むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

8、ひとり旅 ①

2022年05月03日 08時49分50秒 | 田辺聖子・エッセー集










・何思いけん、私は旅に出た。

いったい私の人生に於いて何思いけん、
ということが多いように思う。
自分で自分の気持ちがよくわからぬ。

前に四国へ行ったのもそうだ。
室戸岬を見に行った。

これも何思いけん、何が何でも見にゃならぬ、
という必然性はなんにもない。

しかし強いていえば、
室戸岬は、関西育ちの人間には、
台風上陸地として深く印象せられている。

またそれ以上に、
戦中派にとっては、
アメリカ爆撃機の飛来侵入地点である。

B29爆撃機は熊野灘からはいって、
室戸方面へ抜けたりする。

阪神方面でしこたま、爆弾を落としてゆく。
爆弾、焼夷弾、黄燐弾、照明弾、
雨あられと落として室戸岬から逃走する。
ワルイ奴ちゃ。

しかし私は何も、他意あって、
戦争を知らぬ子供たちに、
告げ口するのでも入れヂエするのでもない。

ただ私自身の気持ちとしては、
敗戦後、すぐアメリカへ留学したり、
アメリカをほめちぎったりする人々の気がしれないと、
その当時思ったものである。

爆弾の雨の中、火の海を親兄弟、
手をひき名を呼び合いつつ、逃げまどう心持は格別である。

ビル火災や山火事とはわけが違う。

(そういうたかて、お前はアメリカの粉ミルクやコンビーフを食うて、
命つないだやないか)といわれれば、
まことにそうなんで、私としては言い返せない。

言い返せないようなことを言う奴に対して、
こんどは腹が立つだけである。

何でもよい、室戸岬を見ようと思い立った。
私は夜の船旅をして、高知へいった。

夜半、甲浦(かんのうら)に着く。
そして朝九時、定刻どおり高地に着いた。

足摺はたしかに、美しい海の色をしていた。
私の泊ったのは和風の旅館で、じいさんがいて、

「明日まわってみるところを教えましょう」

と地図を広げた。

「一に潮の満干の手洗ばち、
ほか全部で七ふしぎ、この岬の名所じゃ。
ゆるぎ石、地獄の穴、亀の石に竜の駒」

「この丸が三つついているところがそうですね。
そこへいけば見られますか」

「今はない。無うなった」

「ハア」

「跡が残っとるだけ、ここの名物は・・・」

じいさんは声はりあげて節をつけ、

「土佐で怖いはヨコメかシラか」

「ハア、土佐の人は横目か白目でにらむのですか」

「いんや、シラはシラハエ。
さつまおろしという風じゃ。
ヨコメは目付。警察」

七ふしぎの名所は跡しか残っていないというから、
朝、ジョン万次郎の銅像を見にいったら、
万次郎ははるか彼方、アメリカを見て突っ立っていたが、
フロックコートでもと思いきや、
羽織りはかまの純和装であった。何思いけん。

宇和島まで汽車はない。
時間の問題ではなくて、レールがないのだ。
地図をあらためてみて納得した。

汽車ないところへ来た大阪人て私一人だけちゃうか、
と思っていたら、宿毛で入った洋酒喫茶のバーテンさんは、

「僕、大坂の美人座に三年いました」

といっていた。

とても話が合って、いい兄ちゃんだった。
じっくりした醜男で、私は醜男愛好者である。

店内はピカピカして大阪のミナミや、
神戸の三宮にいるような気がする。
それがよけいさびしい。

朝、宿毛のバス乗り場へいく途中、
昨日の洋酒喫茶の横に立て札が立っているのをみつけた。

「ここにもの置かれん   宿毛警察署」

どうして大阪も、こういう風にやらないのかな。

「大型車あかん」「駐車でけへん」

土佐の人は面白い人が多いらしくて、
船の名前に「鰤釣丸」なんてのがある。

それにしても四万十川をこえて、
汽車のレールのない南のさいはてをさまよい、
とつおいつ迷う旅は、あとで何にも覚えておらぬ。






          


(次回へ)

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