むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

8、もっと広い世の中 ②

2022年07月15日 08時31分25秒 | 田辺聖子・エッセー集










・教科書の書き換え問題、
検定の横暴は、祖国の過去の行為を、
客観的な視点で位置づけるということは、
別のものであるはずだが、
やがてその分際もなしくずしに「時代の力」に、
押し流されてゆく。

いまはそのトバ口にさしかかろうとしている。
右翼の擡頭、改憲運動、軍備拡張を声高に叫ぶ人々。

政府と与党はこの日本をどこへ導いてゆこうとするのか、
何をもくろんでいるのか、
私たちは踏みとどまって考えないといけないと思う。

さきに私は「前車の覆るは後車のいましめ」と書いたが、
それでは前車はいかに覆ったか。

私は1934年(昭和九年)小学校入学、
1940年(昭和十五年)旧制高等女学校入学、
1944年(昭和十九年)旧制女子専門学校入学である。

そうして1947年(昭和二十二年)に女専を卒業した。
戦後二年、まだ学生だった。

だから1945年の敗戦を境に、
戦中戦後の教育界の転変をつぶさに体験した。

ひとにぎりのインテリはさておき、
ごく普通の庶民が「正しい現在位置」を、
会得することはきわめてむつかしい。

政府の見解とちがう考え方、
というものに庶民がめぐりあう方法は、
戦争下、あるいは思想統制下の日本では、
絶望的にない。

心ある人、「わかってる」人も、
権力で口を閉ざされてしまう。

出版も放送も政府の権力のもとにある。

その中では教科書の説くところに、
庶民はしがみつかなければならない。

親も子も先生も、そこに拠るしかない。

日本はよその国とは格段に上等な国である、
と説かれるのを、信ずるほかない。

日本には万世一系の「天皇」という、
現人神(あらひとがみ)がいられ、
万民を子のごとくはぐくんで下さる、
民草は天皇を親とも慕い、
お仕え申し上げる。

そのゆえに、日本国民に生まれたことは、
人間として最高の幸福といわねばならぬ、
新たに日本人となった台湾・韓国の人々も、
その幸福をめでたきものと感激し、
日本語を使い、日本の歴史を知り、
日本人として生きる喜びと誇りに、
うちふるえるはずである。

その日本が戦うのは東洋平和のため、
アジアの盟主・先進国でアジアの兄貴分である日本が、
戦うのはヨーロッパ・アメリカの魔手から、
全アジアを救うためである。

さればこの戦争は「聖戦」と呼ばれるべきで、
天皇の軍は「皇軍」とたたえられるべきである。

聖戦を戦う皇軍が負けることはあり得ない。
皇軍はつねに「赫々の武勲」をたてるはずである。

皇軍いたるところで敵を破り、
「堂々の入城」をし、
占領地の原住民を慰撫し、
欧米の圧制者の手からアジアの民を、
解放するはずである。

そのはずであるところが、
戦時下でもひそひそと国民の間に語り伝えられる。

「そんなはずない」という「デマ」があった。

大人はともかく、
われわれ戦時下日本のよい子は、
教科書を深く信じ「皇国日本に生まれた幸福」と、
「天皇陛下の臣下へのおいつくしみ」と、
「アジアの兄貴分・日本の使命とたのもしさ」を、
つゆ疑ってはいなかったから、
それを裏切るような「デマ」を聞くと、
憤然としたものだ。






          


(次回へ)

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