駒澤大学「情報言語学研究室」

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ゆつのつまくし【湯津爪櫛】

2022-10-06 17:42:00 | ことばの溜池(古語)

ゆつのつまくし【湯津爪櫛】 
⑸顕昭『袖中抄』巻 〔京都大学図書館蔵平松文庫蔵二〇八齣所収〕
  ゆつのつまくし
あさまたきけふさいとなくかきなつる
かみなひくなりゆつのつまくし
 顕昭云ゆつのつまくしとは日本紀注云湯津(ユツ)ノ
 爪櫛(ツマクシ)師説湯是レ潔斎之義也。今云由紀(ユキ)ト者是湯
 之義也。主基者是其次也。然則湯(ユ)ハ者是( レ)伊波
 比支与麻波留(ヒキヨマハル)之辞(コトハ)也。津者是レ語助也。天津等
 皆是也。爪櫛(ツマクシ)ハ者其ノ形(  チ)如爪(ツメノ)也。問云
  文ニ投(ナク)ト於醜女(シコメ)ニ[一]爪櫛者同欤。兼欤。答云案古事
  記ヲ云判左ノ之御美豆良湯津之間櫛之男柱
  一箇取闕也。下文云判其右請美豆良之湯津之
 間櫛  闕而投弃。然則左右各別此文難不見
  而猶可依彼文也。
 
 顕昭(ケンシヤウ)云(い)ふ、ゆつのつまくしとは『日本紀注(ニホンギノチウ)』に云(い)はく、湯津(ユツ)の爪櫛(ツマクシ)。
 師説(シセツ)に、湯(ゆ)是(こ)れ潔斎(ケツサイ)の〈之〉義(ギ)なり〈也〉。
 今(いま)云(い)ふ由紀(ユキ)とは〈者〉、是(こ)れ湯(ゆ)の〈之〉義(ギ)なり〈也〉。
 主基(シユキ)は〈者〉是(こ)れ其(そ)の次(つぎ)なり〈也〉。
 然(しか)れは則(すなは)ち、湯(ユ)は〈者〉是(こ)れ伊波(イハ)比支与麻波留(ヒキヨマハル)の〈之〉辞(コトハ)なり〈也〉。
 津(つ)は〈者〉是(こ)れ語助(コノタスケ)なり〈也〉也。
 天津等(あまつら)皆(みな)是(こ)れなり〈也〉。
 爪櫛(ツマクシ)は〈者〉其(そ)の形(かた)ち、爪(ツメ)のごとき〈如〉なり〈也〉。
 問(と)ふて云(い)ふ、文(ふみ)ニ醜女(シコメ)に〈於〉投(ナク)ぐと爪櫛(つまくし)は〈者〉同(おな)じか〈欤〉。兼(か)ぬるか〈欤〉。
 答(いらへ)て云(い)ふ、案(アン)ずるに、『古事記(コジキ)』を云(い)ひ、判(ハン)ずる左(ひだり)の〈之〉御(み)美豆良湯津(みつらゆつ)之(の)間櫛(まくし)の〈之〉男柱(ほとり)は一箇(イツカ)を取(と)り闕(か)くなり〈也〉。
 下文(くだしぶみ)に云(いは)く、判(ハン)ずるに其(そ)れ右(みぎ)に請(う)け、美豆良之湯津(みつらしゆつ)之(の)間櫛(まくし)を闕(か)きて〈而〉投弃(なげす)つ。
 然(しか)れば則(すなは)ち、左右(ともかくも)各別(カクベツ)に此(こ)の文(ふみ)に見(あらは)せざり〈不〉難(かた)くして〈而〉猶(なほ)、彼(かの)文(ふみ)に依(よ)るべき〈可〉なり〈也〉。

小学館『日本国語大辞典』第二版
【親見出】しゆーつ【斎ー】ゆつの爪櫛(つまぐし)
(後世は「ゆづのつまぐし」とも。「ゆつ」の「つ」が、「の」の意であることが忘れられてできたもの)「ゆつ(斎ー)爪櫛」に同じ。*日本書紀〔七二〇(養老四)
〕神代上(兼方本訓)「陰(ひそか)に湯津爪櫛(ユツノツマクシ)を取りて其の雄柱(ほとりは)を牽折(ひきか)き」*新勅撰和歌集〔一二三五(嘉禎元)〕恋三・七八八「かつ見れど猶ぞ恋しきわぎもこがゆつのつまぐしいかがささまし〈藤原基俊〉」*仮名草子・東海道名所記〔一六五九(万治二)~六一頃〕四「尊(みこと)すなはち、湯津のつま櫛を稲田姫のかしらにさして」*浮世草子・新可笑記〔一六八八(元禄元)〕二・二「浅からぬ御枕のはじめ、ゆづのつまぐしなげて御心にしたがふと見て夢はさめての明かたに」【辞書】書言【表記】【湯津爪櫛】書言
    
【古辞書】江戸時代の『書言字考節用集』には、標記語「湯津爪櫛」で、訓みを「ゆづのつまぐし」としていて、「津」が既に助語「の」に相当する語である意識が失われていたことが見てとれる。語註記には「爪櫛は柞(ユス)なり〈也〉神代卷」とするが、「柞(ユス)」の訓みは、「ハハソ。ニレ。タラノキ。クシノ」が玉篇訓に見え、

【古辞書】
①『新撰字鏡』柞 奈良(なら)、又、比曾(ひそ)、又、志比(しひ)なり
②『和名抄』 柞 由之(ゆし)、漢語抄に云ふ、波々曾(ははそ)
③『名義抄』 柞 ユシ・ハハソ・カシ・ユシノキ・キル・キキル・サク・ナカスホナリ 
④『字鏡集』 柞 キル・ユスノキ・ユヅリハ・カシノキ・ハハソ・マユミ・ナカスホナリ・ユシ・カシ・サク・キキル
とあって、『字鏡集』に「ユスノキ」の訓みを所載することが見えている。それ以前は、「由之(ゆし)」、『名義抄』の第一訓「ユシ」が見えている。
 
湯津(ユヅ)爪櫛(ツマグシ)ーー者柞(ユス)ハ/也神代卷〔巻七器財門由部(三四オ)六二五頁5〕

『古事記』上卷神代
○かれ速須佐之男命(はやすさのをのみこと)。すなはちその童女(をとめ)を湯津爪櫛(ゆつつまくし)にとりなして。御美豆良(みみづら)に刺(ささ)して。その足名椎(あしなづち)手名椎(てなづち)の神(かみ)にのりたまはく。汝等(いましたち)。八塩折(やしほをり)の酒(さけ)を釀(かみ)。また垣(かき)をつくり廻(もとほ)し。その垣(かき)に八(やつ)の門(かど)をつくり。門毎(かどごと)に八(やつ)の佐受岐(さづき)を結(ゆひ)。そのさずきごとに。酒船(さかぶね)を置(おき)て船(ふね)ごとにその八塩折(やしほをり)の酒(さけ)をもりて待(まち)てよとのりたまひき。

『日本書紀』くし【櫛】19語中「湯津爪櫛」3語一文訓み下し
360○伊奘諾尊、聽(き)きたまはずして、陰(ひそか)に湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を取(と)りて、其(そ)の雄柱(ほとりは)を△牽(ひ)き折(か)きて、秉炬(たひ)として、見(み)しかば、膿(うみ)沸(わ)き蟲(うじ)流(たか)る。〔卷一〕
369○伊奘諾尊、又(また)湯津爪櫛を投げたまふ。〔卷一〕
857○△故(かれ)、素戔嗚尊(すさのをのみこと)、立(たちなが)ら奇稻田姫(くしいなだひめ)を、湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に化爲(とりな)して、御髻(みづら)に插(さ)したまふ。〔卷一〕

『古事記』上卷神代
○かれ速須佐之男命(はやすさのをのみこと)。すなはちその童女(をとめ)を湯津爪櫛(ゆつつまくし)にとりなして。御美豆良(みみづら)に刺(ささ)して。その足名椎(あしなづち)手名椎(てなづち)の神(かみ)にのりたまはく。汝等(いましたち)。八塩折(やしほをり)の酒(さけ)を釀(かみ)。また垣(かき)をつくり廻(もとほ)し。その垣(かき)に八(やつ)の門(かど)をつくり。門毎(かどごと)に八(やつ)の佐受岐(さづき)を結(ゆひ)。そのさずきごとに。酒船(さかぶね)を置(おき)て船(ふね)ごとにその八塩折(やしほをり)の酒(さけ)をもりて待(まち)てよとのりたまひき。


たかはた【高機】『倭名類聚抄』から『倭名類聚抄箋註』へ

2022-10-06 15:44:25 | 古辞書研究

2022/09/30 更新
 たかはた【機】
                                                                          萩原義雄識
 
  源順編『倭名類聚抄』
 
廿卷本『倭名類聚抄』 
     
7235 [經緯附]國語注云織設經緯以機[居衣反]成繒布也楊氏漢語鈔云高機[多加波太]今案機巧之処[和加豆利]説文云緯[音尉和名沼岐]織横糸也謂緯則經可知〔巻十四調度部中第22織機具第一八五12丁表1行目〕
 
十卷本『倭名類聚抄』 
     
1701 〈經緯附〉國語注云織設經緯以機[居衣反楊氏漢語抄云髙機多加波太今案機巧之𠁅和加豆利〉成缯布也說文云緯[音尉沼歧謂之則經可知]横織絲也 機[経緯付]〔巻第六・調度類織機具〕
 
【訓み下し】
『国語注』に云はく、経緯を設け機〈居衣反、『楊氏漢語抄』に云はく、「高機」は「多加波太(たかはた)」、今案ふるに、機巧の処は「和加豆利(わかつり)」を以て織り繒布を成すなりといふ。『説文』に云はく、「緯〈音は尉、沼岐(ぬき)」、之れを謂ふときは則ち「経(たていと)」を知る可し〉は横に織る糸なりといふ。
※和語としては、「多加波太(たかはた)/和加豆利(わかつり)/沼岐(ぬき)」の三語が此の標記語「機」に見えている。

東京都立中央図書館河田文庫蔵写本合五冊(十卷本『倭名類聚抄』)

(タカハタ){經緯附}  國語注云織設經緯以機[居衣反楊氏ーー(漢語)抄云/髙ー(機)多加波太今案之功𠁅/加豆利[上上上]〉成缯布也說文云緯[音尉沼歧謂/之則經可知]横織絲也〔巻第六・調度類●織機具九十四〕
 ※此の十巻本『倭名類聚抄』に近いのが松井本『倭名類聚抄』と見る。

 ○{經緯附}  國語注云織設經緯以機[居衣反楊氏漢語抄云/髙ー(機)多加波太今○{機}案之功/之𠁅○{和名}加豆利〉成缯布也說文云緯[音尉○{和名緯}沼歧謂之/則經可知]横織絲也〔巻第六・調度類●織機具九十四〕 
 ※その證査の文字が「今案之功𠁅/加豆利」に見える「功」字と見ている。

高松宮旧蔵本(国立歴史民俗博物館蔵、貴重典籍叢書文字編第二十二辞書臨川書店刊)
 (タカハタ){經緯附}  國語注云織設經緯以機[居衣反楊氏ーー(漢語)抄/云髙ー(機)多加波太[平平上平]今/案之功之/処加豆利[上上上]〉成缯布也說文云緯[音尉沼歧謂之/則經可知]横織絲也〔巻第六・調度類●織機具九十四、三七ウ三〇〇頁3~6〕
     
 因みに、他古写本における記載内容についても見ておくことにする。
京本『倭名類聚抄』(国会図書館蔵)

(タカハタ){經緯附}  國語注云織設經緯以機[居衣反楊氏漢/語抄云髙ー(機)多加波/太[平平上平]今案功/𠁅加豆利[上上上]〉成缯布也說文云緯[音尉沼歧謂之則/經可知]横織絲也〔巻第六・調度類●織機具九十四、三七ウ三〇〇頁3~6〕

 伊勢本(十卷本)『倭名類聚抄』巻九四

(タカハタ){經緯附}  國語注云織設經緯以ー(機)[居衣反楊氏ーー(漢語)抄云/髙ー(機)多加波太今案之/功之𠁅/加豆利〉成缯布也說文云緯[音尉沼歧謂/之則經可知]横織/肉也〔巻第六調度類織機具九十四〕

昌平本(東京国立博物館蔵)

(タカハタ){經(タテ)緯(ヌキ)附}  國語注云織設經緯以ー(機)[居衣反楊氏漢語抄云髙ー(機)/多加波太今案之切処和/名加豆利〉成缯布也說文云緯[音尉和名沼歧/謂之則經可知]横織絲也〔巻第六調度類織機具九十四〕
      
 ※註記のなかに「今案之切処」と「切」字で表記するのが昌平本系統の特徴で、「功」字に字形相似する。
 実際、十巻本『倭名類聚抄』の写本類天文本には、この箇所を「巧」字に作る資料があったりしている。

天文本(東大国語研究室蔵、資料叢書12)第四冊十五ウ(三七二頁3~5) 
      [經緯/附]國語注云織設經緯以機[居衣切楊氏漢語/抄云髙ー()多加波/太今案ー(機)巧/之処/和名加豆利]成缯(カトリ)布也說文云緯[音韋和名沼/歧諱(夲マヽ)則経可知]横織肉也〔巻第六・調度類●織機具九十四〕  
    ※反切「居衣切」とし、「反」字を用いずに「切」字を使用する。「缯(カトリ)」の字に傍訓「カトリ」を添えている。

天文本(内閣文庫藏『倭名類聚抄』)

  [經緯/附]國語注云織設経緯以機[居衣切楊氏漢語/抄云髙ー(機)多加歧/太今案ー(機)巧/之處/和名加豆利]成缯布也說文云緯[音韋和名沼/岐諱則経可知]横織絲也〔巻第六・調度類●織機具九十五〕  
    ※同じ天文本系統でも書写者の手筆が異なれば、「處」を「処」と略体化したり、真名体漢字表記「波」字を「歧」字にて書写する状況が見てとれる。  
      
 さて、此の十卷本諸本に於ける異同箇所を現代の鑑識力で先ずは見定めてきたが、此の箇所を狩谷棭齋『倭名類聚抄箋註』、その以前に成る契沖律師『和名抄釋義』はどのように見定めているかを次に見ておくことにしたい。
 
 契沖『和名抄釋義』(契冲全集第一六卷「書入二/遺文書簡集」三七六頁下段、巻第十四)
    (タカハタ){經(タテ)緯(ヌキ)/附} 墨 經{太氐}縱也 緯ハ貫也、
                  誘、日本紀點、和加豆留、与機巧普通、又訓乎
                  古豆留、亦通、

狩谷棭齋『倭名類聚抄箋註』

【翻刻テータ】
    (タカハタ){經(タテ)緯(ヌキ)附}  國語注云織設[二]經緯[一][レ]機[居衣反楊氏漢語云髙機/多加波/太今案機巧之處、和加豆利○高機謂[下][二]錦/綾[一]之機[上]、天工開物所[レ]載花機是也、與[二]尋常[一]織/機不[レ]谷川氏曰、缯訓[二]波太[一]、機訓[二]波太[一]者、缯/物之略稱、按織[二]成布帛[一]之機訓[二]波多[一]、凡設[二]機/關[一]之機訓[二]和加豆利[一]靈異記、役[二]夫人美作國/鐵山[一]、堀[レ]鐵、山崩穴塞、一人不[レ][レ]出、後有[二][レ]山 /取葛者[一]、知[二]穴中有[一レ]人、編葛爲籠、下[二]之於穴[一]、以/[レ]機索上、訓釋云機和加川利、此云[二]機巧之處/和加豆利[一]、或轉云[二]於古豆利[一]古今六帖思煩/歌、於古豆利乎、童蒙頌韻、機鐖訓[二]川利八利乎於古川利[一]、皆是也、本居氏[二]和加豆利[一][二]/織機具[一]、以[下]今呼[二]加佐利[一][上][二]其転訛[一]非[[レ]]是、」本/書云[二]某之處[一]載[[レ]]訓/者、皆別一義也、成[二]缯布[一]也[○所[レ]引文、韋昭[レ]載或是逵注文玉篇、經、經緯以成[二]缯帛[一]也/說文、機、主/[レ]發謂[二]之機[一]、按經緯以成[二]布帛[一]、必設[二]機發[一]、故轉/謂[二]之機]說文云緯[音尉沼歧、謂[レ]之則經可[レ]知、○/昌平本下總本[二]和名二字[一]、」多天奴歧[二]後撰集凡河内躬恒歌[一]谷川氏/曰、奴歧貫也、横貫[二]經絲[一]也、太平御覧[二]說文[一]/云、經、織/從[レ]絲也、]横織絲也、[○那波本作[二]織横絲[一]、與[二]原書糸部[一]合、伊勢廣本[二]/諸古本[一]同、疑/那波氏挍改、〔巻第六調度類織機具九十四〕

【語解】
 引用書籍資料
  『國語注(コクゴのチユウ)』
 『楊氏漢語抄(ヤウシのカンゴシヤウ)』佚文
  『(日本(ニホン))靈異記(リヤウイキ)』〔八一〇(弘仁元)~八二四(天長元)〕巻下・第十三「四つの葛の縄を以て籠の四角に繋ぎ、機(ワカツリ)を穴の門に立てて、漸くに穴の底に下す。〈真福寺本訓釈 機 ワカツリ〉」

 十三 將寫法華經建願人斷日暗穴賴願力得全命緣
 美作國英多郡部內、有官取鐵之山。帝姬阿倍天皇御代、其國司召發役夫十人、令入鐵山入穴堀取鐵。時山穴口、忽然崩塞動。役夫驚恐、從穴競出、九人僅出。一人有後出。彼穴口塞合留。國司上下、思之所壓而死、故惆悵之。妻子哭愁、圖繪觀音像、寫經追贈福力而逕七日已訖。于時、獨居穴裏、念:「吾先日願奉寫法華大乘、而未寫斷。我命全給、我必奉果。」居于闇穴、而惆悵之。自生長時、至于今日、無過此哀。彼穴戶隙、指刺許開、日光被至。故有一沙彌。自隙入來、鉢盛饌食、以與之語:「汝之妻子、供我飲食、雇吾勸救。汝復哭愁、故我來之。」自隙出去。去後不久、當乎居頂、而穴開通、日光照被及也。穴開通、廣方二尺餘、高五丈許。于時卅餘人、取葛入山、自穴邊往。穴底人、見人影、叫言:「取我手。」云。山人側聞、如蚊音。即聞怪之、取葛繫石、下底而誡。底人取引。明知人也。結葛為繩、編葛為籠、以四葛繩繫籠四角、機立穴門、漸下穴底。底人乘籠、以機牽上、持送親家。親屬見之、哀喜無比。國司問云:「汝作何善」答曰如上。國司聞之大悲、引率知識、相助造法華經、供養已畢。是乃法華經神力、觀音贔屭。更莫疑之矣。

 十三 將に「法華經」を寫さんとして願を建てし人、〈斷日〉暗き穴に願力に依りて命を全ふするを得る緣
 美作國(みまかさのくに)英多(アイタ)の郡(こほり)の部內に、官(おほやけ)に鐵(くろかね)を取るの〈之〉山有り。帝姬(ていき)阿倍天皇御代に、其の國司(くにつかさ)、役夫十人を召發(めさげ)て、鐵山に入れ、穴に入りて鐵を堀取らしめし〈令〉時、(鐵(かな))山(やま)の穴の口、忽然(たちまち)崩塞(くえふたがり)動(ゆら)ぐ。役夫驚き恐れて、穴より〈從〉競(きそ)ひ出づ。九人は僅に出で、一人(ひとり)後(おくれ)出づるもの有り。彼の(穴の)口塞(ふた)がり合(あひ)て留りぬ。國司(くにつかさ)上下(こぞり)て、〈之〉所壓されて〈而〉〈之〉死(みま)かりぬと思ふ故に、惆(うれ)たみ悵(あは)れみ、妻子は哭(な)き愁(かなし)みて、觀音像(くわんおんのすがた)を圖繪(ゑが)き、經を寫し福力(ふくりき)を追贈(つゐぞう)して〈而〉七日を逕(へ)已訖(おはんぬ)。時に〈于〉、獨(ひとり)穴の裏に居て、念(おも)はく。「吾先(さ)きの日、法華大乘を寫し奉らんと願ひて〈而〉、未だ寫(うつ)し斷(をへ)ず。我(わ)が命(いのち)を全ふし給へ。我が必ず果し奉らんと。」闇き穴に〈于〉居て〈而〉、〈之〉惆(うれ)へ悵(かな)しむ。生長(おひたち)の時より〈自〉、今日に〈于〉至るまで、此の哀(かな)しみに過ぎたるは無しと。彼の穴の戶の隙(ひま)、指を刾(さ)す許(ばか)り開き、日の光被至(さしこむ)に。〈故に〉一(ひとり)の沙彌有りて。隙より〈自〉入り來り、鉢に饌食(よきくらひもの)を屏(もり)て、以て與へて〈之〉語ふ。「汝の〈之〉妻子、我に飲食を供へ、吾を雇(やとひ)て勸救はしむ。汝も復(また)哭愁(なきかな)しむ、故に我來れるなり〈之〉。」と。隙より〈自〉出去りぬ。去りて後久しからず〈不〉、居たる頂(いたゞき)に當て〈乎、而〉、穴開通(ひらき)、日の光照被(てりさし)たり〈及也〉。穴の開通(ひらき)し、廣さ方(たてよこ)二尺餘(あま)り、高さ五丈許(ばかり)なり。時に〈于〉卅餘人、葛を取りに山に入り、穴の邊(ほとり)より〈自〉往く。穴の底なる人、人影を見て、叫言(さけぶ)。「我が手を取れ。」と〈云〉。山人側(ほのか)に聞くに、蚊(か)虻(あぶ)の音(こゑ)のごとし〈如〉。即ち聞て〈之〉恠しみ、葛を取り石を繫ぎ、底に下して〈而〉試む。底の人取り引く。明に人なるを知るや〈也〉。葛を結びて繩と為(な)し、葛を編(あみ)て籠と為し、四つの葛の繩を以て籠に繫(つな)ぎ四つの角(すみ)に、機(わかつり)を立て、穴(あな)の門(くち)に、漸く穴の底に下す。底なる人籠に乘る。機(わかつり)を以て牽上げ、持(も)ちて親の家に送れり。親屬之を見て、哀喜(あはれみかなしぶ)こと比(たぐひ)無し。國司問ふ〈云〉。「汝、何の善(よきこと)をか作(な)せる」と。答へ曰ふこと上のごとし〈如〉。國司之を聞て大に〈悲び〉、知識を引率(ひきつれ)、相助けて「法華經」を造り、供養し已畢(おへぬ)。是乃ち法華經の神力(じんりき)、觀音の贔屭(ひひき)。更に之を疑ふこと莫れ〈矣〉。〔三七一頁〕
※松浦貞俊著『日本國現報善悪靈異記註釋』〔大東文化大学東洋研究所刋〕(棭齋校本を底本)に「機ー訓釋に「ワカツリ」とし、十卷本『和名抄』を以て引用する。そのあとに、大槻文彦編『大言海』を引用し、「別釣ノ義カ。誘(ヲコツ)るト通ズルカ。機(ハタ)ノアヤツル處。カラクリ。アヤツリ」と説き、『華嚴経私記音義』といふものに「機關、舩和可川利」とある由を掲げてある。この語は他動詞四段活用を持つが、継体記には、「誘致」二字を「ワカツリ」と訓じた例がある。これは、語の轉用であろう。こゝは、縄を下ろすろくろの如き機具を云ふと想像される。」〔三七三頁~三七四頁〕 
 
  『古今六帖(コキンロクデウ)』六冊
 思煩歌(おもひわづらえるうた)に、「於古豆利(おこつり)」
    あたひとの-をこつりさをの-あやふさに-うけひくことの-かたくもあるかな
    あたひとのをこつりさをのあやふさにうけひくことのかたくもあるかな
    寛文九年板(京都中野太郎左衛門板、伴蒿渓安永七年朱筆書入れ)の第五冊三〇〇八番に、
     
     
     ※早稲田大学図書館蔵『古今和歌六帖』所収
     [未考] あた人のおこつりさほのあやふさにうけひくことのかたくも有かな
                     誘  ヲコツル  日本紀
                         ワカツル
とあって、安永七年に伴蒿蹊が標記字「誘」に、和訓「ヲコツル」と「ワカツル」の二訓を茲に書き込んでいる。この和語については、後述記載する。 

 『童蒙頌韻(ドウマウシヨイン)』三善為康著、微六・六十二字〔静嘉堂文庫蔵古辞書叢刊〕
 慶長四年卯月廿一日 於常刕下妻長峯子刻 書成亮海形見哀哉(々々)  の識語を有する写本がそれだが、棭齋は群書類従本に依拠した可能性が高い。
    (キ)ヲコツテヲコリ (キ)トツリハリヲ ツリ
     
     ※国会図書館蔵写本一冊七齣画像
   (イソ)ノ(サキ)ニ(アヤツリ)レ(ツリ)ヲ
      礒(イソ)ノ﨑(サキ)に鐖(ツリ)を機(アヤツリ)
とは言え、棭齋の見た資料の和訓とは孰れも異なる状況にある。
  
  『韋昭(イシヨウ)注(のチユウ)』〈韋昭『國語解』〉
   ○樞機發動也〔003-16b〕
   ○夫言以昭信奉之如之相應如樞機歷時而發之之詳親言思察胡可瀆也〔011-1b〕
   ○怵惕恐故頌曰思文后稷克配彼天立我烝民莫匪爾極之樂歌經緯天地曰文克能也〔001-5b〕
   ○文地曰文經緯天能文則得天地天地所胙小而後國則得國大則得天下胙福也〔003-3a〕
○房星晨我太祖后稷之所經緯也[也晉語曰辰以成善后稷是相稷播百榖故農祥后稷之所經緯]王欲合是五位三所而用之[逢公所馮神周分野所在后稷所經王武王也五位嵗月日星辰也]〔003-24b〕
※「機」及び「織」「経緯」の語例の記述はあっても、此の箇所に関わる文言は棭齋が既に指摘するように見出し得ないことを検証した。
      
   
  『賈逵注(カキのチユウ)』の文(ブン)については、これまで数多くの漢籍や仏典の註記資料に引用されてきている。だが、今此処に源君を筆頭に棭齋がこの語の引用する典拠『國語』という資料語文に相当する語例がどうしても得られずじまいとなっている。

 『玉篇(ギヨクヘン)』糸部【蚪】経緯以成繒也
    『大廣益會玉篇』第八冊糸部十二
  (シヨウ)ソウ キヌ。   蒸似陵  登  似登二ノ切帛也
         アツイタ。
  
●[ イクルミ  字咨登切與矰同シー繳ハ以テ射ハ鳬鴈ヲ箭有綸也。又蒸帛也又ヲクル。贈神ニ曰ー又国ノ名姓補マフス漢律ニ祠ル宗廟ヲ丹書告フス也。礼記ニ㾢ー註疏ニ云ーノ之言贈也。謂埋告ヲ也。久タマ。漢書ニ採ル姑ーノ之璧ヲ師古カ曰西南ノ国種在益刕ニ又與汕同シ豕ノ所寢ヌ也。嶝作亘切帛也。
【訓み】アヤツリ カハル アテテス カナラズ アハス キビシ クルヽ ハカル カラクリ タカハタ ハ子ツルベ
 
  『說文(せツモン)』
 機 主發謂之機从木幾聲(居衣切)〔説文解字〕
 ※内閣文庫蔵『説文繋傳』十一・木部「機」字を参照

   『後撰集(ゴセンシユウ)』凡河内躬恒(おほしかうちのみつね)の歌(うた)
勅撰『後撰和歌集』〔九五五(天暦九)-九五七(天徳元)年)〕の選者の一人に、『和名抄』編者源順がいたことを棭齋は知り得ていて、敢えてこの『後撰集』の躬恒のうたを用いて茲に引用したと見ている。残念ながら、現行の『日国』第二版の当該語の用例には此の「たなはた」の歌は引用されていない。
巻五:秋上・二四七番

 

※画像資料は「宇和島伊達文庫保存会」〔一般 道三-一-二〕
 ※画像資料は「京都大学図書館蔵」
 たなはたをよめる  凡河内躬恒
       秋の夜の/あかぬ別を/七夕は/たてぬきにこそ/思ふへらなれ
 秋の夜の/なかき別を/七夕は/たてぬきにこそ/おもふへらなれ
 アキノヨノ/アカヌワカレヲ/タナハタハ/タテヌキニコソ/オモフヘラナレ
  ※此の歌については、「天・中・貞・堀・二・片」が「あかぬ」と書写する。茲では「たてぬき」を用いているので、両系統とも問題はない。
 
  『太平御覧(タイヘイギヨラン)』
 書名を用いず論説する資料
 谷川(たにかは)氏(うぢ)の曰(まうさ)く、「繒(かとり)」⇨谷川(たにかは)士清(ことすが)『倭訓栞(わくんのしほり)』
 「繒(かとり)」を「波太(はた)」と訓(よ)み、機(たかはた)を「波太(はた)」訓(よ)むは〈者〉、繒(かとり)物(もの)の〈之〉略稱(リヤクシヤウ)。
かとり 日本紀倭名抄にをよめり。堅織の義なるべし。たた反と也。今云もろこも是也。○一段といふ事を西土の書に羅一縑布などいへり。○縵もよめり。縵頭巾。義解に縵ハ無文繒也と見ゆ。○下総の香取の社ハもと檝取の義也。神代紀に見えたり。又近江伊勢ともにかとりの浦あり。〔上卷五百頁〕
とあって、『日本紀』そして『倭名抄』に標記語「縑」字で所載が見られると士清は記述する。

 ここで、「かとり」の標記語は、「縑」の字とし、棭齋が言う「繒(かとり)」の字ではないということになる。『日本書紀』には、
 ○4167爰新羅王波沙寐錦、卽以微叱己知波珍干岐爲質、仍齎金銀彩色及綾・羅・縑絹、載于八十艘船、令從官軍。〔第九〕
 ○5112時爲皇女織縑女人等歌之曰、比佐箇多能、阿梅箇儺麼多、謎廼利餓、於瑠箇儺麼多、波揶步佐和氣能、瀰於須譬鵝泥。〔第十一〕
    ○6435公仍領率百八十種勝、奉獻庸調絹縑、充積朝庭。〔第十四〕
    ○4033因以千繒高繒、置琴頭尾、而請曰、先日教天皇者誰神也。〔第九〕

とあって三例を見出すことになった。此に対し、「繒」字の方はどうか云うと、巻第九に同じく用いている。
 
  本居氏「和加豆利(わかつり)」を以(もつ)て/織機具(シヨクキグ)に爲(つく)る。⇨本居宣長全集『古事記傳』他の資料を見てきているが、未見という状況にある。
※鈴屋(すずのや)主人「本居宣長」については、「棭齋は「氏」としてのみ取り上げ、此に対し、谷川士清については「曰く」とその同じく先輩の國學研究者として、どのように格付けしているのかと類推したとき、彼の学問研究者としての先賢者を如何に見てきたかについては、このあとも問われねばなるまい。そこで、棭齋が『倭名類聚抄箋註』で云う宣長が成し得たと云うこと如何なる資料に基づくのかは今後の閲読調査を俟たねばなるまい。

 使用語彙の解析
◎「高機(カウキ)たかはた」⇨「たかばた」
○「缯帛(カトリ)」
漢鄭玄『周禮注疏』に、
不莞席加繅者繅柔嚅不如莞清堅又扵鬼神宜音義 [繢胡内反嚅本或作懦。又作擩同如兖反。疏釋曰此經論諸侯禘祫及四時祭祀之席皆二種席也。注釋曰上文畫純者畫雲氣。此云繢即非畫雲案繢人職對方為繢。是對方為次畫於缯帛之上與席為緣也。云不莞席加繅者繅柔嚅不如莞清堅又。於鬼神宜者案上文天子祭祀席與酢席同。此下文諸侯受酢席下莞上繅。今祭祀席下蒲上莞。故鄭以下文決此。但今諸侯祭祀席不亦如下文莞席加繅者以其繅柔嚅不如莞清堅於鬼神宜即於生人不宜。故下文生人繅在上為宜也。又不以繅在莞下者繅尊不宜在莞下故用蒲替之也]〔020-16a〕

     
とあって、「缯帛」の語例を見るのだが、此の箇所については棭齋自身何も指摘していない。

◎「機巧(キカウ)」  
×「機發(キハツ)」⇨「たかはたをおこす」と訓む欤。
◎「經緯(ケイイ)」
◎「經絲(ケイシ)たていと」 
◎「布帛(フハク)」
 真名体漢字表記による和語語彙
「多加波太(たかはた)」
◎「和加豆利(わかつり)」「和加川利(わかつり)」
◎「於古豆利(おこつり)」
   「わかつり」と「をこつり」の訓
番『日本書紀』【誘】字十三語一文訓み下し卷頁行当語よみ 

3960誰(なに)ぞの神ぞ徒(いたづら)に朕を誘(あざむ)くや。卷八誘あざむく

4165是(ここ)に、宰(みこともち)、誘(あざむ)く言(こと)を信(う)けて、密(ひそか)に屍(かばね)卷九誘あざむく を埋(うづ)みし處(ところ)を告(つ)ぐ。

5936武彦を廬城河(いほきのかは)に誘(あと)へ率(たし)みて、僞(あざむ)きて使鸕鷀沒水(うかはする)捕魚(まね)して、因(よ)りて其不意(ゆくりもなく)して打(う)  ち殺(ころ)しつ。卷十四二15711誘あと 

7309外(と)は海路(うみつぢ)を邀(た)へて、高麗(こま)・百濟・新羅・任那等(ら)の國の年(としごと)に職(みつきもの)貢(たてまつ)る船(ふね)を誘(わかつ)り致(いた)し、内(うち)は任那に遣(つかは)せる毛野臣の軍を遮(さいぎ)りて、亂語(なめりごと)し揚言(ことあげ)して曰(い)はく、「今(いま)こそ使者(つかひひと)たれ、昔(むかし)は吾(わ)が伴(ともだち)として、肩(かた)摩(す)り肘(ひぢ)觸(す)りつつ、共器(おなじけ)にして同(もの)食(くら)ひき。卷十七誘わかつり 

7933△倶(とも)に姧僞(かだみいつはり)を懷(いだ)きて誘(わかつ)り説(と)く。卷十九二誘わかつり 

2133乃ち顧(ひそか)に道臣命に勅(みことのり)すらく、「汝(いまし)、大來目部(おほくめら)を帥(ひき)ゐて、大室(おほむろ)を忍(おし)坂邑(さかのむら)に作(つく)りて、盛(さかり)に宴饗(とよのあかり)を設(ま)けて、虜(あた)を誘(をこつ)りて取れ」とのたまふ。卷三誘をこつり 

4240既(すで)にして乃(すなは)ち皇后(きさき)の命(おほみこと)を擧(のたまひあ)げて、忍熊王を誘(をこつ)りて曰(い)はく、「吾(われ)は天下(あめのした)を貪(むさぶ)らず。卷九誘をこつり 

4246忍熊王、其(そ)の誘(をこつ)りの言(こと)を信(う)けたまはりて、悉(ふつく)に軍衆(いくさびと)に令して、兵(つはもの)を解(と)きて河水(かは)に投(なげい)れて、弦(ゆづる)を斷(き)らしむ。卷九誘をこつり 

7871朝庭(みかど)に誘(をこつ)り事(つか)へまつり、僞(いつは)りて任那に和(やはら)ぐ。卷十九誘をこつり 

11958△各(おのおの)一所(ひとつところ)に營(いは)みて、散(あら)けたる卒(いくさ)を誘(をこつ)り聚(あつ)む。卷廿六誘をこつり

3333是(ここ)に、武諸木等(たけもろきら)、先(ま)づ麻剥(あさはぎ)が徒(ともがら)を誘(をこつ)る。卷七誘をこつる

4162然(しかう)して後に、新羅の王の妻(め)、夫(せ)の屍(かばね)を埋卷九誘をこつる みし地(ところ)を知らずして、獨(ひとり)宰を誘(をこつ)る情(こころ)有り。

4417新羅人(しらきひと)、美女(をみな)二人(ふたり)を莊飾(かざ)りて、津(とまり)に迎へ誘(をこつ)卷九誘をこつるる。

※便宜上として訓読は、大系本に依拠し、頁行数は日本古典文学全集を以て示した。
「誘」字の語訓は、①「あざむく」②「あと」③「をこつり」と「をこつる」④「わかつる」の四種に及ぶ。伴蒿蹊は『古今六帖』の朱筆書込みに③④表記したことになる。
 
「波太(はた)」
「川利八利(つりはり)乎(を)於古川利(おこつり)」
「沼歧(ぬき)」
◎「多天奴歧(たてぬき)」「多天奴歧(たてぬき)」