・女の個性と女の友情。
うまく噛みあったら、
お互い干渉せず支配もされず、
しかも相手がそこにいるというだけで、
気持ちが暖かくなるという、
そんな生活ができるかもしれない。
私たちはまだまだ、
たくさんの可能性を持っていそうな気がする。
もっとほかに、
いろいろ快適な人生の処方があるにちがいないのに、
あまりにも決まったやり方ばかりを、
長い年月、踏襲してきている。
たとえば、我々は、
赤の他人と他人が寄り合って暮らす、という場合、
男と女、夫と妻の関係しか想像しない。
一人暮らしから二人暮らしになる、というと、
同棲か結婚、それしか考えられない。
しかし同棲もおいそれと出来ず、
結婚も、なおさら手続き面倒、となると、
人生も単調なワンパターンになって、
結婚ばかり夢見つつ、無駄な年月を送ることになる。
それに男と暮らすのは、
自分の個性が侵犯されることである。
そういう時期を迎える前に、
女友達と組んで暮らしてみる、というのも、
面白い実験ではないだろうか。
若い女の子は、男の子もそうかもしれないけど、
団体生活も大家族の暮らしも経験してないので、
他人と協調して日々を送るテクニックを持たない。
そういう人間が、
結婚や同棲で、突如、二人暮らしになる。
個性と個性のかけひき、妥協、ゆずり合い、
ありとあらゆるテクニックを使って、
二人の関係を築くべきであるのに、
ほとんど何の訓練もされずに投げ出されるものだから、
たちまち修羅場を迎えてしまう。
人と折りあいよくやってゆく、
ということは、とてもむつかしいもの、
しかし、愛と少しばかりのテクニックがあれば、
むしろこよなくたのもしくなるもの、
気分のいい人をそばに置いている楽しみが、
この対象が男であれ女であれ、
すばらしいもの、
いい人格が発する匂いは性を超える。
さらに私は、
女が男と結ばれ、子供を産み育てるのが、
根源的な女の幸福、という考え方にも、
疑問を持つ。
心のひびき合わぬ、魅力を感じない、
敬意をもてない男と結ばれるよりは、
気の合う、尊敬すべき同性の女と、
心をより合わせるほうが好もしい、
そう思う女たちが出て来てもよいではないかと思う。
(了)