駒澤大学「情報言語学研究室」

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はねつるべ【桔槹】

2022-12-19 12:14:27 | ことばの溜池(古語)

 はねつるべ【桔槹】キツカウ・ケツカウ
                                                                          萩原義雄識

 白井静『字通』【桔】「桔槹」
【字書】
〔新撰字鏡〕桔梗 加良久波(からくは)、又、酒木、又、阿知万佐(あぢまさ)、又、久須乃木(くすのき) 
〔新撰字鏡、享和本〕加良久波(からくは)、又云ふ、阿佐加保(あさがほ) 
〔名義抄〕桔槹 カナツナヰ/桔梗 アリノヒフキ/梗 ヤマシム
〔篇立〕桔 チカシ、加良久波(からくは)
【熟語】
【桔梗】ききよう(きやう)・けつこう(かう)  ききょう。秋の七草の一。〔戦国策、斉三〕今、柴葫(さいこ)・桔梗を沮澤に求むるも、則ち累世一をも得ず。
【桔隔】きつかく  楽器を撃つ。
【桔槹】きつこう(かう)・けつこう(かう)  はねつるべ。〔荘子、天運〕且つ子獨り夫(か)の桔槹なる者を見ずや。之れを引くときは則ち俯し、之れを舍(はな)つときは則ち仰ぐ。
【桔桀】けつけつ  高く峻しい。

  『字通』の字書引用の『名義抄』を見てもお判りになるように、『日国』『字通』と云った日本の誇れる字典・辞典は、当該語の標記字を三熟字「桔槹」で表記する。だが、此は書記者の「桔梗」の語と「桔槹」の語における同音異字による衍字表記であり、語注記「結高二音」とあることからすれば、二字熟語と見て、やはり茲では「梗」字は消去すべき文字と見ている。すなはち、『名義抄』も「桔槹」のところに定置することが望ましいことになる。

 和語「はねつるべ」だが、初出用例としては、平安時代末期の橘忠兼編の三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕となっている。次に示すと、
三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕
    桔槹(ケ[キ]ツカウ)  カナツナヰ ハ子ツルヘ 搆機汲水具 〔卷上加部地儀門九二オ(一八七頁)2〕

として、字音の付訓は「ケ(キ)ツカウ」とし、「キツカウ」と「ケツカウ」両用の訓みを添え訓みとして示し、此の点を現行索引では見落としていることになる。いま小学館『日国』第二版には、見出し語「キッコウ【桔槹】」の語例を取り上げていて、「「桔槹(けっこう)」の慣用読み」として収載はするが、此の前田本『字類抄』の「ケ」の右傍らに添えた「キ」文字を見逃した結果、此の用例を活かしきれていない。
そして、注記和訓の「ハ子ツルヘ」の語についてだが、次の観智院本『名義抄』には未収載になっていることからして、此語がより通俗性の高い「日常語(=通俗語)」和訓語だということになろう。此の證明も容易ではないが、初出語としてその聯関性の資料を見過ごさずに見定めて行くことが求められてくる。更に、このあとの内容注記説明の「機を搆へ、水を汲む具」の意義注記だが、何に依拠するのかについて考察してみて、『增修互註禮部韻略』〔宋・毛晃〕
     桔橰以機汲水桔音戛/又謂之橋橋音居妙反〔卷二・【槹】二四オ4〕
    
とあって、此の注記内容が聯関しているのかと見ている。今後の資料稽査が俟たれる。
 三巻本『色葉字類抄』〔前田本〕の意義注記の「機を搆へ、水を汲む具」に対校する箇所をこのあとも探し求めていくことになるのだが、現時点では、この中国字書資料との整合性を明らかにせねばなるまい。
 その上で、『字類抄』の編者橘忠兼は、『和名抄』には見えていない新たな説明として、此の意味注記をどうみてきたのかを知るためにも、その通俗性の高い「日常語」のひとつの語と見ておきたい。茲で通俗性の高い日常語としたことは、此の院政期前後のことば表出に基づくものであり、例えば、「鳰」を「かいつぶり(獲(か)い+つぶりと水に入る意から)」の通俗和語表現などと関わる語として、此の字音「桔槹」で「かなづなゐ」と言うほかに「はねつるべ」と云ったことばの関係性がどうであったのかと此の語解について展開することにもなろう。『字類抄』が求めた記述意識が後継の十巻本『伊呂波字類抄』などの古辞書改編資料にどのように継承されていくのかもそのことばの性格を知る上で丁寧に見定めていく必要がある。実際、十巻本では、    桔槹  カナツナヰ  結高二之棒機汲水具 〔卷三加部地儀門(一四二頁)2〕
としていて、此の「ハ子ツルヘ」の語は採録を見ない語となっている。云うまでもないが、波部の地祇門、雑物門などにも未収載語としている。また、二卷本および七卷本『世俗字類抄』も然り、「ハ子ツルヘ」未載録語となっている。言わば、三巻本特異な語訓となっている。次に「はねつるべ」の語訓が古辞書に登場するのは、室町時代の『運歩色葉集』波部に、
    桔槹(ハ子ツルヘ)キヤウカウ〔元亀二年本二九頁1〕
となっていく。此のことばの狹間とも言える用語例を埋めるのは容易ではないが、南北朝時代の軍記物語『太平記』卷第三九・自太元攻日本事に、
    其陰(ソノカゲ)ニ屏(ヘイ)ヲ塗リ陣屋ヲ作テ、數萬ノ兵並居(ナミヰ)タレバ、敵ニ勢ノ多少ヲバ見透(スカ)サレジト思フ處ニ、敵ノ舟ノ舳前(ヘサキ)ニ、桔槹(ハネツルベ)ノ如クナル柱ヲ數十丈高ク立テ、横ナル木ノ端(ハシ)ニ坐ヲ構((かま)ヘ)テ人ヲ登セタレバ、日本ノ陣内目ノ下ニ直下(ミオロ)サレテ、秋毫(シウガウ)ノ先ヲモ數((かぞ)ヘ)ツベシ。
と見えていて、『日国』第二版も此の用例を採録する。