「シーハン症候群」という病気は、40年ほど前は解明されていなかった。
私の母はこの病気だった。
50年ほど前、私を出産した時に、
私が結構大きな胎児だったのと逆子だったのにそのまま分娩し、
私は股関節亜脱臼をするという・・・
そんな危険な出産を母は体験した。
今ならそんな状況ならすぐに帝王切開になるだろうが、
その頃は「産婆さん」が無理にでも産ませるような時代だった。
そんな出産で母は大量の出血をしたが、特に問題になることもなかった。
その後から、母は胃腸の不調、冷え性、脱毛、低血圧、など、
いろいろな症状に悩まされ、
何が原因かも分からないまま胃腸の不調があるといえば、
何かにつけて、入退院を繰り返していた。
私がちょうど中学校に入学する頃が、
母の病状が最悪の時期だったと思う。
体調不良で病院に入院していた母が、
「部屋に蝶々がいるから出してあげて・・」などと、
幻覚を見るようにもなった。
そんな時、その病院に出向で、たまに来て下さっていた、
国立大阪病院の小笠原先生という方が、
たまたまその病気の専門家で、
今までなんの手がかりもなかったのに、
これは今、自分が研究している病気だと発見して下さって、
すぐに大阪国立病院(現在の国立病院機構大阪医療総合センター)に転院して、
この先生が治療をして下さった。
シーハン症候群は「下垂体壊死」で起こる。
だからそのためのホルモンを一生補充し続けなければならない。
でも、言い換えればそれさえ怠らなければ、
普通の人と同じように生活ができるという病気だった。
今から考えると・・・
たったそれだけのことだったのに・・・・。
母はそのあと、町内の婦人会で温泉旅行にいったり、
大好きな編み物をしたり、
7年くらい取り戻した自分の人生を楽しんだ。
そのことが私の唯一の救いなのだが・・・・
私が20才の時「悪性リンパ腫」で亡くなった。
この事とシーハン症候群の関連は分からないけれど、
たった7年でも元気に好きなことができた母は倖せだっただろうか?
あの悪夢のような、明日の見えない治療の日を思い返すと、
この病気を研究していた先生に出逢わせて下さった神さまに、
感謝したい・・・・。
その7年間は、母は自由に好きなことをして楽しんでくれたのだと・・・
くぅ