guitarbuddha's diary

guitarbuddha(ギターブッダ)の日記です。ギターや音楽のことを中心に日々思うことを書きます。

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アリよさらば

2008-06-09 01:57:19 | 新聞ネタ
う~ん、また通り魔事件か…。

MSN産経ニュース
(http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080608/crm0806082025030-n1.htm)
には


【秋葉原通り魔事件】専門家「確定的な殺意、心神耗弱考えられない」
2008.6.8 20:21

 元最高検検事の 土本武司 白鴎大法科大学院長の話

 「車で歩行者をなぎ倒し、さらに刃物で刺すという行為は、これ以上ない極めて危険なものだ。事前にレンタカーを準備し、車の通行が規制された歩行者天国に突っ込んだという時点で、確定的な殺意を持っていたと判断せざるを得ない。逮捕された男は心神耗弱状態にあったとは考えられない。具体的な動機を解明していくことが重要だ」


なんて記事が載っていましたが、
こうした無差別殺人の
“具体的な動機”
ってことになると、
結局は
“世間に対する自分勝手な逆恨み”
みたいな話になるんだろうなぁ…。

こういう事件があるたびに
ただただ重苦しい気分になるばかりです。


みんながそれぞれ
みんなの幸せのことをきちんと考えて
責任と自覚を持って行動し、
その結果として
みんなが幸せを感じられるような社会
になったら良いのになぁ~

と思います。



さて、久しぶりに新聞ネタです。

昨日の朝日新聞、求人広告ページの上の欄に
矢沢 永吉 さん
のお話が載っていました。

矢沢 さん は、こんなことをおっしゃってます。

矢沢はね、音楽を作るという、手に職を持つことができたから、今が幸せなんです。それを自分の手だけでつかんできたことが、プライドでもある。だから若い人にも、人生を貫く仕事にたどり着いて欲しいと思う。食うには困らないように、何とか生きていくのが君の人生か。でも、自分の方向が見えなくなると暗闇に入ってしまう。暗い明日を想像するくらい苦しいことはないんだけどね。

親や学校、そしてマスコミも好きなこと言ってる。低成長時代に突入したから、すべてを安全に選ばなくちゃいけないなんてね。いい子になってその助言だけを聞いていたら、迷路に入る。自分の人生を照らす明かりは、自分の心の中に灯(とも)しておかなくてはいけないもので、他人に吹き消されてはだめです。

僕は、成り上がるという言葉を大切に思っている。自分の手で階段を上っていくわけで、本当はこんなにワクワクすることはない。うちは裕福だからとうそぶいている人だって、そのご先祖の誰かが成り上がったんです。成り上がりの反対は、ぶら下がりだ。やっぱりそれじゃつまらないよね。



う~ん、耳が痛い。
僕なんか ぶら下がり以下 だもんね…。(泣)

でもさ、なかなか良いことを言っているでしょ?

「自分の人生を照らす明かりは、自分の心の中に灯(とも)しておかなくてはいけないもので、他人に吹き消されてはだめです。」

まったくその通りだと思うね。(笑)



僕もまだまだめげずに頑張るよ…。





では、今日はここまで。



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小乗よりも白馬車乗かも…

2008-05-09 02:24:34 | 新聞ネタ
なんか熱愛なの?
けど、エビちゃん(蛯原 友里) じゃなくて良かったよ。(笑)

果たして交際は順調に行くかな?
僕の勝手な予想では
いずれは○○を迎えてしまうような気が…。

え?別に妬(ねた)んでいるわけじゃないよ。

でもさ、今まさに売れっ子の2人だからね。
お互いに仕事も忙しいだろうし
そういう点でも大丈夫かな?って
こっちが心配しちゃうよ。(笑)

それそれの所属事務所だって
交際には協力的ではないだろうからね。
まあ当たり前かな?

もし僕が事務所の社長さんだったら
十分に配慮してあげたいところだけど。(笑)



さて、今日はまた久しぶりに新聞ネタです。

昨日の朝日新聞夕刊11面
花園大学教授 佐々木 閑(しずか) さん の
日々是修行(ひびこれしゅぎょう)
の欄からです。

タイトルは 「小乗は大乗より狭量か」
小乗仏教と大乗仏教の違いについてのお話です。
こんなことが書いてありました。


歴史の教科書などを見ると、「小乗仏教では、個々人が自分の救済を目指すが、大乗では、世の中すべての生き物を救おうとする」 とある。どうみても大乗の方が立派だ。自分の救済しか考えない利己的な小乗より、皆のことを考える大乗の方がいいに決まっている。


うんうん、世界史の用語集なんかには
確かにそんなことが書いてあったよ。(笑)

でもね、どうやら真実はこういうことらしい…。


小乗と大乗を比べる時、忘れてはならないことがある。釈迦は、この世に超越者がいないこと、我々を救ってくれる神秘の力はないことを悟り、「それでも、この世の苦しみから抜け出す方法はあるか」 と思案して、自分で自分を救済する方法を見つけた。それが小乗仏教になった。決して他人のことを無視したのではない。自分が見つけたその方法を皆に教え、「一緒にやろう、君らもがんばれ」 と励ました。神秘力のない世界で皆を救うには、それ以外に方法がないからだ。
それが大乗になると、次第に神秘的な要素が入ってくる。我々が助かるための不思議な力があり、それが多くの者を一挙に救いあげるという思想である。こうして大乗は、合理性と引き換えに、救済する人々の範囲を大きく広げたのだ。

小乗とは、この世を神秘なき法則の世界と見て、その中で自己救済を目指す道であり、大乗とは、その法則性を超えた神秘作用を信じ、そこに救いを求めていく世界だ。どちらに惹(ひ)かれるかは人による。ただ、小乗が利己的で偏狭な教えではないということは知ってもらいたい。神秘性に頼って生きることが難しい現代では、小乗の教えもまた、人生の貴重な道しるべなのである。



う~ん、僕としてはやっぱり小乗の方に惹かれちゃうね。
だって、潔いじゃんね。(笑)

すなわち僕も
自分で自分を救済するしかない
ってわけです。

でも、
白馬の引く白い馬車に乗った美しいお姫様が現れて
それに乗せてくれて救ってもらえるというのならば、
けっしてそれも拒まないけどね。

だって、楽そうだし…。(笑)



いや、ほんの冗談だってば…。




では、今日はここまで。



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正体見たり!

2008-03-18 04:17:47 | 新聞ネタ
今日は久しぶりに新聞ネタです。

昨日の朝日新聞朝刊 opinion 面 の
グローバル化の正体@ナショナリズム
という欄に載っていた
慶応大教授(歴史社会学)の 小熊 英二 さん
のお話は非常に興味深かったね。


小熊さんによると、
グローバル化とナショナリズムは
仲の悪い双子のようなもの

なのだそうです。

両方とも
交通通信技術の発達に基づく
均質化と資本主義化の産物

なんだってさ。

身分差や地方差をなくして
均質化が国内でなされるとナショナリズムと呼び、
国際的になされるとグローバル化と呼ぶらしい。

また、グローバル化もナショナリズムも
交通通信技術の革新の結果であって、
どちらも同じ技術を使って作られているそうです。

ふ~む、なるほどね。(笑)

仲が悪い理由は、
1つには国家関係において、
大国のグローバルな展開に、劣位の国が対抗手段として
ナショナリズムを作る例が多いこと。

もう1つには、
グローバル化とナショナリズムでは、
利益を得る層が違うこと。

ナショナリズムは国内を均質化するので
身分制廃止や福祉政策、格差の解消に結びつき
中の下くらいの階層が受益層。

一方、グローバル化の受益者は、
大きな資本を持ち、投資先を探している人や
外国語を話せる教養や資格のある人、
国外でも高収入を得られる特殊技能を持つ技術者…
などの上層の人たち。

確かにそうかも。(笑)

でもって、
この仲の悪い双子の敵は
ローカリズム
なんだって!

というのも、
交通通信技術と資本主義の発達によって
ローカリズムを破壊し、地域共同体を崩壊させてこそ、
人々に国家という想像の共同体に
愛着を持たせることができるからであり、
また貨幣経済を浸透させたいグローバル企業にとっても
自給自足のローカル共同体は最大の敵だから、
なのだそうです。

なんとも物騒な話だよ。実にけしからん!(怒)


また、最近の日本では、
地域や親族の共同体が衰えていることが、
ポピュリズム的なナショナリズムが台頭する
一つの要因となっているようです。

ポピュリズム的なナショナリストがしばしば口にするような
ナショナリズムとグローバル化が混交した論調の例としては、
『アメリカでは国旗に敬礼しているから日本でも』 とか、
『日本人としてのアイデンティティーを持たないと国際人として通用しない』
といったものがあるそうですが、
これも双子の兄弟ならではだそうです。(笑)


つーことで、
かなり簡単にまとめてみましたが
果たして分かってもらえたかな?(笑)

興味のある人は図書館等でチェックしてみてね。



では、今日はここまで。



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感性は作家だと思うよ。

2008-01-23 04:04:43 | 新聞ネタ
今日はまた久しぶりに新聞ネタです。

これまでも何度も取り上げてますが、
朝日新聞夕刊の
人生の贈りもの
の欄からです。

今週は数学者の
藤原 正彦 さん(64)
のインタビューが載っています。

藤原 さん は
『国家の品格』 (岩波新書)
という本の著者でもあります。

みんなも本の名前は
聞いたことがあるんじゃないかな?
ベストセラーだからね。(笑)


で、一昨日の記事では
こんなことをおっしゃっています。


――― 「品格」 という言葉が大流行しました
日本国民の大半が感じていたけど、言い表せないでいたものを言い当てたのかも。私たちが失っていたのは、これだったと。祖国の先人たちが作り上げてきたすばらしい道徳や秩序、そして情緒。文化や芸術、学問において人類に貢献してきたことから生まれる自信と誇り……。今の日本人からはすっかり失われてしまった。
個人が品格を失えば、国家も品格を失います。その証拠に今の日本では、弱いものいじめが公然となされている。日本人が昔から憎んできた卑怯(ひきょう)以外の何ものでもありません。

――― 『国家の品格』 でも攻撃してやまないアメリカ流の市場原理主義のことですね
そうです。大きなものも小さなものも、強いものも弱いものも、何の規制もなく同じ条件で競争する。これを公平と見なすのが市場原理主義です。もっとも効率の良い経済のあり方かもしれない。でも、強いものは勝ち続け、弱いものは負け続けるのが現実です。1人の勝者と9人の敗者が生まれる。
――― 国家という仕組みは必要でしょうか?
絶対に必要です。各国・各地方に生まれた文化や伝統を守るためです。経済においても、サブプライム問題は、発端はアメリカの低所得層向け住宅ローンの焦げ付きだから、本来はアメリカの国内問題のはず。それがグローバリズムにより、世界を危機に陥れている。 「人・モノ・金」 の流れに国境がなくなると局所の破綻(はたん)が全体の破綻につながる。隔壁のないタンカーみたいなものです。 『国家の品格』 で危惧(きぐ)したものです。


ネットをいろいろと見ていたら
どうやら 『国家の品格』 には批判もいろいろとあるようだね。(笑)
例えばコチラ。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/2b365b2a38ca7996074020857aca73c4

批判を読んでみると分かるけれど、
「確かにその通りかも…」
ってのもたくさんあるよ。(笑)

でもね、藤原 正彦 さん の両親はともに
作家の 新田 次郎 さん と 藤原 てい さん
ということだそうなので、
自ずと作家的・芸術家的な感性や直感が
大きく働いているんじゃないのかな?


ま、いずれにしてもさ、
このインタビュー記事の中にも
僕らが今考えてみるべきことのヒントが
たくさん含まれているようには思うよ。(笑)



では、今日はここまで。



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日々是修行

2007-12-21 02:34:54 | 新聞ネタ
最近は物を食べている時が一番幸せかも…。

だってさ、食べている時って
思考がほとんど停止しているでしょ?

そうして何にも考えずに
ただ本能のままモグモグやっていると
理性からすっかり解放される感じがして
大変に心地好いのです。

もしかして危ない?(笑)


さて、今日は久しぶりに新聞ネタです。

昨日の朝日新聞夕刊11面
花園大学教授 佐々木 閑(しずか) さん の
日々是修行(ひびこれしゅぎょう)
の欄からです。

私たちは、
「立派な人は立派な死に方をする」
と思いがちですが、
あの釈迦の死因は
なんとただの食中毒だったそうです。(笑)

で、こんなことが書いてありました。


死に際の良し悪しは運の問題だ。心根の悪い人や愚かな人でも、運がよければきれいな死に方をする。誠実に生きても、運悪く痛みの激しい病にかかれば、泣いたりわめいたりしなければならない。それは、その人の価値とはなんの関係もない、ただの偶然である。
(中略)
死に際の姿で人を判断するなかれ。人生の意味は、その人生の全体にある。長く続く日常の中で、毎日積み重ねていくわずかばかりの行いや思いが、少しずつ積もって、自分でも気付かぬうちに人生を形づくっていく。たとえ最期が悲惨であったり、苦しいものであったとしても、そんなことですべてが否定されるほど、人の一生は薄っぺらではない。

死にゆく者も、送る者も、そのことを心に掛けておいてほしい。安らかに逝く人の姿は素敵だが、それよりも、誇りをもって自分の正しい生き方を決めていく人の姿の方がもっと素晴らしい。なぜならそれは、運不運とは関係ない、その人の本質的な思いを映し出すものだからである。



う~む、まさに 日々是修行 ってわけだね。(笑)

よしっ!
僕も誇りをもって CanCam を買い
あいちん(高部 あい)のDVDを観ることにしよう!

え?そういうことじゃないの?(笑)


ま、とにかく、誇りをもって正しい生き方を決めて
それを毎日少しずつでも積み重ねて行きたいものです。

そうして死ぬことができるのなら
いつどこでどんなふうに死んでも
僕としては本望かも…。(笑)



では、今日はここまで。



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天知る、地知る、子知る、我知る

2007-11-01 03:58:51 | 新聞ネタ
昨日の朝日新聞夕刊の1面の
素粒子
には、
こんなふうに書かれていました。


名物、英会話学校、建材メーカー、事務次官、
老舗(しにせ)とか大手、大物と呼ばれるものに
真実味なし。

焼けてしまえばわからない。
食ってしまえばわからない。
名札の名前を変えていればわからない。

わからなければ何をしてもいいということか。
人は知らずとも、
夫子自身は知っているだろうに。

(※ 夫子(ふうし) … その当人を指すことば。)


う~ん、まったくです。
もう本当にイヤになっちゃうよ。(笑)


きっとみんな
どうしても守りたい何かがあるんだろうね。

で、
「そのためならば仕方がない」
「どうぜみんなだって似たようなことはやってるさ」
という具合にして
都合良く大義名分を立ててしまうのだと思います。

あるいは
競争原理がマイナスに働いている
とも言えるかな?(笑)


僕の今まで社会経験から判断すると、
今回明らかになった事例はあくまでも
氷山の一角
だと思うんだよ。

程度の差はあれ
どんな個人や会社においても
似たような問題は少なからず存在するように思います。


僕がこんなことを書くと
笑われちゃうかもしれないけれど(笑)、
改めて
正しく生きることの大切さ
を思わざるを得ません。

余程生活に困ったら
僕も正直どうなっちゃうか分からないけれど(笑)、
そうでないうちは
なるべく心掛けたいものです。

たとえ貧乏であっても
たとえ伴侶に恵まれなくても(泣)、
こういう点においては
カッコ良く生きたい!
って思うね。

え?負け惜しみにしか聞こえない?
ひ、ヒドいなぁ…。(笑)


ま、とりあえずはまた
あいちん(高部 あい) でも観て
気を紛らすとしますか…。

11/22 に発売予定の 2nd DVD の
サンプルが観られます。
みんなも観てみてよ。
http://enet-dvd.com/media/ENFD-5065.wmv

どう観てみた?
あいちん、カワイイでしょ!
お尻がプリッとしてるよね。(笑)

なになに?
ケツがはみ出てた?

そういう下品なことは言わないの!(怒)



では、今日はここまで。



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器も大切

2007-09-28 03:44:59 | 新聞ネタ
あ~、○○な○○さんに囲まれて
○んで暮らしたいよぉ…。


ハイっ、妄想終了。
元気出して行くぞっ!


つーわけで、今日はまた新聞ネタです。(笑)

昨日の朝日新聞夕刊より、
またまた
人生の贈りもの
の欄からです。

今週は料理研究家の
城戸崎 愛 さん(82)
へのインタビューが載っています。

昨日のタイトルは
「心豊かな食卓の作り方」

城戸崎 さん は
こんなことをおっしゃっています。


―― 食卓を豊かにする極意は
フランスにいたとき、日本人を父に、フランス人を母に持つダルバス伯爵夫人と親しくなったんです。
お茶に招かれると、紅茶と一緒に、どこにでも売っているビスケットを美しい銀の器に盛って出してくれた。これが本当においしく感じられて。なるほど、これなんだな、って。
ダルバス夫人は、1着の洋服をボダンを付け替えて着こなしたり、古くなったソファの生地を自分で張り替えたり、日々の暮らしを楽しんでいました。日本で夏にすだれを掛けるようにフランスではドアの取っ手をガラスにしたりするんです。優雅だなあって思いましたね。

―― 心豊かですね
お料理って、いい器や、使い込まれた懐かしく思えるお皿に盛ると、「品格のある一品」 になる。数をそろえなくてもいいから、自分の好きなお皿を大事に使いこなしていくって本当のゆとりといえるんじゃないでしょうか。
私が学んだ家政学院では、高価で良いお盆やお皿をそろえて、生徒たちに使わせていました。そうすると、おのずと取り扱いが丁寧になるし、盛ったときになんでもない茶わん蒸しなどがぐっと引き立つ。触れて、目で見て、実感することが大事なことなのかなって思うのね。
だから、「あんパンでも子どもに袋のまま与えるな」 「どんなお皿でもいいからお皿に載せて出しなさい」 っていつも言うの。お皿は落とせば割れること、お皿で食べると行儀よくおいしく頂けることを教えないといけない。最近はお惣菜もパックのまま食卓に上がるっていうじゃない。スーパーのお刺し身も変な柄のパックに入ってて。どうして、そんなわずかなゆとりがないのかしら。



ふ~む、なるほど。
器1つでも大切ってわけだね。

そういえば、甥っ子の家では
シュークリームを袋のまま食べさせてたなぁ…。
ウチの姉貴に注意しとかなきゃ。(笑)

とりあえず僕もこれからは
カップラーメンも必ず普通のどんぶりに移して食べる
ようにしようかな~。

ま、冗談だけど。(笑)

でもさ、実際にそういう人もいるらしいんだよ。
そういう人ってもしかしたら
心豊かで本当にゆとりのある優雅な生活をしている人
なのかもしれないよ。

え?そんなわけない?(笑)


それにしてもさ、
“心の豊かさ” って
なかなか難しいよね。

モノをどんなにたくさん持っていても
必ずしも心の豊かさには結びつかない気がするけれど、
モノを上手に使いこなせるということは
ある種の “心の豊かさ” を示しているように思います。

どうかな?(笑)



では、今日はここまで。



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「人間の条件」

2007-09-14 03:17:53 | 新聞ネタ
おっ!昨日は珍しくコメントが3つも付きましたね!
まるで 盆 と 正月 と 総裁選 が
一度にやって来たかのような賑(にぎ)わいです。(笑)

cf さん、コメントありがとうございます。
再三揶揄(やゆ)されているように
やっぱり 「お坊っちゃん」 なんですかね~?
ま、裏を返せば 「人が好い」 のかも。(笑)
ただ、もうちょっと図太さがあれば良かったのに…。

くりばやし さん、コメントありがとうございます。
お久しぶりです。
Radial の TONEBONE は真空管内蔵で良さそうですね。
FULL-DRIVE 2 は音楽学校の先生が持っていたのを
以前見たことがあります。
Fulltone の DISTORTION PRO は試してみたいです。
ただし、もう販売終了になっているようですが…。

ともすけ さん、コメントありがとうございます。
マスハゲ もダメですか?(笑)
きっと普通の会社勤めなんて経験したことがないでしょうから
危惧されているようなことがまさか本当に起こりうるとは
つゆも思っていないのかもね。
実際はいい加減な会社なんてたくさんあるのに。(笑)


さて、では今日の話題です。

一昨日に引き続き、またまた朝日新聞夕刊
人生の贈りもの
の欄からです。

ジャーナリストの
辰濃 和男 さん(77)
へのインタビューの続きです。

遍路で四国の霊場88ヶ所を3度も歩き通した 辰濃 さん。
歩くことについてこのようにおっしゃっています。


―― 歩くから得られるものって何ですか
まず、よく食べる。宿坊では団体のお遍路さんと、歩き遍路が、それぞれ固まって食事をとることが多いんですが、歩き遍路の机には両手で抱えるくらいの炊飯器がデンと置かれて、みんな3杯4杯食べるから、すぐカラになる。早く寝て、朝は5時ごろ起きて歩き始める。
―― 健康的な生活です
野性が甦ってくる感じです。生命力や自然治癒力がみちみちて、元気になってくる。 「森の生活」 の著者ソローは 「自分は1日4時間歩くことで精気を得る」 と書いています。
歩くことを基調にした生活はすがすがしい。足が痛くなったり、動けないと思うこともあるのに、楽天的になります。宿の風呂が汚かったけれどおかみさんの笑顔がよかった、ヨカッタヨカッタ。道に迷ったけれども思いがけない季節の花に出合えた、ヨカッタヨカッタ。そんな感じ。すごく不思議なんだけれど、どんどんこだわる気持ちがなくなっていく。

(中略)
―― 車社会。私たちは歩かなくなりました

歩くことは、単純だけれどもすごく大事です。肉体だけでなく心に大きな影響を与える。人類は直立二足歩行をして以来、何万年もかけて歩くことに磨きをかけてきましたが、今、歩くことができるのに歩かない人がふえている。車社会は人間の心身に多くの否定的な影響を与えています。そのことに、地球温暖化と同じような目に見えない恐ろしさを感じます。縄文のころから培ってきた 「人間の条件」 をなくすことになるんじゃないか。
道路行政の大改革を言うのなら、高速車道重視から、歩行者・自転車・車いす重視の道をつくるという大転換をはかるべきではないでしょうか。




実は僕もね、
夏の間はあまりにも暑いので
あんまり長い距離は歩いていませんでしたが
だんだん涼しくなってきたので
またウォーキング を再開しようと思っています。

若いうちは誰しも
カッコいい車 を乗り回すのに
憧れるかもしれないけれど、
すっかり歳を取ったら
2本の足でちゃんと歩けることの方が
大事だって気付くに違いありません。(笑)

つーわけで、
みんなも是非ウォーキングしてみてよ。
ひょっとすると
価値観や人生観まで変わるかもよ。(笑)



では、今日はここまで。



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懐深き遍路道

2007-09-12 03:04:18 | 新聞ネタ
え~、昨日はさんざん
あいちん(高部 あい) のことを書きましたが、
なぜかまた エビちゃん(蛯原 友里) の夢を
観てしまいました。(笑)
あいちん、重ね重ねスマン…。

あ、そうそう、
エビちゃん は夢の中でも細かったです!


さて、久しぶりに新聞ネタです。
昨日の朝日新聞夕刊、
今までも何度も紹介してきた
人生の贈りもの
の欄です。

今週は、ジャーナリストの
辰濃 和男 さん (77)
へのインタビューが載っています。

辰濃 さん はこれまでに四国の霊場88ヵ所を
遍路でなんと3度も歩き通していて、
その中で今も忘れられない出会いが
いくつかあったとのこと。

ある老人は7年前に妻を亡くし、
カネをためては四国へ来て50日ほど歩く。
その老人はこう言っていたそうです。

「べつに自分が幸せになるなんてえこと願かけねえでもいい。自分1人幸せになったって、何にもならねえだからね。まあ世の中、みんながよくなりゃ自分もよくなるんだからね」

う~ん、なんともすごい言葉だよね。(笑)
で、辰濃 さん はこのようにおっしゃっています。

野に聖ありというけれど、まさに、ここに聖がいると。
いろんな人がいた。違う人生を抱えた雑多な人を包み込む遍路道の懐の深さに心を揺さぶられました。戦後の思想は排除の思想ではなかったか。偏差値でえり分ける、学歴でえり分ける、豪華な家、高価な服、ごちそう、そういうものでえり分ける。



辰濃 さん は一昨日の記事では
こんなこともおっしゃっていました。

ときどき、自分は死者のように生きているのではないか、と思います。
例えば記者時代。火事で焼け死んだ人がいた。死人がいれば記事に段が立つ。そんなことばかりに気をとられて焼け死ぬ人の心を感じていない。官庁の発表にほんの少し独自の味付けをした原稿を書く。 「これをこそ書きたい」 と書いている原稿ではないと思う。ではなぜ書きたいことだけを書かないのか。
お前は息せき切って駆け足でやってきたが、本当に満足する生き方だったのか、大切な物を蹴(け)散らしてきたのではないか……ぜいたくなことを言うなと言われるでしょうが、そういう実感があります。人は宿命的に死者のように生きるのかもしれない。しかし、そこからはいあがり、よみがえることが大切なのではないか。遍路道は私にとってのよみがえりの場所なのです。



こういう記事を読むたびに
本当にいろいろと考えさせられます。

僕だって、いつも
あいちん と エビちゃん と エフェクター のことばかりを
考えているわけじゃないんだよ。(笑)



では、今日はここまで。



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楽しく生きるコツ

2007-08-16 05:36:49 | 新聞ネタ
いや~、東京は暑いね。
今この時間になってもまだ暑いよ。
アメダスの午前5時の気温を見たら
東京はなんと 30.5℃!
普通に考えたら明け方の気温じゃないよね。(笑)

家の中より外の方がちょっとは涼しいかと思って
さっきベランダへ出てみたんだよ。
そしたら全然変わらないの。
も~イヤになっちゃうよ。(笑)

3時ごろ空を見たら薄い雲が掛かっていたんだよね。
もしかしたら放射冷却が妨げられていたのかな?
このまま昼間になって雲がなくなったら
間違いなく 36 ℃ くらいまで上がりそうです。

さて、今日は久しぶりに新聞ネタです。
昨日(2007/8/15)の朝日新聞夕刊の8面に
タレントの 所 ジョージ さん のお話が載っていました。

所 さん って、仕事も趣味の延長みたいな感じだよね?
彼が出演する番組を観ていると
自身が率先して楽しんでいる雰囲気が
こちらにも伝わってきます。

そんな 所 さん なのですが、
彼のモットーの1つでもある
“楽しく生きるコツ” について
こんな風におっしゃっています。

「みんな何のために生きるのかと悩んで行き詰まる。でも悩むことが生きている意味で、模索しているのが答え。それに気付けば何でも楽しい」

う~む、なるほどそうかも…。
それにしても達観してるなぁ~。
発想の転換がお見事です。(笑)

「金銭的に無理という人もいるけれど……。あるもので楽しむことも幸せ。ものがいっぱいあると楽な方にいってしまうから」

これには耳が痛いです。(笑)

彼は現代人の生活スタイルにも
違和感を抱いているようで、
こんなこともおっしゃっています。

「忙しそうに携帯電話でメールを打ったり、留守電を聞いたりするのは生きている手応えが欲しいから。でも正しい手応えではない。昨日と違うことを必ず見つけようと思わなければダメ」

ひゃ~、なんとも厳しいお言葉。
現代人をバッサリです。

さらには…

「みんな昔は良かったというけれど、今が一番良いに決まっている。いつかは死んじゃう。いっぱいやりたいことがあるので私は慌(あわ)てて生きている」

確かにどう考えても今が一番良いかもね。(笑)
それにしても感心なのは
やりたいことがいっぱいあるから慌てて生きている
とのこと。
僕も見習いたいものです。


まあね、所 さん はもう十分にお金もあるし
仕事もちゃんとあるし、奥さんも子供もいるし
友人や仲間もたくさんいるだろうから、
一般の人よりは精神的にも余裕があると思うんだよ。

だからね、そういう余裕がなければ
なかなかこういう発想は出てこないんじゃないの?
って気はするんだけどね。(笑)


ところでさ、
僕が理想とする “大人” って
有名人の中に何人かいるんだけれど、
実は 所 さん はそのうちの1人なのです。

他には 高田 純次 さん あたりも理想だね。
ああいう大人になりたいです。(笑)

えっ?気が知れない?
でも、あの適当なところがいいと思うんだけどなぁ…。(笑)

だってさ、あの歳であんなにいい加減な感じなのに
あんなにみんなに愛されているって
かなりスゴいと思うんだけど
どう?(笑)



Unknown さん、コメントありがとうございます。
作曲者情報をありがとうございます。
なるほど、そうでしたか…。


ともすけ さん、コメントありがとうございます。
ジェイク はなかなかカッコいいでしょ!(笑)
ちなみに彼はハーフなんだよね。(母親が日本人。)



では、今日はここまで。



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よく知りもしないくせに、人のことを簡単に「嫌い」とか言うな!

2007-07-29 05:00:56 | 新聞ネタ
え~、ワケあって
このところずっと記事の最後に載せていたリンクを
これまでの分も含めて
すべて削除することにしました。

ついでに、それにまつわる紹介記事のブログも
ちょっと手直ししておきました。

別に辞めたわけではないんだよ。
ただ、
もしかすると先方に迷惑が掛かることもあるかな…
と思ったので、
万が一のためにも載せない方が無難だろうと判断しました。

それにさ、あんなリンクがあったら
僕も好きなことを好きなように書けないからね。

つーわけで、
これからはより一層の自己責任において
思うところをなるべく素直にガンガン書こうかなと…。(笑)

ところでさ、急にこんなことをすると
「何かあったの?」
って思うかもしれませんが、
ま、ちょっとね。(笑)


さて、久しぶりに新聞ネタです。
昨日の朝日新聞朝刊、社会面の

投票日を前に
ニッポンのゆくえ
という欄からです。

こんなことが書いてありました。


何かのきっかけで集中豪雨のような非難や批判が殺到する。問答無用で切って捨てる言葉があふれる。解決につながる冷静な議論がしにくい。そんな例が時々起きる。
こうしたバッシングはなぜ起きるのか。朝日新聞の無料会員サービス 「アスパラクラブ」 会員にネットでアンケートしたところ、「すべての問題を敵味方で分けて単純化し、相手の意見は聞かないという 『想像力低下』 のため」 (東京都・20代男性) などの答えが寄せられた。佐藤俊樹・東大准教授 (社会学) は 「しがらみのないネットの匿名社会で、好き嫌いの形で主張することで 『自分は正しい』 と思える。そんな自己肯定感を求める人が増えたことが背景にある」 とみる。



というわけで、僕がリンクを削除した理由も
こうした社会的傾向の一端と思えるゴタゴタがあって
ウンザリしたからってとこだね。

ま、僕を非難したり貶(おとし)めたりすることで
満足のいく自己肯定感が得られるというのなら、
この際喜んで犠牲になりましょう!
…とか言ってみる。(笑)

これはもうしょうがないんだろうね。
それにしてもフェアじゃない人が多すぎて
ホントにイヤになっちゃうよ。


ともすけ さん、コメントありがとうございます。
すげーでしょ?(笑)
それより、息子に見えたのか…。
ま、でも、僕の言わんとしたところは
分かってもらえたようなのでうれしいです。

ところで、あの漫才師風ファッションのコンセプトは
僕にもさっぱり分かりません。
謎です。(笑)
トレードマークなのかな?
でも、普通のロックファッションは
きっとイヤなんだろうね。(笑)




では、今日はここまで。



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人は人のためになら…

2007-07-14 05:00:08 | 新聞ネタ
大和證券の新しいCMが流れているようだね。

先日紹介した
顔が引きつったエビちゃん(蛯原 友里)
のその後バージョンです。
3バージョンありますが、
設定としては前回からの続きモノのようです。

今回も相変わらずカフェの中で
例の中年太りのサラリーマンのおじさんに
しつこく話し掛けられています。

しばらくは我慢をして
おじさんの話に付き合ってあげていますが、
最後はタイミング良く逃げ出す
という寸法です。

迷惑そうにしつつも
相手の気を悪くしないように
上手い具合に受け答えをする様子が
何ともおかしいね。(笑)

前回のバージョンでは
エビちゃん がちょっぴり感じ悪く見えたけれど、
今回のバージョンを見ていると
必ずしもそういう感じはしないね。
つーか、むしろ人が良く見えます。

けどさ、あんなCMを見せられちゃったら
街で偶然 エビちゃん を見かけても
「エビちゃんですよねぇ?」
って声を掛けづらくなっちゃうよね。(笑)


さて、今日も新聞ネタです。
また昨日の朝日新聞夕刊の
“人生の贈りもの”
の欄から。

欽ちゃん(萩本 欽一 さん)
今度はこんなことをおっしゃっています。


―― そんなに楽しんでいたテレビから、あっさり退かれました
人がね、引いてったんです。ずっと番組をやってくれたプロデューサーがやめた。マネジャーもやめた。ああ人が引いた、旬が引いたなって。数字も下がりました。ずっと休みなくやってきたけれど、それは僕ががんばったんじゃない、スタッフとか、だれかのためにがんばってきた。だから、何かがスポンと抜けた感じがしたんだね。
30%取っている時も、自分でやってるなんていう気はしなかったよ。僕はみんなのためにがんばっていたし、みんなは欽ちゃんのためにがんばってくれて。人はがんばるんじゃない、だれかががんばらせるんだよね。
(中略)
・・・・・ 人は人のためにならがんばれるんですよ。
だからね、ゴールデンゴールズで選手たちに言うの。「実力で打とうとするな、だれかに打たせてもらえ」 って。この間もね、「ふるさとの方を見て、おっかさんのために打て」 と言ったら、本当に三塁打打っちゃった。



う~む、なるほどそういうものかもね。(笑)

自分だけが得をしたいとか
自分だけがいい思いをしたいとか
自分だけが幸せになりたいとか…
そんなふうにいつも
“自分のため”
ばかりを考えていたのでは、
結局は頑張ることもできないし
実りも少ないのかもしれません。

何事においても
「みんなのために頑張る!」
という気持ちを持ちたいものです。
これもやはり
「忘己利他 (もうこりた)」
の心掛けだと思うよ。


taro くん、コメントありがとうございます。
やっぱそうだよね!(笑)


では、今日はここまで。



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おばかちゃんには運がある

2007-07-10 02:16:32 | 新聞ネタ
続けてまた更新です。
3時間ほど前にちゃんと
昨日のブログも更新してあるから
ヨロシクね!(笑)

さて、また新聞ネタです。
先日も紹介した朝日新聞夕刊の
“人生の贈りもの”
という欄。

今週はコメディアンの 欽ちゃん こと
萩本 欽一 さん
へのインタビュー記事が載っています。

欽ちゃん は40歳代のとき
テレビで高視聴率を誇っていたシリーズ番組を
全部やめてしまいました。
「テレビではやることをやった、やり遂げた」
という思いがあったそうです。

それで、
ぼくって漢字を知らないなぁ…
言葉知らないなぁ…
勉強したいなぁ…
と思って、
大学受験の予備校に入ったんだって。
それがすごく面白かったそうです。

特に歴史。
なかでも一番印象に残ったのは
卑弥呼の話
とのこと。

で、こんなことをおっしゃっています。


天下取るのは運だなって。「エイヤッ」 って叫んだら雨が降ったりして、みんなびっくりしてついてきた。そして国ができた。国でも家でも会社でも、人を動かすってそういうこと。メッセージを叫んで、壁にぶち当たれば 「エイヤッ」。一発勝負、運だね。野球の監督をやっていると(※注:欽ちゃん は現在、社会人野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」 の監督)、卑弥呼の気分になれるんです。
学校って40、50歳から行くのもいいよね。教科書、おもしろいんだもん。先人たちのおばかな行動が載ってるから。なーんだ、おばかだということは恥ずかしいことじゃないなって思うようになった。頭いいやつの方が横着だよ、考えるだけで動かないもん。おばかは思いつくし、やっちゃうから、運がある。自分がおばかちゃんだなあと思ったら、まずは叫んでみることだよ。



どう?特に最後のところなんか
とても良いことを言っているんじゃないかな。

確かに “頭のいい奴” って
横着なところがあると思うよ。
“考えるだけで動かない”
ってのはちょっと大げさとしても
“失敗を避けて無難な行動しかしない”
ってところはあると思うからね。(笑)

その一方で、
“おばかな奴” は変なことを思いついたり、
いきなり何でもやっちゃたりするからね。
もちろん大失敗することもあるだろうけれど、
代わりに “運も引き寄せる” ってワケだね。


う~ん、僕もイマイチ頭が良くないからなぁ…。
とりあえず叫んでみることにしますか。
せーの、
エビちゃん(蛯原 友里)、
結婚してください!


あ、いきなり壁にぶち当たりました。(泣)
んじゃ、「エイヤッ」

では、改めて
せーの、
誰か養ってください!


・・・・・


えっ?もういい加減にしろ?
まあまあ、そうおっしゃらずに。(笑)
もう一声だけ叫ばせてくださいよ。

せーの、
とりあえず誰か金くれ!


ごめん、ホント、冗談だから、
みんなそんな怒らないでよ…。(笑)



では、今日はここまで。



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何のために死んだのか

2007-07-01 04:38:08 | 新聞ネタ
先週一週間、朝日新聞の夕刊の
“人生の贈りもの” という欄に、
作家の 小田 実 (おだ まこと) さん への
インタビュー記事が載っていました。

一部を抜粋して紹介したいと思います。
小田 さん はこんなことをおっしゃっています。


―― 憲法改正が当たり前に議論され始めた日本はどう見えますか

非常に恐ろしいと思うね。平和憲法は単に理想を説いたものではないんだよ。第2次世界大戦で日本は大義名分を掲げて中国を焼き、殺し、その結果、正義を掲げるアメリカに焼かれ、殺された。私は、今でも大空襲のあとの強烈な臭(にお)いを思い出しますね。放置され、腐った死体の臭い。戦争は殺し合いだよ。正義の戦争なんてないんだよ。その痛切な反省に基づいて日本は平和憲法を持った。その大事さ加減が、今の人にはわかってない。
・・・・・
結局、正義の戦争なんてないんだよ。日本の都市焼く尽くしを指令した米軍の指揮官は 「戦争はすべて不道徳だ。道徳を考えれば戦争に勝てない」 と言った。「正義」 は 「不正義」 にどんなことをしても勝たなければいけない。不正義は毒ガスを使ったり、むちゃくちゃする。そしたら正義も原爆を落としたり、むちゃくちゃする。結局、市民が意味もなく死ぬ。だれも生き残らない。
・・・・・
戦争という装置の中ではふつうの市民が被害者になり、加害者になる。残虐行為も犯す。被害者と加害者が一体になるのが戦争のサイクルなんですよ。
・・・・・



―― ふつうの人間にできることは大きい

最近 『中流の復興』 という本を出した。帯に 「日本の 『中流』 が世界を変える」 と。そのとおりですよ。日本は戦後、電器釜やインスタントラーメンを作って豊かになった。軍需産業に依存しなくてもできると証明したのは人間史上初だよ。社会保障も充実させ富をきちんと分配して、そんなに貧しい人も、そんなに大金持ちもいない安定した社会をみんなでつくったでしょう。この中流のくらしをちゃんと守ることが大事ですよ。
・・・・・


―― 憲法が改正されても、今の日本が軍事大国になるとは考えにくい

戦争を知らない人は、戦争に向かっていくときは街に軍歌が鳴り響き、みんなが日本の勝利をひたすら祈っているような異常な状況になると思っているらしい。でも私の経験では、ありふれた日常の中で進行し、戦争へと突入していった。
ヒトラーだって、議会制民主主義のルールの中で平和的に政権交代したんですよ。私が今一番憂えているのはね、民主主義の理想を説いたワイマール憲法をつぶしてナチ独裁政権ができたときと同じことが、日本で起きるんじゃないかということです。ヒトラーは憲法改正すらしなかった。ただ 「国民と国家の困窮を救う」 ために憲法を一時的に 「棚上げ」 すると議会で決め、再軍備に乗り出した。攻撃用の兵器をつくる意図はない、もっぱら防衛用の兵器に限定し、平和の維持に資するつもりだと言ってね。反ナチの人まで 「立派だ」 といって褒めたんだよ。でも事態はどう変わったか。
・・・・・


―― 憲法9条の平和主義は非現実的という人もいます

自衛隊は解消し、世界を非暴力の世界に変える努力をしなければならないと私がいうと、理想論だ、現実的に考えよう、自衛隊は憲法でちゃんと認めて歯止めをかければよい、自衛のためには軍隊がいるという人が増えている。でも、本当にそれが現実的なのか。
戦争でいちばんつらかったのは飢えと空襲だった。食糧切符をもらっても現物がない。あと半年戦争が続いたら栄養失調で死んでたよ。今でも日本の食糧自給率は40%。それから空襲。日本は全然抵抗する力がなかった。石油がないから。飛行機も飛ばんよ。日本は 「普通の国」 じゃないんだよ。そんな国が自衛のためだろうが何だろうが、戦争なんかできますか。
いまの若い人は、この冷徹たる事実を知らんわけや。日本が戦争できるような顔してしゃべってる。理想でもなんでもない、現実ですよ。そこから出発しないと。



(98年に出版した 『玉砕』 について)
―― 水も武器もない極限状況の中、祖国防衛の防波堤になろうと、圧倒的戦力を持つアメリカに持久戦を挑む日本兵が描かれます

この小説を英訳したドナルド・キーン氏は、これを読むまで 「玉砕した日本人は何かに酔っていたと思っていた」 と言った。今でも多くのアメリカ人が、特攻や玉砕攻撃を行った日本人は狂っていたと思っている。本当にそうなのか。
私は玉砕した島へつぶさに行き、長い間考え続けた。そして、もし自分がそこにいたらと思って 『玉砕』 を書いた。
彼らはふつうの人間ですよ。酔ってもいない、狂ってもいない。いろんな過去を背負いながら極限状況に追い込まれて、自分なりに玉砕の意味を考えて苦しみ、戦い、死んだと思う。「狂った人間」 と切り捨ててはいけない。誰にとっても、あなたにとっても、現在でも未来でも起こり得ることだ。


―― 映画 「硫黄島からの手紙」 を連想しました

私が描きたかったのは 「ことの是非はともかく日本兵は立派に戦って死んだ」 ということではないよ。彼らは無意味に戦わされ虫けらのように死んだ。玉砕をただ美化して根源にある悲惨を見過ごしては、本当の意味で彼らは浮かばれませんよ。



戦後、日本人はみんなが必死で頑張って
誰もが中流の安定した生活を得ました。

ところが、そうして一度豊かさを覚えると、
自分だけはもっと豊かになりたい!
自分だけはそれを絶対に手放したくない!

って思うような人が増えてきたんだろうね。
元々自分だけの力で豊かになれたわけでもないのに…。

そういう人たちはさも調子の良いことを言って
上手い具合に自分の側に利益を誘導。

で、すっかり世の中おかしくなってきた。

身の回りに可哀想で困っている人がいたって
自己責任だなどと言って見て見ぬふり。
つーか、そもそも見向きもしないか…。(笑)
もちろん本気で何とかしてあげようなんて
つゆも考えません。
自分がどうすべきか、自分に何ができるかだって考えません。
結局は自分さえ良ければOKって感じでしょ?


今月末には選挙があります。
内閣の支持率は落ちてるかもしれないけれど、
それでもどうせまた結局は
多くの人が●●党に投票するんだろうなぁ…。


・・・・・


もうウンザリだよ。




では、今日はここまで。



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地球のことを考えよう!

2007-06-14 05:23:43 | 新聞ネタ
ケツメイシ の “また君に逢える” の PV に
エビちゃん(蛯原 友里)
が出ているね。
http://www.youtube.com/watch?v=JTVsDf9-RIk
これまた超~可愛いです。

う~ん、でも確かにこういうのを観ると
お人形さんみたいに見えるかも…。

あ~、僕としては
エビちゃん の運転するオープンカーの助手席に
是非とも乗ってみたいものです。

なんなら後ろのトランクの中でも良いよ。
なんちゃって。(笑)


さて、今日はまた新聞ネタです。

コムスンにしろNOVAにしろ
どちらも競争社会の中で金儲けばかりを考えて
成長・拡大路線を無理矢理に推し進めようとした
結果のようにも思います。

そこで、ちょっと論点は変わってしまいますが、
昨日の朝日新聞朝刊32面
aspara(アスパラ) エコライフ の欄に載っていた
Think the Earth プロジェクト理事長
水野 誠一 さん
のお話を紹介したいと思います。

「科学技術の力によって物が大量に作り出され、そして知識があふれた時代、それが20世紀です。経済至上主義で突っ走ってきて、歯止めが利かなくなった結果、何が起こったのか。このままでは資源を使い尽くし、環境も破壊するという問題に直面しました。しかし、環境を破壊するからといって経済活動を押さえ込むのではなく、エコノミーとエコロジーの共存を考え抜くことが21世紀の課題だと思います。AかBかという二者択一ではなく、AとBとが共にある、バランスの取れた社会を目指したい。そういう知恵を使う時代になったのです」

「経済活動のマーケットというのは社会や時代と共にあるもの。政治、経済、社会という世の中の仕組みをトータルにバランスよくさせて進んでいかなければ、問題のツケは大きくなるばかりです。その仕組みを考える知恵が必要だ。私はそれをソーシャル・デザインと位置づけました。これが21世紀のキーワードになると思います」

「例えば自動車メーカーは、もうこれ以上ニューモデルを作って激しい生産競争をするのではなく、高度なリース・レンタルシステムなど、新しいサービス提供ビジネスに変身して、今までと同じ経常利益を上げられるように発想を転換していく。自治体なら、ダムを新たに作るのではなく、土砂が堆積(たいせき)して用を成さなくなったダムを撤去する工事を公共事業とする。このほか、使われていないまま残る各地に公共施設で、いかに利益を上げるか知恵を絞るなど、考え方を切り替えていくことです」

「量で稼ぐのではなく、質で競争できることを目指したい。企業で働く人も、いつも問題意識を持って自分の仕事を考えていくことが肝心です。環境問題はなぜ重要か。いまの自分に一つでもできることはあるだろうか。はじめは自分一人が何かしようとしても無理だと思うかもしれない。でも、学んできた知恵や技術をいつか社会に役立つものにできないか、と意識するだけで、視点が磨かれていきます」



最近僕が気になっているのは
バイオエタノールの問題だね。

石油依存と地球温暖化という両方の問題に
いかにも有効であるということで
世界中が飛び付いているようだけれど、
先日の報道ステーション(テレ朝)によると
あの原料となる植物の生産のために
アマゾンの森がどんどん切り開かれているそうです。

これではかえって環境破壊だよね?(笑)

世界の人口だって増え続けていて
この先食糧危機に陥る可能性だってあるのに、
食料としてちゃんと食べられる物を
自動車のための燃料として使うというのも
なんともおかしな話です。

そもそも今現在においてだって
世界中には飢えて死んでいく子供が
たくさんいるんだからね。


発想の転換に世界中がもっと本気で取り組まなければ、
食料やエネルギーをめぐる地球規模の戦争が
近い将来に起こる可能性だってあるかも…。

今まで理想としてきたような従来型の
経済的発展や成長を追い求めていくことは、
個人においても、企業においても、国家においても、
もう考え直すべき時期だと思うよ。

みんなの幸せのためにも、地球のためにもね。



では、今日はここまで。



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