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み言葉が与えられるということ

2016-03-13 23:26:05 | 宗教・教会

 今まで同じ教会のメンバーが「神さまからみ言葉が与えられて」というのを、
 何度も何度も聞かされていた。
 その状態はどういうときに起きるのか?
 神さまからみ言葉が与えられるってどういうこと?
 声が聞こえてその聖句が頭で響くのか?とか、
 そんな超自然現象のようなことは信じられなかった。

 でも、最近私はそういうことがあるかもしれないと思うようになった。
 その体験を「み言葉が与えられる」というのかどうかは分からないけれど、
 自分の心に残り続ける「み言葉」というのは絶対にある。
 それが私に神さまが与えて下さった「み言葉」なのなら、
 私はごく最近、神さまからみ言葉を与えられた。

 「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、
          あなたの神、主を愛しなさい」

            (旧約聖書  申命記6:5)

 これが今、毎日我が家で行っている聖書朗読の中で、
 何度も何度も繰り返され、私の心に残っていった「み言葉」である。

 私達は主を信じて祈るけれども、ここまでの覚悟を持って主を崇めているだろうか。
 心、精神、力・・・これらの全てを「尽くして」主を愛する。
 そんな愛し方が我々、心の弱い人間にできるものだろうか。
 しかし、新約聖書でパウロもこの言葉を書簡に書き残している。
 多くの教会に手紙を送ったパウロが、
 このみ言葉を懸命に伝えようと、何度も手紙に書いた。

 イエスさまが最後の夜にゲッセマネの園で、
 血の汗を流されて、御父である神さまに祈られた記述があるけれども、
 そこまでの苦しみを祈りに込めて、ただひとつのことを祈り、
 主を愛し、神を愛し、信じ切ること。
 そのことを神さまは我々に求めておられるのだ。

 今の私にはそれが足りない。
 神さまは聖書朗読を通じて、私にそう語りかけられたに違いない。
 この聖句が、私が神さまから与えられ、私の心が受け取った教えであると思う。

 4月27日は私達夫婦の受洗記念日だ。
 2008年にパプテスマを受け、満8年のその日が来る。
 その間に、私はようやく「み言葉をいただく」という体験を得た。
 この聖句を心に刻もう。
 そして、心を尽くして、精神を尽くして、力を尽くして、主を愛そう。



     

 

 

 

 

 くぅ

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今日の写真集

2016-03-13 23:12:04 | よもやま

 今日の教会はもう春。
 今の牧師先生が伝道師から牧師になった記念の白木蓮も花を付け、
 庭の濃いピンクの桜の枝もつぼみが膨らみ、
 受付や講壇の花瓶に活けられた。

 花壇やそこここに置かれた鉢植えも、
 パンジー、カランコエ、シクラメンなど花盛りで、
 ここにも神さまの恵みを感じた1日だった。
 生を受けて精一杯咲いている花たちは、今を盛りに咲き誇っていた。

 ☆チャペルの講壇のお花 桜はお庭の枝☆

 

 ☆ハンギングのパンジーが薄紫で綺麗☆

 

 ☆満開に開いたカランコエ☆

 

 ☆鉢植えのお花も玄関でお出迎え☆

 

 ☆受付の桜もつぼみが膨らんだ☆

 

 ☆長く咲いて入れているシクラメン☆

 

 ☆花壇のお花も咲き乱れて春らしい☆

 

 ☆牧師先生の記念樹の白木蓮☆

 


 さて、帰ってくると我が家のネコちゃんたちは思い思いの場所でくつろいでいた。

 ☆起こされて少々不機嫌なリンちゃん☆

 

 ☆壁により掛かってホカペで温まるはなちゃん☆

 

 ☆のびーーーーーる、ルカ☆

 

 今日は写真特集みたいになった。
 教会もこれからもっと明るく賑やかになっていくのだろうなぁ。

 

 

 

 くぅ

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