・私もまた、新聞、テレビ、雑誌で、
大きくとりあげられなければ信じられない、という、
自分の見識のないタイプの一人であった。
しかしその後、いろんな本を読んで、
カンボジアの恐怖の四年間を知ってからは、
その恐るべき実態に比して、
報道の量は少なすぎるのではないか、
日本人の関心は低すぎるのではないか、
という疑いをもつようになった。
ウガンダのアミンは、
政敵をワニに食わせるという蛮行や、
おびただしい虐殺で日本にも知られたけど、
ポル・ポト政権の虐殺は規模が違う。
自国民を半分にしてしまうまで殺したのだから、
史上空前といっていい。
カンボジアの空白の四年間に何が起ったのか?
人間が人間を笑いながら殺せるという恐ろしさについて。
人間の尊厳について。
虐殺に手を下したのはポル・ポト軍の兵士だが、
それらはほんの少年といっていい、
若者だったという。
彼らは人間の心を持たない殺人機械になるよう、
教育されていた。
ポル・ポト、ならびに「クメール・ルージュ」の実力者、
イエン・サリらの犯した悪行は大虐殺ばかりではない、
カンボジアの若者の心をずたずたにしてしまったこと。
カンボジアの若い芽は蝕まれてしまった。
民族から、
民族の伝統や人間らしいやさしさが奪われ、
枯れてしまった。
教育というものの怖ろしさを思わずにはいられない。
カンボジアの四年間は、もっと議論すべき、
さまざまの示唆を含んでいる。
私は東南アジア、
とくにインドシナ地方の問題については、
まことにくらい。
インドシナ紛争はその根が錯綜してよく分からぬ。
盟約したり離反したりする各国の動きが、
めまぐるしいばかりである。
その動きをみせる政権や実力者のうしろに射す、
大国の影を指摘されたとき、
おぼろげに事件の骨格が透けてみえる、
そういう仕組みの地域である。
私はポル・ポトの時代を知ろうとして、
次の本を読んでみたのだが、
もっと重要な読むべき本を落としているかもしれない。
しかし、とりあえず、
次にあげる本は、書店の棚から見つけて買ったり、
注文して取り寄せたもので、
誰の手にもたやすく入るものだと思う。
ほかにもっと読むべき本があれば、
ご教示ください。
☆内藤泰子 「カンボジアわが愛」(日本放送出版協会)
☆近藤紘一 「戦火と混迷の日々」(サンケイ出版)
☆井川一久、本多勝一司会 「このインドシナ 虐殺・難民・戦争」
(連合出版)
☆近藤紘一 「したたかな敗者たち」 (文芸春秋)
・・・
しかし何にせよ、これらから私は、
「カンボジア空白の四年間」を知った。
19年前の旅で会った人はどうしているだろうか。
シアヌーク殿下の写真を店に掲げていた、
シェムレアプの理髪店のおじさんは?
サクー売りの母子は戦火の中を生き延びたろうか。
若い母親に横抱きにされていた、
まるまる太った幼児は、成人してポル・ポト兵士になった?
ホテル・ロワイヤルの白い服のボーイ、
あの従順な青年は、
もう中年のおじさんになっているだろうけど、
プノンペンを追われてどこかで命果てたのではないか?と。
そんなことを思い思い、読んでゆくうち、
これらの事実を知り、伝えることが、
すべての犠牲者たちへの供養だと思うようになってきた。
カンボジアの民族解放闘争は、
もともといろんな要素がまじりあって混乱していた。
ベトナムのホ・チ・ミン側に身を寄せている、
古くからのカンボジア共産党員やら、
反ベトナムの社会主義者やら、
ちゃきちゃきの「パリ帰り」の主義者たち・・・
ポル・ポトもイエン・サリもその「パリ帰り」だった。
留学生としてパリにいたころ、
近代革命理論に接して、
祖国の解放を理想とするようになる。
そう誓ったカンボジア愛国青年はたくさんいたが、
彼らはその中でも極左理論の信望者たちだった。
1950年のはじめに次々とカンボジアへ帰り、
ひとたびはシアヌーク殿下に招かれ、
また追われて地下へ潜り、
その間に古参の革命家たちを抑えて、
ポル・ポトが党書記長になった。
(次回へ)