・朝食をおいしく頂戴して、
じいさんたちに見送られながら村を出る。
佐藤さんたちはそのあと、
有名な高千穂峡や国見ケ丘に連れていって下さった。
峡谷といい丘といい、
すぐれて風光美しい、谷の茶屋で、
竹筒の長いのを田代さんは持って来られた。
「かっぽ酒ですたい」
酒を竹筒に入れてあたためると竹の油でいい味と匂いがする。
節に穴があるので、
傾けるとかっぽ、かっぽと鳴るのだが、
「おや、これは鳴らんとですか?」
と佐藤さんと田代さんは代る代る竹筒を傾けて、
お酒をみんな飲んでしまった。
高千穂の町は、山中にしては意外に美しく、
モダンで活気もあり、しかも神話にふさわしい場所が、
町のぐるりを取りまいていて、見るべきところが多い。
峡谷の美しさ、峯のすがすがしさ、
「日向の高千穂の峯に天降りまして」という、
古い神代の言い伝えは真実ではなかろうか。
神の降り給うた峯はここ?
「はぁ、他国から来られた人ほど、
却ってそう信じこんで帰られますたい」
とみなはいう。
高千穂の駅前で、佐藤さんや田代さんと別れ、
高森行きのバスに乗る。
ああ、あんなにすばらしい神楽を見、
神代さながらの簡素で美しい風物に接したあとは、
ひなびた温泉宿へでも行って、
ゆっくりと心身の昂奮をしずめたいものだ。
高森はもう熊本県に入る。
阿蘇の南外輪を越え、
九九曲がりといわれるくねくねした山道を折れて、
高千穂から一時間四十分で着く。
私は高森からすぐ接続になっている産交バスで、下田へ着いた。
ここから、垂玉(たるたま)温泉行きのバスが出ている。
南阿蘇はあまり人に荒されていなくて、
とくに垂玉の上にある地獄温泉は、
おおげさにいうなら秘湯である。
バスは垂玉までしか来ないが、
そこから地獄はすぐで、
私は清風荘という宿屋に泊ることにした。
シーズンオフで宿は閑散としている。
その宿は古びた大きい、旅籠風の宿で、
鍵の手に建っている。
がらんとした宿は、木造で、
廊下へ出るとガラス戸越しに見る阿蘇の山々は、
枯草色に暖かげであり、日が当たって、ものみな眠ったように、
森閑としていた。
露天風呂と白いススキ、
山のいで湯という感じは、こういうところをこそ、
いうのであろう。
宿の裏手には白い温泉の煙がたちのぼり、
よくここへ来たことだ。
宿の人の話によると、
「この宿は大体、近在の百姓さんの湯治場でして、
農閑期に自炊道具を下げて来られます。
その時は宿も風呂も賑やかになります」
ということだった。
そういえば広い庭のあちこちに自炊客のための小屋があり、
若い人用にはバンガローがあり、宿の帳場に、
「釡いくら、杓子いくら」と、
自炊道具の貸し賃が書きつけてあるのも面白い。
夏場のキャンプの賑わいも盛んだそうだ。
白濁した湯は、豊富に石の浴槽からあふれ落ち、
いつ入っても私一人だった。
明礬泉のせいか、肌がツルツルしそうな快い湯質である。
夜神楽で徹夜したので体が疲れて、
まだ夕方には間があったけど、写真をとる元気もなく、
のんびりと温泉に入ったり出たりする。
名は地獄だがまさに極楽だ。
モダンな建物が地獄と垂玉の間ぐらいにあって、
村役場の田尻さんに聞いたら、
村営の国民宿舎「南阿蘇」ということだった。
行ってみると清風荘とはまたおもむきがかわり、
バーあり、ロビーあり、若い人向けの近代建築である。
ここからの眺めも変化に富む。
清風荘に夜が更けると、
絶えて物音がない。
「山菜が唯一の名物でございます。
山芋、ぜんまい、わらび、うど・・・などで」
美人のおとなしい女中さんが、
食べきれないようなご馳走を運んで来た。
私にはわらびと小芋の煮つけ、
セリの酢味噌和えなどの山菜料理がご馳走であった。
「明日は阿蘇へのぼられますか。
曇ってきたようですが」
女中さんは膳を下げながらいった。
夜半、たしかに私はためらいがちな低い雨音を聞いた。
湯の宿は細い雨に包まれた。