むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

5、パリ ⑤

2022年10月06日 09時06分40秒 | 田辺聖子・エッセー集










・十年前来たときパリは道路工事がさかんで、
穴ぼこだらけであったが、
働いている労働者はアルジェリア人が多かった。

いまもそうである。

パリも就職難であるが、
それでも人のことをとやかく言わないから、
パリは暮らしやすいらしい。

パリへ来て、
人間の視線が柔らかいのは、
人のことをかまわない風潮のせいかもしれない。

そういうところ、神戸に似ている。

神戸は新しい町だから解放的なせいもあるが、
パリは古いのに、人のことをかまわないのだ。

京都は古い町で、
だから人のことをかまうのだ、
と私は解釈していたが、
パリなどは古いから、
人のことはかまわないのであるらしい。

「そういう町に住みたいですなあ」

とおっちゃんはいっていた。

おっちゃんはスペインやイタリア人の人なつこさ、
好奇心満々の強い視線などというものは、
「うとましい」のだそうである。

スペインみたいに、
となり近所がまるでオール親戚というように、
べちゃべちゃしたのはかなわない、
というのだ。

「下町の人情、というのは、
この年になると、しんどいですなあ」

「今までさんざん、
しつくしてきたかもしれないですね。
奄美もそうかもしれないけど、
大阪の下町育ちの私もそうですよ」

「いや、それはもう、
奄美と大阪では、肌馴れの熱さはケタが違う。
離島の人間関係のわずらわしさは、
大阪どころの比ではない。
大阪は、いうてもまだ、大都会ですから、
いく分かは・・隣は何をする人ぞ・・という気分がありますが、
奄美なんぞは三代前から素性が分かっている」

おっちゃんのお袋の在所の村など、
市村九十戸中、実に七十戸まで縁戚関係という、
血縁密度のたかいところで、
そうなるともう、一つの大家族みたいなもの、
それを押しすすめていくと、
奄美の本島事態、知人縁者相関図が出来上がってしまう。

それは人々の心をやさしくし、平和にするが、
その代わり、それをいったん重荷に感じはじめたら、
まるで軛のように思われるであろう。

人生中年で、血縁同族の血の熱さに、
郷愁を感じはじめる人もあるであろうが、
その頃に、反対に離れていきたくなる手合いもいる。

中年になって「血の熱さ」へ戻りたくなる人が人情家で、
嫌いになって離れる人が不人情とはいえない。

パリに住みたい、とおっちゃんはいうが、
私は友人次第である。

おしゃべりができて、酒が飲めて、
遊べる友人がいるなら、パリに住んでもよい、
それから今の私なら、
まだいくばくかの元気もあるので、
スペインやイタリアの「下町人情」も、
さしてわずらわしくない、
そこはおっちゃんとは違う。

ただ、長く住もうとは思わない。
また「終(つい)のすみか」にしようとも思わない。

そういえば、神戸はパリに似ていて、
何年も住んでいても隣は何をする人かわからぬのであった。

誰も人のことを気にかけない、
不人情なのではないが、
わずらわしいことはしたくないという、
考えるとやっぱり、神戸はパリに似ているかもしれない。

ただそうはいってもパリとは気候がちがう。
気候からいうと、四季温暖で海に面して明るい神戸がよい。

美しさからいうと、
それはパリの美しさは厚みがちがう。

ローマの中世そのままの町並みもよかったが、
ムッシュ・フランソワーズが夕方の散歩に連れ出してくれた、
モンマルトルの丘からの、パリの眺めは、
江戸錦絵の色である。






          



(次回へ)

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