人同士、
いまもキツネにつままれた気でいる位だから、
混乱するのは無理はないかもしれない。
もっとも私自身は、
彰子さんとは二、三度しか会ったことがなく、
もちろん、主人と知り合ったのも彼女の死後である。
しかし世間はそこのところも十把一からげで、
いいかげんなことをいう。
私が川野氏に同情して・・・
と見てきたようなことをいう報道もあれば、
彰子さんの在世中から仲がよかったという、
うがった見方もあって、私はその度、
あたまから湯気を立てて説明するのに忙しかった。
いまではくたびれてしまって、
何を言われても平気だと思えてきたが、
今度は作品まで間違っているとは、
怪しからんではないか。
私が怒ると人は笑うのが、なお、怪しからぬ。
もっとも私も悪いところはあり、
いまだに主人の姓ではなく自分の姓を押し通しているのが、
混乱のもとになる場合もある。
以前、私たちの別居結婚の折の別宅、
山手の家に泥棒が入った。
私は早速被害届をを出しに行った。
所有者は川野純夫で、盗難の届け出は田辺聖子である。
交番にいた警官は五十年輩の温厚な人であった。
「あんたは、川野さんの借家人でっか」と聞く。
「いいえ、川野は私の主人です。
でも、ここは別宅ですので、
いつもは診療所のほうの自宅におります」
と私は答え、自宅の電話番号を教えておいた。
数か月後、盗品が出たむね、警察から自宅へ通知があった。
電話してきたのは、かの温厚な警官である。
「もしもし、川野さんでっか」
私はそうだといった。
警官はまず咳払いし、
「あの・・・こんなこと、いうてええかいな」
と言い淀み、やがて意を決したごとく、
「ご主人は、あの何でんな、
山手のほうにもう一軒、家を持ってはりまんなあ・・・
こんなん、奥さんに言うてええかいなあ。
つまりそこがこの間泥棒に入られはって・・・」
私はこの警官の年輩者らしい配慮にいたく感心した。
彼は私を別宅夫人と勘違いしたのである。
山手の家は川野某の妾宅であると思い込んでいるのである。
世の中は誤謬と偏見とおっちょこちょいに満ちている。