駒澤大学「情報言語学研究室」

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慶安元年板『倭名類聚抄』〔宮内庁書陵部蔵、棭齋旧蔵本〕 ー棭齋朱筆書込み本ー

2022-10-25 07:45:41 | 古辞書研究

2022/10/22 更新
 慶安元年板『倭名類聚抄』〔宮内庁書陵部蔵、棭齋旧蔵本〕
   ー棭齋朱筆書込み本ー 

                                                                          萩原義雄識

 冒頭部の朱筆書込みは、公主たる勤子内親王と源順との血筋を明記する。此処に、『本朝皇胤紹運録』を閲覧し、その正規聯関性について記載する。第四と第六の「公主」の揺れを説く。
    
   [賜宅文庫]
     著者新見正路は、幕臣で大坂町奉行等を歴任。蔵書家としても有名、「賜蘆文庫」はその蔵書印。
 
    【棭齋朱筆】
    按延長第四公主勤子内親王也。母源周子源唱之女為順之父擧従父姉也。故序文僕之先人幸忝公主之外戚紹運録以勤子列第六誤也。順當時之人不當誤應以此序為正 
    【訓み下し】 
    按ずるに延長第四の公主は、勤子内親王なり(也)。母は源周子、源唱の(之)女に為て、順の(之)父擧は従父の姉なり(也)。故に序文に僕の(之)先人、幸ひにも忝く公主の(之)外戚、『(本朝皇胤)紹運録』を以って勤子を第六に列すは誤りなり(也)。順、當時の(之)人に當らず(不)。誤りて應に此の序を以って正しきと為す。 

     同じく、序文右下空白部に所蔵捺印がなされ、[賜蘆文庫]押印の下位部に[棭齋]の押印が見られ、此の二種の蔵書捺印は、各卷の冒頭右下に見えている。棭齋の押印は彼の所蔵していた本を示す上でも重要な證しとなるのだが、此までその蔵書全てに捺印が見えていないことがあって、その上でも棭齋所蔵本を示す貴重な資料と言えよう。  
    次に、その各卷の押印画像の資料を此処に併記して示しおくことにする。今後、得られるだろう彼の藏書印として参考の目安にされたい。  
      
    という印で、「棭斎」(えきさい):32x17mmに相当する。
     
  巻末識字書込み
  慶安元戌子暦霜月吉辰  新刋
   
    文化三年七月以活字版夲影天文古鈔本校訂一遍畢 
                                       狩谷望之
    文化四年五月重改訂訛字 
    是書歴問之蔵書家應有古夲之在精加校雔又就原書訂訛字則
    庶幾後源君之舊観豈不快邪余憶之久矣不知比死者能為傳之否
     
    是の書、歴問の蔵書家に、應に古夲有るべし。之れ精しく在り。加校雔又び(ふたつ)に原書の訂訛の字に就く。則ち、庶幾((シヨキ))いちずに希望の後、源君の(之)舊きを観る。豈、快からざる(不)や。邪に余憶おもふあまりの(之)久しきや(矣)。比の死にし者は知らず(不)。能く傳への(之)否を為す。


    ※此の資料について、近年最も対応した研究者が川瀬一馬さんであり、その内容を承けて梅谷文夫さんが『狩谷棭齋』〔人物叢書205日本歴史学会編集・吉川弘文館、平成六年刊〕の二一八頁にその引用を見る。「古活字印本を底本として、返り点・送り仮名・振り仮名を補い、若干ではあるが本文を改訂し、整版をもって重刋したいわゆる十行本の初版本である。」此処に棭齋の本書研究の一歩を見ることになる。 
     
 『和名抄』序文の最後の箇所にある「盧胡」の語について見ている。その資料は、宮内庁書陵部蔵『倭名類聚抄』〔慶安元年板、狩谷棭齋校注朱筆書込本〕全十冊のうち卷五と卷六の合本一冊を欠く九冊本(二十卷本)。他に国立国会図書館亀田文庫に完本が存する。
 【原文】
    内ニハ慙(ハツ)公主ノ之照-覽ヲ外ニハ愧(ハツル)賢智ノ之盧-胡ヲ耳(ノミ)
 【訓み下し】
    内には公主の照覧に慙づ、外に賢智の盧胡を愧づるのみ。 

          活本作胡盧
    賢智ノ之盧(○)-胡(○)ヲ一耳(ノミ) 
    【頭注朱筆書込み】 
    康煕字典云盧胡笑也。一作胡盧後漢應劭傳掩口盧胡而笑孔叢子抗志篇衛君胡盧大笑 
    【頭注朱筆書込み訓み下し】 
    『康煕字典』云く「盧胡」は笑ふなり〈也〉。一(ひとつ)には「胡盧」に作(か)く。『後漢(書)』應劭傳に、口を掩ひ、「盧胡(ロコ)しのび笑い」す。而して笑ふ。『孔叢子』抗志篇に、衛君は、「胡盧(コロ)もの笑い」し大いに笑ふ。
    【語解】『康煕字典』未集部下肉(月)部【胡】十六オ8
    又[正字通]盧ー胡笑一作胡盧後漢應劭傳掩口在喉閒ニ也。[孔叢子抗志篇]衛君盧ー胡大ー笑
    【語解】『康煕字典』午集部中皿部十一画【蘆】六十六オ5 
 
    又盧ー胡ハ笑也。一作胡ー盧後ー漢應ー劭傳掩口盧ー胡而笑[孔叢子抗志篇]衛ー君盧ー胡大ー笑  ◇画像引用資料は、国研蔵を使用した。
    ※棭齋が引用した『康煕字典』安永年刊の箇所は、「午集中・皿部【蘆】〔六十六オ5〕」ということが明らかとなっている。
    
 《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
しょーき【庶幾】〔名〕(1)(「庶」「幾」はともにこいねがうの意)望み願うこと。いちずに希望すること。*菅家文草〔九〇〇(昌泰三)頃〕七・未旦求衣賦「於是庶幾至人之无夜夢。髣二髴君子之有調飢」*権記ー長徳四年〔九九八〕八月一四日「此外所被仰秘事不書、為庶幾温樹不語也」*色葉字類抄〔一一七七(治承元)~八一〕「庶幾 コヒネカフ ショキ」*後鳥羽院御口伝〔一二一二(建暦二)~二七頃〕「この一様、すなはち定家卿が庶幾する姿なり」*春秋左伝ー襄公二六年「引領南望曰、庶幾赦余亦弗図也」(2)(「庶」「幾」はともに近いの意)きわめて似ること。近似すること。*語孟字義〔一七〇五(宝永二)〕上・道「而就二家之説之、伊川之説、自庶幾於陽之謂道之旨」*随筆・孔雀楼筆記〔一七六八(明和五)〕二「勿論綱常の公にして且つ廉なること、庶幾すべからず」*異人恐怖伝〔一八五〇(嘉永三)〕下「全く黄金のごとく、其色其美黄金に劣る処なく、実に庶幾し、又絹を織ること精なり妙なり滑なり」*易経ー繋辞下「顔氏之子、其殆庶幾乎」【発音】〈標ア〉[ショ]【辞書】色葉・言海【表記】【庶幾】色葉・言海


くくさ【鬼皂莢】

2022-10-25 01:45:16 | 古辞書研究

くくさ【鬼皂莢】
                                                                          萩原義雄識

慶安元年板『倭名類聚抄』〔棭齋書込み宮内庁書陵部蔵〕 

    鬼〓〔艹+皂〕莢(クヽサ)楊-氏漢-語-抄ニ云鬼-〓〔艹+皂〕-莢ハ[久々散造-恊ノ二-音] 
    一ニ云鬱-茂-草[辨-色-立-成ニ云鬱-萠-草今案ニ本-文未詳]

    鬼皂莢(クヽサ) 『楊氏漢語抄』に云はく、「鬼皂莢〈造協の二音、久々佐(くくさ)〉」は一に「鬱茂草」と云ふといふ。〈『弁色立成』に「鬱萠草」と云ふ。今案ふるに本文は未た詳かならす〉 
 
 此の二十卷本標記語「鬼〔艹+皂〕莢」は、十巻本では「鬼皂莢」と草冠を記述しない。真名体漢字の表記も「久々散」と「久ゝ佐」と第三拍の漢字表記を「散」字と「佐」字で記載し異なりを見せている。 字音は「造恊(ザウキヤウ)」で合致する。そして、『弁色立成』記載の「鬱萌草」を記載するが、その本文は未詳と源君は唱えている。
 これらの事象を用いて、棭齋は『倭名類聚抄箋註』のなかで如何見定めて行くのかを見ていくと、
    鬼皂莢(クヽサ) 楊氏漢語抄云鬼皂-莢ハ[造-恊ノ二-音、久々佐、○下總本有和名二字、」本草和名同訓、按久々佐未詳、]一ニ云鬱茂草、[弁色立成云、鬱萠草今案ニ本-文未詳]○按本草和名、本草外藥引新撰食經、載鬼皂莢云、如皂莢高一二尺、證類本草皂莢條、引陳藏器云、鬼皂莢生江南澤畔、如皂莢高一二尺、則知食經本草拾遺也、源君引漢語抄之、非是、」鬱萠草又見内膳司式」按鬼皂莢鬱茂草不詳、依皂莢之名與一レ高一二尺、疑是今俗呼草合歡者是也、」伊勢廣本無今案以下六字

 とその記載を見る、ここで、棭齋は『本草和名』を引用し、

   以下食経 鬼皂莢即水茸角 ○鬼皂莢  如皂莢高一二尺    和名久々佐
     
  次に『證類本草』卷九木部にして、どの書冊からの引用なのかはもう少し見極めていくことになる。

 だが今、早稲田大学本にて便宜的に引用した。茲には次に示した『陳臓器』を引用して記載する。
 その次には、『陳臓器本草拾遺』乾卷〔国会図書館蔵〕に、
   
     皂莢、鬼皂莢作浴湯去風瘡疥癬挼葉去衣垢沐髪長
     頭生江南澤畔如皂莢高一二尺
    
とあって、正しくその内容をここに引用する。
 さて、此の「くくさ」なる樹木が現在でいうところのどの樹木名で呼称され、いつ頃までこの古名が継承されいたのかをもう少し見ておく必要があると考える。
 古辞書では、観智院本『類聚名義抄』に、
    〓莢 造協二音 〔僧上四六8〕
    鬼〓ー〔僧上四七1〕
  皂莢 カハラフチ上上上平平濁/俗云虵結平濁入〔僧上四七1〕
    鬼ーー クヽサ平濁上濁上 草  正〔僧上四七1〕
といった、『和名抄』に於ける標記語と語註記を用い、さらに「俗云」という別の資料『醫心方』にも及ぶ標記字「虵結」を引用する。ここでの和訓は、『和名抄』に依拠する「くくさ」だが、標記字「鬼皂莢」〔十卷本系統『倭名類聚抄』〕の和訓には差声点が見られ、「ぐぐさ[平濁上濁上]」と第一拍と第二拍の仮名を濁音化している点には注目しておきたい。実際、小学館『日国』第二版には、濁音表記のことはない。これに対し、後先が逆で示すのだが、標記語「〓莢」と「鬼〓莢」〔廿卷本系統『倭名類聚抄』〕だが、茲には和訓を敢えて記載せず、前の標記語の語注記に、音注「造協(ザウキヤウ)=漢音」が記載されている。何れにせよ『和名抄』を引用する語群収載の箇所ということになろう。此の点については、棭齋は天部景宿類「牽牛」の語註記で『字類抄』と『名義抄』とを「二家」として共に註記引用しているのだが、此の標記語については触れずじまいとなっていることからして、徹頭徹尾、漏れなくに渡って『倭名類聚抄箋註』の編纂実行に利用されていたわけでないことが伺えよう。『日国』には、『伊呂波字類抄』を語用例として収載しているので参照されたい。
    

《補助資料》
『古事類苑』
鬱萠草(ククサ)搗
〔延喜式  三十九内膳〕
漬年料雜菜
鬱萠草搗三斗〈料鹽四升五合〉
 右漬二秋菜一料
〔倭名類聚抄  十七野菜〕
鬼ra067623.gif莢 楊氏漢語捗云、鬼ra067623.gif莢、〈久々散、造協二音、〉一云鬱茂草、〈辨色立成云、鬱萠草、今案本文不詳、〉
〔箋注倭名類聚抄  九菜蔬〕
按本草和名、本草外藥引新撰食經、載鬼皂莢云、如皂莢、高一二尺、證類本草皂莢條、引陳藏器云、鬼皂莢生江南澤畔、如皂莢、高一二尺、則知食經本于本草拾遺也、源君引漢語抄之非是、鬱萠草又見内膳式、按鬼皂莢鬱茂草不詳、依皂莢之名高一二尺、疑是今俗呼草合歡者是也、
(「ra067623.gif」(http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/inshokubu/frame/f001048.html 参照 2022年10月24日))

小学館『日本国語大辞典』第二版
くくさ【鬼皀莢】〔名〕植物「さいかち(皀莢)」の一種か。薬用として、古くから用いられていた。*本草和名〔九一八(延喜一八)頃〕「鬼皀莢 如皀莢高一二尺 和名久々佐」*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕九「鬼皀莢 楊子漢語抄云鬼皀莢〈造協二音久々佐〉一云欝茂草〈弁色立成云欝萠草今案本文未詳〉」伊呂波字類抄〔鎌倉〕「鬼遑莢 クモメクサ ククサ」【語源説】漢名の転〔東雅〕。【発音】〈ア史〉平安○●●【辞書】和名・色葉・名義【表記】【鬼皀莢】和名・名義【蕛】名義