・十年前来たときパリは道路工事がさかんで、
穴ぼこだらけであったが、
働いている労働者はアルジェリア人が多かった。
いまもそうである。
パリも就職難であるが、
それでも人のことをとやかく言わないから、
パリは暮らしやすいらしい。
パリへ来て、
人間の視線が柔らかいのは、
人のことをかまわない風潮のせいかもしれない。
そういうところ、神戸に似ている。
神戸は新しい町だから解放的なせいもあるが、
パリは古いのに、人のことをかまわないのだ。
京都は古い町で、
だから人のことをかまうのだ、
と私は解釈していたが、
パリなどは古いから、
人のことはかまわないのであるらしい。
「そういう町に住みたいですなあ」
とおっちゃんはいっていた。
おっちゃんはスペインやイタリア人の人なつこさ、
好奇心満々の強い視線などというものは、
「うとましい」のだそうである。
スペインみたいに、
となり近所がまるでオール親戚というように、
べちゃべちゃしたのはかなわない、
というのだ。
「下町の人情、というのは、
この年になると、しんどいですなあ」
「今までさんざん、
しつくしてきたかもしれないですね。
奄美もそうかもしれないけど、
大阪の下町育ちの私もそうですよ」
「いや、それはもう、
奄美と大阪では、肌馴れの熱さはケタが違う。
離島の人間関係のわずらわしさは、
大阪どころの比ではない。
大阪は、いうてもまだ、大都会ですから、
いく分かは・・隣は何をする人ぞ・・という気分がありますが、
奄美なんぞは三代前から素性が分かっている」
おっちゃんのお袋の在所の村など、
市村九十戸中、実に七十戸まで縁戚関係という、
血縁密度のたかいところで、
そうなるともう、一つの大家族みたいなもの、
それを押しすすめていくと、
奄美の本島事態、知人縁者相関図が出来上がってしまう。
それは人々の心をやさしくし、平和にするが、
その代わり、それをいったん重荷に感じはじめたら、
まるで軛のように思われるであろう。
人生中年で、血縁同族の血の熱さに、
郷愁を感じはじめる人もあるであろうが、
その頃に、反対に離れていきたくなる手合いもいる。
中年になって「血の熱さ」へ戻りたくなる人が人情家で、
嫌いになって離れる人が不人情とはいえない。
パリに住みたい、とおっちゃんはいうが、
私は友人次第である。
おしゃべりができて、酒が飲めて、
遊べる友人がいるなら、パリに住んでもよい、
それから今の私なら、
まだいくばくかの元気もあるので、
スペインやイタリアの「下町人情」も、
さしてわずらわしくない、
そこはおっちゃんとは違う。
ただ、長く住もうとは思わない。
また「終(つい)のすみか」にしようとも思わない。
そういえば、神戸はパリに似ていて、
何年も住んでいても隣は何をする人かわからぬのであった。
誰も人のことを気にかけない、
不人情なのではないが、
わずらわしいことはしたくないという、
考えるとやっぱり、神戸はパリに似ているかもしれない。
ただそうはいってもパリとは気候がちがう。
気候からいうと、四季温暖で海に面して明るい神戸がよい。
美しさからいうと、
それはパリの美しさは厚みがちがう。
ローマの中世そのままの町並みもよかったが、
ムッシュ・フランソワーズが夕方の散歩に連れ出してくれた、
モンマルトルの丘からの、パリの眺めは、
江戸錦絵の色である。
(次回へ)