松江にはちゃだの父がいる。
私にとっては義父に当たるが、義母はもう亡くなっていていない。
義母が亡くなってもう何年になるだろうか。
たぶん・・・と言っては何だが2006年だったような気がするので、
もう7年にもなるのだなぁ。
命日がちょうどGWなのでいつも義父は帰ってこなくていいよと言ってくれる。
なので、今年は明日1ヶ月早く帰ろうと思っている。
義父は浄土真宗で、しかも門徒としてお寺に寄進するほどの仏教徒。
義母のお骨も分骨して京都の西本願寺に納骨してあるほどだ。
もちろん義母の葬儀も全て真光寺というお寺が取り仕切った。
今思えば、義母はそんな大きな葬儀は望んでいなかったと思うけれど、
結果として義父はお通夜から葬儀、お墓からお仏壇まで、
義母に良かれと思うことにはお金に糸目を付けず供養している。
余談だが、私たちも去年実父の葬儀式をしたので分かってることだけど、
一般のセレモニーホールというのはどうしてあんなにも高額なのだろうか。
義父も冷静に判断できない精神状態のうちに、
あれもこれも義母のために立派に盛大にやり尽くしてしまったのだと思う。
実父の葬儀代を考えると、義母の葬儀は一体いくらの金額だったのだろうと、
想像して驚くしか無い。
私たちが明日帰って義父に申し訳ないと思うことは、仏壇というものに全く関心が無く、
それに向かって手を合わせるということなど考えもしないということだ。
事実、私の実家にあった仏壇は、
教会の牧師先生の手によって何の斟酌も無しにたたき壊され、
教会の大きな駐車場の土の上で丸焼きにされた。
そういうことなので仏壇にお供えとか・・・考えられなくなっている。
義父には本当に申し訳ないと思いながら、
仏壇へのお供えでは無く、手土産を持っていくくらいしかできないな・・。
初めの頃はそれでも形だけでも手を合わせたりはできたのだけど、
それは自分たちの信仰心がどんどんと変わってきているからだと思う。
仏壇はタダの木の箱だと思うので、そこには何も無いし、
何の思いも感じることは無いような気がする。
私たちに出来ることは義母のお墓に行って祈りをささげること。
それもお墓の前でなくてもとは思うけれど、
「墓前礼拝」というものもあることだし。
義父はなんと思うのだろうか。
気を悪くされないといいなと思う。
そう思うのだったら形だけでも合わせてあげればいいのだろうけど・・・
なんとなく・・・。
くぅ