むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

12、むはは・・五十五 ②

2022年07月31日 08時23分41秒 | 田辺聖子・エッセー集










・食べものは、
戦時中より戦後の方が窮乏した。

アメリカ映画を見て、
その中のプールつきの邸宅や車より、
豪華な食卓が印象強く、
(天国とはあんなのをいうのであろうか)
と呆然として帰って、冷えたすいとんをすすったけ。

そういう時代を経て見る町の春すがたは、
また格別の風趣というべきである。

春の帽子の花飾りや、
夏の白レースの日傘を開いてみる喜びは、
底しれぬ快楽である。

私のように、
黒いモンペや継ぎはぎのブラウス、
おばあちゃんの羽織、
おじいちゃんの古浴衣で作ったワンピースで、
少女の頃を過ごした女には、
今、流行っている黒い服、カーキ色のセーター、
くしゃくしゃのジーンズ、
剥げた古皮ジャンパーの、
わざと汚れたおしゃれには、
とうていついていけない。

きれいな夢のような、
花やいだ色でなければ、
身にまといたくない。

そういう花やかな色彩が権力によって奪われた時代の、
怨嗟をいまだ忘れぬ人種なのである。

力によって、人間の喜びを圧殺される時代が、
いつかまた来るかもしれない。

その怖れがあるから、
いま平和で自由な時代を幸いに、
私は好きな色を着たり試みたり、している。

そうしてしみじみ、
(ツイてたなあ)と思うわけである。

誰か予言者が私に向かって、
(三十年たったら日本は、
今のアメリカ映画の中の市民生活みたいに、
豊かになってますよ)とか、

(五十五になったあなたは、赤い靴をはいて、
ミッキーマウスの赤い腕時計をして、
心かるがる春の町を散歩してますよ)などと、
いわれても、容易に信じなかったであろう。

しかし生きのびて私はこんなに自由にいろんなものを楽しみ、
昔だったら(天国とはあんなものをいうのであろうか)
という生活をしている。

ツイていたのだ。

私の力のせいではなく、
たまたま生きのびられたのだ。

私と同世代の死者たちのてっぺんにのっかって、
私は生きている。

死者も生者もほんとのところ、
そう変りあるとも思えないのだが、
とりあえず私は、五十のぞろ目まで生かせてもらって、
「むはははは」なのである。

この半世紀の時代転換の激しさは、
日本史の中でも珍しいのではないかという気がする。

「平家物語」の平知盛みたいに、
(この知盛は男にも女にも好かれるタイプらしいが)

「見るべきほどのことは見つ」
という感慨に打たれている人も多いのではあるまいか。

終戦を境に価値観が逆転しただけでも、
見ごたえがあったのに、
いちばん大きい変換は女たちが変貌したことである。

男性の中には、
「男女共学がいけなかった。
女子の大学進学も許すべきではなかった」
という人もいる。

大きな声でいえないから、
小さい声でグチをいったりしていておかしい。

男性の身になってみると、
まことにそうだろうと同情しないではいられない。

この半世紀の女の意識変化というのは、
どんな男性知識人も予見できなかったほどである。

男の人にしてみると、
女たちの変化は畏怖と狼狽をかくせない、
というのが実情だろう。

女たちが自分の意見を持って、
それを口にし出したので、
男たちははじめ(このアホが)という感じで、
いうなら、灰皿のボヤだと思い、
コップの水をぶっかけて消そうとした、
と、その火はあちこちに飛び火して、
アッという間にメラメラと燃え上がり、
叩き消そうとするうち、いよいよ大きくなって、
消防だ、ホースだとうろたえている。

どうも私にはそういう風にみえて仕方がない。

女の変貌のとっかかりを見ただけでも、
私は五十五年生きた値打ちがあって面白い。






          


(次回へ)

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