・六月の晦日には、
大祓という大切な神事がある
中宮は喪中でいられるので、
神事をはばかって、
内裏から退出されなければ、
ならない
太政官庁の朝所に、
お渡りになる
この建物は上級役人たちが、
朝食をとるところである
暑い夜だったので、
とりあえず眠ってしまったが、
朝早く起きると、
ずいぶん変わった建物だった
見なれた檜皮葺きではなく、
唐めいた瓦葺きの屋根で、
格子もなく、
ぐるりを御簾だけめぐらせてある
「あら、珍しい」
と私たちは喜んだ
若い女房たちと庭に下りたが、
前栽に忘れな草をたくさん植えてあり、
房になって咲いていた
こういう、
官庁などの庭には、
似つかわしく見える
それはともかく、
「中宮さまの女房たち」
は手に追えぬやんちゃだ、
という評判が立ってしまった
道隆公のご薨去から、
二ヵ月しかたっていないのに、
とにがにがしく思う、
頭のかたい人々も多いが、
かんじんの中宮は、
女房達のはしゃぎぶりを、
聞かれても笑われるだけである
私には中宮が、
(明るく・・・
明るく・・・
考えても仕方のないことは、
考えないようにしよう・・・)
と思っていられるようにみえる
上達部や殿上人は、
私たちが太政官にいるのを、
興深く思うのか、
よく訪ねてくる
この建物の暑さときたら!
夏の盛りなので、
ただでさえ暑いのに、
建物が唐風だから瓦葺きである
いつもいる内裏の御殿は、
こんもりした檜皮葺き、
しかも床が高く風は通り、
檜皮葺きの屋根は暑熱をさえぎって、
ひんやりと涼しいが、
瓦葺きのここでは、
昼間のカンカン照りの熱気が、
夜に入っても去らず、
いつまでも火照って蒸されそう、
私たちはたまらなくなって、
御簾の外へ出、
ごろごろと寝ている
と、古い家なので、
天井や壁から、
ムカデやヤスデが落ちてきたりし、
軒のついそこ、
頭の当たりそうな所に、
蜂が大きい巣を作っていたりして、
恐ろしいのだった
そんなところへ、
殿上人たちは毎日、
私たちを訪ねて来て、
内裏の梅壺にいるころと、
同じに賑わしい話やら、
他愛ない遊びに夜更かしした
暦の上では秋が立っているのだが、
暑さはまっさかり、
それでも内裏ではないので、
虫の声が聞こえるのも、
趣があっていい
明日は七夕、
七月七日であった
八日には内裏へお還りになるので、
この珍しい太政官住まいも、
あと二夜かぎりである
頭の中将・斉信の君など、
壮年の貴公子が連れだって、
お見えになる
女房達は端近に出て、
お相手をしていて、
明日の七夕のことなど話していた
この斉信の君も、
やりてだけに、
出世が早いだろうという噂
私の情報源である、
経房の君の話によると、
(まず、来年春は、
参議になられるでしょう
あの方は中の関白家にも、
道長右大臣どのにも、
関係ないから、
かえって出世が早い
聡明な方だから、
道長の君にも、
可愛がられていらっしゃる)
とのことである
斉信の君が参議になられると、
もう表の方の、
男社会だけの人になってしまわれる
蔵人頭というのは、
天皇のご側近に奉仕しているだけに、
後宮と密接につながり、
私たちとも馴染みになるが、
参議は後宮へ来る用はないわけ
斉信卿のあの巧みな、
美しい朗々とした詩吟を、
聞く折もなくなってしまう
内裏へ中宮が戻られて、
何日かたった暑い暑い午後、
私のもとへ便りがもたらされた
真紅の薄様を、
赤い唐撫子の花の、
びっしり咲いた枝につけて来た
その日の暑さときたら・・・
氷水を手にひたしては、
咽喉にあてたり、
こめかみにあてたり、
扇でひまなく煽いでは、
乾いた口中へ氷をふくんだり、
体をどう扱おうか、
とあえぐようなうだる暑さだった
そこへ燃えるように赤い手紙が、
赤い花につけられて、
もたらされたのである
(なんてしゃれた感覚かしら)
と私は嬉しくなった
まさに毒をもって毒を制す、
暑さをもって暑さを制す、
というところ
かえって汗もひきこみそうな、
さわやかな気の張りが生まれて、
面白かった
「誰からだろう?」
とゆかしく見ていると、
「・・・棟世」
とあるではないか
「いつかお目にかかって、
と思う心は、
からくれないの唐撫子のように、
燃えるのですが、
よい便りを待つうちに、
今年の夏もすぎました
暑さに負けずお過ごしください
海松子(みるこ)さまへ
棟世」
という老獪な文面で、
それもむしろ涼し気でいい
無茶苦茶迫るのでもなく、
坊さんのように色気離れた、
というのでもなく、
こういうちょっかいを楽しんでいる、
というだけの手紙、
こんな赤い手紙を、
真夏の日ざかりに送ってくるなんて
(おぬし、やるな)
という感じだった
早速、
中宮のもとへ参上したとき、
ご披露しようと思った