むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

26、1985年の感慨

2022年03月30日 09時09分44秒 | 田辺聖子・エッセー集










・1985年はずいぶんいろんなことのあった年で、
あわただしかった。

たくさんの人に死に別れ、旅行もうんとして、
これは毎度のことだけど、締め切りぎりぎり、
すべり込みセーフで原稿を書き、担当編集者を悩ました。

ファクシミリを夜中の十二時一時にごとごと送り、
担当編集者を眠らせなかった元凶は私である。
ごめんなさいね。

さて、一年をトータルして考えたことは二つあって、
一つは、人は死にゆく、ということである。

ロス・マクドナルドには、
「人の死にゆく道」というのがあるが、
今年は、かねてその作品が好きだった小泉喜美子さんが急逝され、
川上宗薫さんが亡くなられた。

宗薫さんは亡くなられる前に、
「淫霊」という長編をものしていられて、
これは明晰な、きりっとした大人の小説で、
お酒でいうとワイルドターキーをロックで飲むような、
凛たる風味がある。面白かった。

それと並行して書いていられたのが、
サンケイの「小説WOO(ウー)」に載った、
「死にたくない!」ではあるまいか。

こちらは一見破綻にみえ、
墨汁を流したように晦冥であるが、
その底に端正な気息が通っている。

透明な感覚があって、
川上さんが最後の最後まで、
近づく死期にじたばたしながら、
それを冷たく見据えている作家でもあったことを、
示している。

医薬も効なく、
最後に、あちこちの拝み屋や占い師に頼る作家の今井。

一日百六十五回北の方に向かって神さまの名を唱えると、
五日後に楽になるといわれて、
寝たきりで動けないから、

「北の方って、どうやるんだよ。
体を起こしてか、顔だけ向けてか」

と今井はまた教祖さまに電話で聞かせる。
なんべんも電話させられる看護人はしまいに怒った顔になる。

指を折って百六十五回数えるが、
どこかで間違って十くらいズレたような気が今井にはする。

このへんが何ともおかしい。
凄惨なおかしさである。

教祖さまは拝んでから五日目に痛みが消えると告げる。
五日目、今井は痛みが消えてないのを発見する。

その「五日目」は、
その日全体のことなのか、朝方なのか、
また痛みの消え方は突然なのか、ゆっくりなのか、
あるいはあくる日まで消え方がずれこむのか、
それを教祖さまに聞いて、確かめてほしいと、
看護人に哀願したりする。

このへんはすでに鬼気迫りながら、
ひきつるような笑いにさそわれる。

川上さんは神霊治療にまですがろうとする今井を見据え、
そのじたばたぶりをじっくりと書く。

つまり、自分で自分の終焉期を書いて逝ったのである。
実に骨太な、堂々たる作家である。

「人は死にゆく」ものであるけれど、
私はとてもこうはいかないと、
今更のように思った。

もう一つは、栄枯盛衰は世のならいだが、
これは権勢の消長だけではなくて、
女の美しさもそうだと思ったこと。

九月に、私の好きだったシモーヌ・シニョーレが死に、
夫のイヴ・モンタンは泣きながら赤いバラを棺に納めていたが、
このシモーヌ・シニョーレの晩年の写真を見て、
別人のように皺だらけだったのに、感慨を深くした。

マリリン・モンローは若死にしたから、
老いの変貌を人に見られることなく、
その点は幸せかもしれないが、
私たち世代は、
エリザベス・テーラーが輝くように美しかった、
十七、八のころから知ってるわけである。

ブリジット・バルドーも、
ミレーヌ・ドモンジョもみな美しかった。

去年(こぞ)の雪いまいずこ。
彼女らはいま、皺老女である。

美しさが夕焼け雲の移ろいよりはかなく消えるのに、
私は、人生の流れる顔の一瞬をとらえた気がした。

「他人事みたいに、いいはるんですなあ」

カモカのおっちゃんがいうから、

「いや、もちろん、私も含めて、でございます。
『人は死にゆく』『人は老いゆく』
これがじっくり肝にこたえたんです。
まあしかし、ブスやと、美女ほど老いが目立ちませんけど。
しかしエリザベス・テーラーの若かりし日を知ってると、
ため息が出るのはどうしようもない」

まあ、ローレン・バコールみたいに、
あんまり老いが目立たぬものもいるが、
美女の名を世界中にとどろかせた人の老いは、
感慨を強いるものである。






          

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