・なんで女性評論に及んだかというと、
これからの盛り場、町に活気を呼ぼうとすると、
女性パワーを無視してはあり得ないと思うからである。
つまり、男たちとそっくり同じことを、
女がやるようになっている。
ともかく、動き出した女たちに対して、
社会は後手後手にまわっている。
いま、婦人雑誌にどんな特集があるか知っていますか?
「女が一人で入れる飲み屋」
ここなら安心などというガイドがある。
女が一人で楽しめる機会や場所を研究提供したら、
もっといろいろな新商売が出来るはず、町が発展するはず、
それでいえば、神戸という町は、
この後、ユニークな発展をするのではないか。
神戸には働く女性が楽しむところが多い。
だいたい、この町は女性的発想が多くて、
女の発言権が強いように思う。
その辺が大阪の古さと違うし、
京都の因習の強さとも違う。
遊び好き、パーティ好き、新しもの好き、
これこそ女性本来の体質にぴったり一致しているのではないか。
それでいうと、昭和四十年代のはじめの新開地は、
全く女の姿を見なかった。
遊郭というものはなくなったものの、
どことなく陰惨な生臭い風が吹く感じの福原から下りていくと、
その近辺だけが灯が明るく、男たちだけがうろつき、
パチンコ屋だけが流行っていた。
安い小料理屋の店があって、安いだけにまずかった。
その安直なる小料理屋はかなり大きかったが、
いつも客で満員であった。
しかし、客は男ばかり。
私が夫と共によく行ったおでん屋もそうで、
女客はいなかった。
このおでん屋はたいそう美味しくて、私は大好きで、
「今夜、おでんを食いに行こう!」と夫がいうと、
夕食を用意してあっても、私は嬉しがって応じた。
高級料亭で、美しいお姐さんたちにお酒を頼み、
長い廊下を伝って持って来られる、それもよさはあるが、
私は「ねぎまとこんにゃく!」などと叫び、
「お酒一本!」というと、ただちに目の前に供せられる、
そして女の子が伝票に「正」の字を書いてゆく、
あの手軽さが好ましい。
つくづく思ったのは、客が男ばかり、という異常さだった。
今にきっと、こういう店にも働く女の子がやってきて、
飲み食いするようになるだろう、と私は思った。
夫は私が神戸に住んでいるのだから、
いっぺんは「アラカワ」などという一流のステーキ屋へ行ってみよう、
と提案すると、生返事でしぶるくせに、「おでん!」というと、
どんぐり目を光らせ「よし、行こう!」と叫ぶ。
そして私も、いつか新開地に骨がらみ魅せられるようになってしまった。
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・神戸のロマンチックな部分を落としては、
神戸の町自体への敬意を欠くと思われるので、
紹介しておきたい。
今は異人館通りなど大混雑であるが、
ブームになる前は北野界隈は静かな住宅街であった。
私は結婚のはじめ、諏訪山の異人館に住んでいた。
夫は異人館で私を釣ったといってよい。
大家族の中へいっぺんにほりこんだらビックリしよるやろ、
だんだん慣らして、という意図があったのかもしれない。
諏訪山は神戸の真上で、家の庭から中突堤が目の下に見え、
夜は沖縄行きの船が灯りをつけて出て行った。
大きい洋館で、古風な鎧扉のある窓は海に向かって開かれ、
裏山に来る小鳥たちは庭に群れた。
晴れた日は淡路島が見え、海も空も手いっぱいにあふれた。
こういう美しい眺めは、むしろ人を退廃させる。
私はこんな異人館に住んでいると、
生きる張りをなくして呆然としてしまった。
こういう幸福は働き盛りの人間が味わうものではなかった。
人生を退役した人が享受すべき幸福だとしみじみ思った。
そこに住みつかなかったのは、
その美しさのせいではなく、実生活に不便だからである。
それだけの眺望をほしいままにするには、
物すごい坂道を登らなければならなかった。
石段なので車も上がれない。
今の神戸の観光名所になっている異人館のほとんどは、
坂の上にあり、車が門前に止る家は少ない。
それから異人館は天井が高いので冬の寒さは大変なものである。
少々の暖房では追いつかない。
一階も二階も広くて、全部の鎧戸を開けているだけで、
一時間はかかってしまう。
外から見るとツタのからまる美しい洋館だが、
実際に暮らすには大変であった。
しかし、私は海の見える洋館が好きで、
女の子向きのロマンチックな小説がたくさん書けた。
神戸は海と山の間が狭いので、それが独特の雰囲気を形作る。
私は生活の便利さの方をとって、下町に住み、
気苦労の多い大家族の中に暮らして、
海の見える洋館を恋しがりながらせっせとラブロマンスを書いた。
もし私があのまま異人館に住んでいたら、
ペンを折っていたに違いない。
小説を書くより自分が主人公になってしまったように、
ムードに酔ってしまう、それを誘うものが神戸にはある。
神戸に観光に来る人たちを見ていると、
ロマンに積極的に参加する弾みが感じられ、
京都や奈良とまた違う雰囲気がある。