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感想

バラとおわら風の盆と釣りなどの雑記

佃大橋と聖路加タワー

2007年07月19日 | 東京
勝鬨橋を歩いて渡ると意外と振動が大きく、橋の欄干の上にカメラを固定しても、長いシャッタースピードですと車が通る都度微妙に揺れてしまいました。5月にはもんじゃ焼きのついでに、前に見える佃大橋から勝鬨橋と聖路加セント・ルークス・タワーを写しましたが、解像度が低く、ぼけぼけの写真となり、写りのいいカメラをと、今のD80にしてみました。東京の夜景は光量も多く、大変美しいですが、もうちょっとおどろおどろした場末の酒場も写してみたいです。
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全体的に舞台な街構造

2007年07月18日 | おわら風の盆

 8月の暑い夏も終わりを告げ、時折秋風が吹きはじめる、風の盆初日に暦が変わった時間、諏訪町から上新町への縦の通路を一人の地方が胡弓1本で流していました。静寂な深夜の空気の中、胡弓の豊かな音色が両脇に建つ家のトタンの壁面に共鳴し、一際大きな音となり、響き渡っていました。また先日のおわら演技発表大会の当日、早朝に曳山会館の駐車場に車を止めたところ、エンジンの音がやはり、まわりの建物に反響し、先ほどまで止めていた静かな広々とした川原にいたときよりも遙かに大きなエンジン音がしていました。また、遠くで散歩中に世間話をしている方の話声も良く聞こえます。そのとき成る程と思ったのですが、八尾の町内はいずれも、このように音が良く響く、構造になっています。それは建物の造りや石段や狭い道路などがうまく絡み合っていることに由来していますが、それだけに八尾には、通りの数だけ劇場や舞台があり、壮大な構造の石垣とこの丘の上の劇場・舞台群が一つの大きな町並みを形成していることが分かります。もちろん意図してこういったものを造ったものではありませんが、八尾という馬の背状になっている狭い土地を巧み利用した町造りが行われたのは300年ほど前の米屋少兵衛の時代からですが、それ以来連綿を現在に至るまで改良が加えられ現在に至っています。そして11ある町内に夫々自前の公民館を持ち、各町競うように演ずるようになると、基本的には自町内での演奏・演舞が中心になることから、町のどこでも(雨さえ降らなければ)おわらが演じられるようになりましたが、またそこは前述の人工的ではあるが、人為的でない公共の通路であったり広場でもある劇場・舞台において行われるようになっています。近年のおわらブームにより、沢山の見物客が訪れるようになりましたが、そういった構造があるせいか、おわらの音色や歌声は、人込みにより音がかき消されることも多いですが、普通の都市の大きな通りで行われるよりも遥かによく聞えてきます。

 そういった意味においても、おわらは屋外で行われるのを鑑賞することが正しい見方、聴きかたであり、昼の風情ある佇まいの中での町流しや、夜の11時頃まで行われる正規行事としての総流しなど大変魅力のある演奏・演技ですが、今回の演技発表大会のように室内で行われるおわらも外で行われる正規行事よりも見る側からすると味わいが少ないようにも思っていましたが、おわら踊りそのもの優美さは室内外を問いませんし、本来は室内で弾くべき三味線・胡弓などを無理やり外に持ち出して演奏していることを考えると、正統は室内演奏に部がありそうです。

 限られた大きさの舞台の中での演技は各町内それぞれの工夫や趣向がありますが、各町内の中でもまた地方、男子、女子踊り夫々の創意工夫や修練があり、その結果の発表であるこの機会を見ることができ大変良かったと思いました。午後1時から始まり夕方の5時過ぎまで飽きることなく、また席を立つこともなくおわらを聞いていることが大変楽しかったです。

 発表大会が始まる前、町内の家の中からとても心地よい三味線の音色が聞えてきていました。しばらく聞えていた音色は歩くことにより、後ろから聞えてくるようになりましたが、遠く離れていてもいつまでも頭の後ろで三味線が鳴り響いているような気がしていました。演技発表大会中は三味線の音は前から聞えていましたが、家への帰途(約170Km)の途中ではまた後ろからの音の記憶が蘇り、音色が聞えていましたし、帰ってきた今も、思い出したように時折その音が後ろから聞えてくるような気がします。

町民広場から禅寺橋を渡り、西町のゲートをくぐり坂道を上がってくるとこの場所に到達します。 

このような狭く、壁に囲まれた道路が多く、良く音が反響し透ります。 

 井田川と西町方面

サルビア・ガラニチカ(耐寒性はそれほど強い方ではないですが、大きく育っていました)

 

※おわら演技発表大会は沢山の方が出演し、観客の方も大勢いらっしゃいますが、全部通して見る人はおわら関係者はもちろんですが、その他は変わり者か、物好き(笑)がほとんどで「家の孫や子供が出てるから見る」「よその支部は見ない」というのが一般的だと事前に教えてくださった方がいましたが、その通りでした……

※ようやくこちらの写真で演技発表会ネタは終了いたします。7月8日から10日もかかりましたが、ここまでご覧くださりありがとうございました。次はいつ行くか未定です。(風の盆はもちろん予約済みですが)

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路地裏では

2007年07月18日 | おわら風の盆

 今は使われることが無くなった味噌釜を見つけました。今はもう自家醸造するお宅はほとんどありませんが、昭和20年代までは、こちらの大釜で大豆を煮て、味噌を作ります。その後各家庭で作られなくなり、隣組の共同作業として味噌玉つくりをする地域もありました。いずれにせよ、手間のかかる作業ですが、村に人が沢山いたからこそできた文化です。こちらの釜は遠目ですが、まだ使えそうでした。

そして、苔むした石段と石垣と石の暗渠。流れる水路のU字溝は比較的新しそうですが、石段と石垣はかなり古そうで、昔からこのような構造をしていたことが分かります。ここは井田川から直登する斜面の一部ですが、小さな路地まで石畳で固められています。

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演技発表大会 大団円

2007年07月17日 | おわら風の盆

発表会の最後の演技は保存会の皆さんの輪踊りです。毎月曳山会館で行われるおわら演舞の際もこの舞台演出が使われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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正式名称は

2007年07月17日 | おわら風の盆

 演技発表会時に撮影した約600枚の写真の整理もようやく終わり残すところあと僅かです。

 

 

だれもいない諏訪町

 

こちらも散歩のおじさんだけの上新町

 

演技発表会と省略していましたが、正式にはおわら演技発表大会といいます。また会場も曳山会館と言っていましたが、こちらも正式には越中八尾観光会館といいます。更に単におわら保存会と呼んでいますが、こちらも正式には富山県民謡越中八尾おわら保存会になりました。ご覧のように告知のポスターは白の紙に文字を打っただけの簡素な作りで、このイベントが地元の方々のためのみの行事だということがわかります。来場者も私のようなおわら好き(地元の方からは物好きと呼ばれている)の部外者は少なく、圧倒的にご近所の方々となっています。このイベントを全国発信し、観光客を取り込むという宣伝戦略は一切していない様子でしたが、この会の趣旨は地元の方に風の盆本番の混雑ではなかなか見られないおわらをこの際ゆっくり見ていただきたいということです。ただそれだけではなく、若手による日々の修練の発表の舞台ということで、本番に向けて確実にステップアップして行く段階のひとつということと、風の盆が大きな本舞台であることを踏まえ、そのリハーサルといった意味合いも併せもっています。近年リハーサルも有料で公開するイベントも多々ありますが、こちらでは、あくまでもリハーサルはリハーサルと位置づけ有料化せずにまた宣伝もせずにひっそりと執り行う、そういう行為にある意味、潔さや清清しさを感じるとることができます。

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紫陽花の町

2007年07月16日 | おわら風の盆

 八尾といえば、小説「風の盆恋歌」で酔芙蓉が一躍有名となりました。けれども本来は暖地を好む植物なので、寒冷な北陸の風土ではうまく育たない植物です。また咲く季節も風の盆には間に合わず、月見のおわらの頃に咲いているところを良く見かけます。ハウスでの栽培など工夫を凝らし、風の盆に間に合わせているお宅もありますが、相当な手間と努力が必要となります。確かに酔芙蓉の優雅な花姿は、その薄い花びらと相俟っておわらの優雅さや、優しさを想起させる花で、自宅でもと思い1本購入する方もいらっしゃいますが、暖かい地方の方ならば、大丈夫です。しかし寒いところの方は地植えでは一冬で枯れてしまいます。 八尾の方々は結構園芸が好きで、特に自宅が道路に面しているお宅はいろいろな植物を鉢植えにして観光客の目も楽しませてくれていますし、摘んできた花をさりげなく玄関先に飾りつけていらっしゃいます。また、東京の佃島同様、路地裏園芸も盛んです。7月8日に行ったときは、丁度あじさいの花が満開でした。

 

 

 

 

 

 

 こうして写真を見返すと好きな水色~青系の写真ばかりですが、赤は確かに少なかったような気がします。酸性土壌なのかもしれないです(推定)

 

 

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諏訪町

2007年07月16日 | おわら風の盆

 

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東新町

2007年07月16日 | おわら風の盆

 

 

 

 

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西町

2007年07月16日 | おわら風の盆

 

 

 

西町から東町へ抜ける道路

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鏡町

2007年07月16日 | おわら風の盆

 

 

段の上は西町になります。

 

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西町の石垣と井田川

2007年07月16日 | おわら風の盆

石垣は川の堤防と一体となっています。

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上新町

2007年07月16日 | おわら風の盆

 

 

 

 

 

 

 

 

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八尾 久婦須川

2007年07月16日 | おわら風の盆
天満町にある井田川への合流付近
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演技発表会 演技指導部1

2007年07月16日 | おわら風の盆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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演技発表会 西町

2007年07月15日 | おわら風の盆

 12時45分に会長の挨拶から始まった演技発表会の最初の演技が西町支部の皆さんでした。気の早い私は12時過ぎには曳山会館前に着いていましたが、12時15分の開場時間まで入口の列に並んでいました。当日は無料なのですが、もちろん一般の入館者は500円の入館料を支払えば、早く中に入ることができます。但し、会場のホールには入れません。そうしていると、西町の地方に続いて、ピンクの浴衣の女子が会場へやってきました。この子達はほんとうに「花」があり、芸能人の楽屋入りのような華やいだ雰囲気がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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