・女学校の一年ごろ、
日中戦争がはじまって二、三年というころ、
クラスメートの叔父がさんが中国大陸の戦線から、
一時帰還した。
その土産話を友人が聞いてきて、
私たちに披露した。
「村中の女の人、一軒の家に押し込めて、
家ごと油かけて焼いてしまうねんて」
級友たちはみな真っ青になり、
「うそや、うそや、
そんなこと日本の兵隊さんがしはるはず、ないもん」
と言い張った。
私もそう思った。
スパイか何か悪いことした人なんとちゃう?
という子もあった。
でも、ウチの叔父ちゃん言うてたよ、
五十人も百人も女の人しばって焼き殺したって、
命令やからしょうないって。
うそや、うそや、日本の兵隊さんがそんなこと、
するはずない、「デマや」とみんなで、
口々に言い続けていたものだった。
女専へ入った年、
昭和十九年ごろ、
このときの友人に、
お父さんの知人が朝鮮の警察にいる子がいて、
その子もまた、当時の内地人にはめざましい、
裏話を聞かせてくれた。
日本政府に反抗して投獄された朝鮮の人たちが、
どんなにすさまじい拷問を受けているかということである。
その子は軽躁なおしゃべり娘だったので、
みんなはかなり割引して聞き、
「うそやろ」と私たちは言った。
その子はケロリろして、
「ほんまやしぃ~ほんまや、言うてはった」
と言っていたが、
彼女の邪気のない黒い瞳が今も目に見えるようだ。
いま思うにそれらはみな事実で、
氷山の一角にすぎなかったのだろうが、
独善優越の歴史教育の温室で、
無菌栽培された若者には、
とうてい考えることも出来ない、
「デマ」としか思えない事実だったのだ。
そうして日本は戦いに敗れた。
デマが真実になった。
次々とマスコミに発表される、
「真実はこうだ」
という事実暴露に、無智無垢無邪気な若者は、
あまりのめまぐるしさについていけず、
「えっ・・・」と絶句したきりである。
天皇は神ではなかった。
人であった。
日本はアジア解放を標榜しつつ、
劫略も殺戮も搾取もしていた。
終戦後、はじめて見たものはたくさんあった。
はじめて聞いたコトバ、読んだもの、
すべてことごとく、おどろかされるものばかり。
「民主主義」という言葉、
「自由」という言葉、
大っぴらに発音される「マルキシズム」という言葉、
「働く者の権利」という言葉。
メーデーというものを、
十八歳にしてはじめて見て、
ただただ、びっくりのほかなかった。
「軍閥」という言葉をはじめて聞く。
「軍部の横暴」
「神がかり的皇国史観のあやまり」
というものがこの世にあることを知る。
唯一絶対と信じこまされてきた日本の歴史教育は、
偏向歪曲の濃い色つけをされたものであることを、
おぼろげに悟るようになる。
若者たちの目かくしが取り払われ、
それが深い混迷を若者にもたらす。
皇国主義に殉じた者もあれば、
あらたなよりどころを求めて、
マルキシズムに走る者もあった。
信じられるものは芸術しかない、
と思う者もあった。
何も信じられず、
落ちこぼれてゆく者もあった。
(次回へ)