むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

9、東屋 ⑮

2024年06月26日 08時55分19秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・浮舟は山荘の眺めのよさに、
日ごろのうっとうしい思いも、
慰められる気がした

しかしこの邸に、
自分はどういう風に、
とどめ置かれるのか、
薫は自分をどうするつもりか、
と思うと不安で心もとなかった

薫は京の邸に手紙を書いた

「まだ出来上がらぬ、
仏のお飾りをそのままに、
しておりまして、
今日は日柄もよろしいので、
急いでこちらへ参りましたが、
気分が悪くなり、
それに物忌であることも、
思い出しまして、
今日明日とこちらで謹慎することに、
致します」

薫は浮舟の部屋へ行った

浮舟はどぎまぎしたが、
身を隠すわけにもいかず、
じっと坐ったままだった

浮舟は色美しい衣装を、
つけているが、
どことなく田舎じみた風趣が、
ないとはいえない

(このひとを、
どう扱ったらいいのだろう
今すぐ京の邸へ迎えて、
据えるのも世間のはばかりが、
あろうし、
といって、
女房として宮仕えさせるのも、
本意ではない
やはり、ここ宇治に、
しばらく隠しておこう)

といっても、
宇治へ繁々通えないであろうことは、
薫にもわかっていた

逢えないとなると、
どんなに淋しいだろうと思うと、
薫は浮舟がいとしかった

山荘に置いてある、
七絃の琴や、
筝の琴を持って来させ、
薫は一人弾いた

そういえば、
宮が亡くなられてからあと、
こんな楽器は久しく触れなかった

弾いているうち、
月が出た

薫は八の宮の思い出話をする

「あなたは宮を、
ご存じなかったのですね
あなたがここで、
大きくなられたのなら、
いま少し風趣を解する気持ちは、
深くなったかもしれぬ
・・・どうしてあんな田舎に、
何年もお暮しになったのだろう」

浮舟はわが身の、
拙い生まれ合わせが恥ずかしく、
顔をそむける

亡き大君を目の前に見る心地、
薫はせつなくなる

大君を思い出させる浮舟では、
あるけれど所詮は形代、
大君ではありえない

(それならば、
このひとにふさわしい、
たしなみを教えてやろう)

と薫は思う

「どう?
琴は弾いたことはありますか
『あはれ、わがつま』
という東琴、
東国育ちのあなただから、
手馴れているのではないか」

「東琴は『大和琴』とも申します
わたくし大和琴どころか、
大和言葉の歌の道も、
無調法な育ちです
まして琴まではとても」

(お、お、
いうじゃないか)

薫は浮舟の軽快な応酬に、
満足だった

ここへ浮舟を置いて、
思うまま通えないと思うと、
辛かった

浮舟に愛情を抱き始めて、
いるからであろう

薫は琴を押しやって、

「楚王の台の上の夜の琴の声」

と『和漢朗詠集』の一句を、
口ずさんだ

浮舟も侍従も、
胸ときめかせて耳を傾ける

あらあらしい武者の国、
あずま夷の地に、
久しくあった身には、
何ごとも心に沁みて感動する

しかし、
この句に先立つ第一句は、
女の身に不吉な詩句であることを、
無智な浮舟も侍従も知らない

弁の尼から、
果物が届けられた

箱の蓋に、
紅葉、蔦などを折り敷き、
たしなみよく取り交ぜ、
敷いた紙に老人らしい字で、
書いてある

尼の歌は、

<やどり木は
色かわりぬる秋なれど
むかしおぼえて澄める月かな>

(宿木はすっかり、
紅葉になりました
月ばかりは昔のままに、
澄んでおりますけれど、
亡き大君さまから浮舟さまへ、
運命は変りましたが、
薫さまはお変わりなく)

薫はすべての事情を知る、
弁の尼が悲しく思われ、

<里の名も
むかしながらに見し人の
おもがはりせる閨の月かげ>

(宇治という里の名も、
世を憂しと思う私の気持ちも、
変らぬのに、
閨にさし入る月の光でみれば、
愛する人は違っています)






          


(了)

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