祇園祭なんですね。(^^;
そろそろ梅雨明けか。
テレビでなく実際の祇園祭を見たのはもう50年以上も前の事。
あの頃の夏は今ほど暑くなかったのだろう。
当時、何処の学生も自室にエアコンなんて持って無かったように思う。
扇風機とウチワでなんとか暑さを凌いでいた。
最高気温36度とか38度なんて日もあったのにねぇ。
エライねぇ昔の人は!って自分もその時代を生きていたけど。(笑)
ところで、今日はお絵描きの日だった。
皆さん花火を描いておられたが、自分ひとり別メニュー。
描いたのがコレ。
単色で描こうとしたが途中で諦めた。(^^;
ところで2、去年の今日書いたブログの記事のことを
自分はすっかり忘れてしまっていた。
人間の器というタイトルで書いている。
看護師、僧侶という肩書きを持つ玉置妙憂さんの話。
法律事務所で働くも。長男の重度アレルギーが看護士を目指すきっかけとなり、
癌を積極的に治療しないという夫の自然死を見て出家、今は、看護師としてスピリチュケアケアの活動を続けている。
興味ある方はリンク先へ飛んで頂きたい。
ただ、自分が書いた人間の器に対する個人的見解は余計だったかな、と読み返して思ったことを付け加えておく。でも、そのおかげでコメントも頂いたのだが。(^^;
あの時書いたことに 今も変化は有馬温泉
あの器の方のように 幾度も方向転換は
できない私です
なにしろ その才も やる気もなしです(;^ω^)
その点 愚石さんは 色んなチャレンジを
されてるから その才もやる気もある方だと
思います
多分ですけどね、彼女の中では方向転換ではなく、ただひたすら人生の幸せを追求しているのだとおもいます。その過程で気になったことはマスターしないと気が済まない性格なんでは無いでしょうかね。
おそらく、看護学校へ行くことも高野山に修行にいくこともどれ程も幸福追求の路線から外れてはいないはず。でもその行動力は凄いですね。
残念ながら私には真似できません。(^^;
お遊び程度の寄り道なら得意なんですが。(笑)
縦軸、横軸の考え方は、私もついてゆけません。守るべき人の数が多いほどよいというのは、わかりますが、そういう環境、立場の人はそういえるが、そうじゃない人も多いですからねえ。
愚石さまのいう「人間の器というのはもっと単純に
他人を許せる度合いじゃないか」に同意します。
また「経験の多少が器の大きさを決める」にも同意。
私は、1週間前までは小池、石丸、蓮舫、どれもだめやけど、もめるのを見るのはまあ面白いという人間です。今週は斎藤元彦知事の辞任拒否の見苦しさ、あれこそエリート官僚の馬鹿さかげんの現れと喜んでいます。彼が辞めたら元明石市長が出ればよいと、これはまじめに考えている私。
人間の器なんて、ちょっと私にはおおげさすぎるお題でした。
デモ、そんな人が世の中に居る、ということを知るだけでもよかったと私は思いました。
先達の偉業って、自分は出来ないけどなんだか勇気を貰うじゃ無いですか!(^^;
大峰山千日回峰行をやった塩沼亮潤師とか、絶対一度会ってみたい人となります。(^^;
そういえば、ご指摘の知事立候補者三名、失礼ながら皆さん器の大きさをまるで感じさせませんね。