前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

インド・秋の死 / 中川勝彦 3

2008年11月14日 20時27分42秒 | 音楽
現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です

さて、NHKのスタジオライブは月に一度ゲストを迎えて放送されていたようです。
というのも、「来月は渡辺美里です」「二月は中川勝彦でした」とライブの後、
誰だか知らない司会の人が喋っている部分が残っていました。

いつの年かははっきりしないけど、二月だったということは間違いありません。
おそらく86年か85年でしょう。86年より後ということは考えにくいです。

そんなに声量のある方じゃなくて、声も伸びにくく、途中で力尽きるのを避ける
ような粘度のつよーい歌い方だと思っていました。 滅茶苦茶な表現ですみません
でも、一度聴いて嫌ってしまうようなタイプではなかったんでしょうね。
覚えている曲があるということは何度か聴いているわけですから。

実はYoutubeでPlease understand meのプロモーションビデオがあったので観たんですよ。
(http://jp.youtube.com/watch?v=wzptt9Rknfw)断然、ライブの方がいいです。
もしも、これを先に聴いていたらもう絶対その先は聴かなかったと思います。
なんてねっちょりした歌い方なんだ。この時の声も好きじゃないです。
おそらく、この時から数年のキャリアを積んで歌もうまくなっていたと思うのですが、
ライブの方がもう少し、声も歌い方も男らしいです。
この人、外見は女性的で軟弱にさえみえるけれど、
実際はいわゆる男気のある人だったのではないかと思っています。

今回、曲名のわからない初めの曲とパラノイアの棲む街がとてもいいなあと思いました。

ここでひとつ疑問に思ったのは、この人は単にシンガーだったのか
ソングライターでもあったのかということです。
外見的なことで注目を受けてしまったけど、自分の容姿に固執する様子もなく、
世の中に向けて言いたいことや、自分の考えがちゃんとあるタイプのようなので、
与えられたものを歌いなさいといわれて、その中だけに収まってしまうとは考えにくいから。

このようにわたしが思うのには一応理由があるのです。
さらに数年後の話になるのですが、それは偶然立ち読みした雑誌の対談でした。
対談の相手は織田哲郎。結局、立ち読みでは飽き足らず購入しました。
理由は中川勝彦ではなく、ずーっと織田哲郎ファンだったからです。それも大変な

この頃織田さんは作曲やプロデュースはしていたかもしれないけれど、
自分のシンガーとしてのライブ活動などは休眠中で、恋しくなってこの雑誌を
買ったような記憶があります。

あまり細かいことは覚えていないけど、記事以外にも随分長い対談になったようで、
二人はソルティドックとお茶を飲みながら話していたとか。
もちろんわたしは織田哲郎中心に読んだはずですが、とても興味深かったのは、
中川勝彦の語るインドを訪れた際に彼が感じた当時のインドについてでした。

現在インドは中国と同様、二十年前では考えられない発展をしています。
しかし、当時のインドといえば、貧しい人は絶望的に貧しかったはずです。
当時のわたしのイメージですと、歩いていると物乞いの人に延々と服を引っ張られ、
怖くてとても行ってみようとは思わないようなところでした。
そこを旅した、中川勝彦は教育の大切さを語っていたように記憶しています。
ちゃんとした教育がないと、ちゃんとした政治は成り立たないだったか?
ちゃんとした教育がないから、ちゃんとした政治がないだったか・・はて?
卵が先か鶏が先かみたいですが 彼のいっていることはわかりますよね。
この対談で、彼はわたしにとても男らしい印象を残しました。

そして更に時は過ぎました。中川勝彦という存在を忘れつつありました。
元々がそんなにメディアに登場する人ではなかったので、ライブハウスや、
俳優もしていたので舞台などで活躍しているのだろうとどこかで思って
いたのもしれません。

ある年の秋を感じ始めた頃でした。新聞で彼の名前をみつけます。
歌手 中川勝彦・・・訃報でした。とってもとっても、驚きました。
白血病でしかもまだ32才。
何度読んでもその記事が変わるはずもないのに、何度もその新聞を開いてみました。
佳人薄命という言葉がこんなににぴったり当てはまると思ったのは、
偶然にも同じ病気で亡くなった女優の夏目雅子の死以来でした。
愚かにも似合いすぎるなどと当時は思ったものですが、
今考えると、そんなに美しいものではなく、きっととても大変な闘病生活
だったのではないでしょうか。
まだまだ、表現したいこともたくさんあったはずです。
加えて、わたしの知らないところで父親でもあった彼には、子供に残す
思いもきっといっぱいあったはずです。

だから、翔子ちゃん頑張ってね。影ながら応援しています。
それと、あなたのお父さんは品も格も具えたとても素敵な人だと思います。

                                      おわり





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