駒澤大学「情報言語学研究室」

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契冲と『和名抄』

2023-01-18 14:20:53 | 古辞書研究

2023/01/18 更新
 契冲と『和名抄』
                                                                                萩原義雄識
和字正濫通妨抄』卷一、全集三一九頁~三五三頁に、
正濫抄それにかなはぬ事あるかにて・大きに腹だちていへるやう・引證する所の・日本紀等の六國史・舊事紀・古事記・古語拾遺・萬葉集・菅家萬葉集・古今集等・其外家々歌集・延喜式・和名抄等・すへて昔は假名つかひ法はいまた定まらさりけ」れは・皆かな乱てあれは・これらによらは・かなつかひの法はなくて・いかやうにかきてもくるしからぬになるへし。〔一ウ〕
○本朝にして假名の事においては・日本紀、古事記、萬葉集等は、聖經のことし。其他の諸史、菅家万葉、延喜式、古今等は賢傳のごとし。和名鈔等は漢儒以下の註疏のことし。これらを除ては、和國に書なし。〔四六ウ〕
という。茲で契冲は、『和名類聚抄』なる書物にも接し、その概要を他の書籍類に比較し、「漢儒以下の註疏のことし」と説明する。
この前にも、
○假名つかひの法、徃昔いまた不定、日本紀より三代實録までの國史、万葉集、新撰万葉、古語拾遺、古事記、延喜式、和名抄、古今和哥集、其外家々の集のかな、よみこゑとりましへ、又はをおえゑ等乱てあり、今かやうの書を假名の證據とさためかたし。しかれとも、其中に用不用あり。とるへきものをとり、取かたきものはとらさる也。右の書を證據とする時は、仮名遣の法はなき也。いかやうにかいてもくるしからぬになるへし。假名の法は、平上去入の四声にしたかひてさたまりぬ。〔四五ウ〕
として、表記文字は異なるが「和名抄」を挙げている。
 地名を記述するは、『和名類聚抄』廿巻本に所収と位置づけれているのだが、やはり、次のごとく見える。
○一中ゐ〈略〉員數なとの時、ゐんなるは〈これもまた〉呉音欤。和名に、伊勢國郡名員辨[爲奈丶倍]、他書には猪名部とかける所にかく用たり。〈略〉和朝の假名にては・六國史、萬葉、和名等を依憑して、證據なき今案の口傳を信せぬを、眼あり智ある人いふへし。〔三〇ウ〕
○奥お〈略〉下にかく事は、いとすくなけれと、全くなきにはあらす、和名に、大隅國郡名、囎唹曾於]、又箕面みのお]これらあり、〔三五オ〕
○たとへは印の字は、伊刃(ジン)ノ切にて、音いんなる故に、播磨國の郡の名、印南をは、和名に、伊奈と注し、日本紀、万葉等に、稻美ともかける事、めつらしからぬを、此先生は、〈無理に〉ゐんと書へしと〈いひ〉、因縁の因の字、〈匀會に伊眞〉〈於人(ヲジンノ)〉切いんなる〈故に、昔稲羽とかける國の名も、因幡と假り字に書、和名にも、以奈八と注したる〉をもゐんと書へしといへり。〔五二オ〕
と引用する。
○中え〈略〉萬葉には、萌を毛伊とよみ・和名には冷(ヒエ)をひいとよめり〈ひえにかよへり〉。悔をくい、くやむ、くゆ〈とよみ、〉和名に、寄生を保夜とあるに、萬葉第十九には、保与とよめり、〈略〉寒を、和名に、こよしものとよめるは、〈今の〉俗にこゞりといふ物なり。文選蕪城賦に、寒(コイタル)鴟(トヒ)嚇(カヽナク)雛ニ、これ又和名にあり。此こいたるといふは、俗にこゝえたるといふなり。宣化紀には、白玉千箱アリトモ、何ソ能フ救ハン冷(コイ)ヲ、これら、よといと通せり。又杖机等にも用也、但口傳有とは、いかなる習そや、和名には、杖も机も、共にゑなり。も先生と同時ならは、口傳を受て假名の道を知らるへきに、數百歳さきに出て知らさりけるは、惜き事なり。〔三二オ・ウ〕
と記述する箇所になると、書名と人名とが交錯する。
○わの字 訓の時〈下〉に書事なし 今云、これ知らぬを知れりとするものなり。轡くつわ、石炎螺まよわ、結菓かくのあわ、沫あわ、皺しわ、以上万葉、和名等なり。但万葉、和名等をも物の數とせぬ高慢の人は、われ喩(さと)すことを得す。又かたわの假名は誤なり。下に見ゆへし。〔三五ウ〕
○うの字 〈略〉むま〈うま〉、むはら〈うはら〉、これらは、和名にも通してかければ・うめむめも同しかるへし。うまる[うみ、うむ]うもれ木[うつみ、うつもる]、これらは、音便は、和名にも通してかければ・うめ
 これらの前には、
○一 古代之歌書或紀傳等ノ假名未定、猶詩三百平側位次、無定格也、今云、日本紀等の六國史、萬葉、古今等、」延喜式、和名鈔等の假名、一同にして定まれり、何そ定まらすといふや、汝か兄、明巍の盲導 にひかれて、偏執の深坑におちいれるを、汝何そこれを救て、彼深坑を出さすして、いとゝ其上に落重なるや、古事記序云、《略》云々、古人の書を撰ふ〈事〉、精密なる事かくのことし。又倭名鈔の篤實なる事も、これに同し、具には序に見えたり。其末に至りて云、古人有」言、街談巷説、猶有採。僕雖誠淺學而。所注緝皆出前經舊史倭漢之書、云々。これを用すは、何を用んとかする。故に刊行の時、羅浮子序加て云、人博聞強記、識字屬文賦詩又詠倭歌、梨壺五人、之最、先是、万葉集傳于世久矣、然自沙門勤操空海造以呂波字而后人皆赴簡便而不讀万葉。々々書體殆漸廃弛。其古風之委地面以國諺之訓點、至今學和歌者、大率頼之、之功居_多。吁、古稱楊子雲識字。然九原不作(オコス)也。源順者吾邦千歳之子雲乎。熟知倭名者、旦暮遇之。羅浮子は近」世の大儒にして、推稱する事かくのことし。汝か兄何人そ、いまた其名を聞さるに、大言を吐て、日本紀萬葉より此等の書の假名をも用すといふや。〔二三ウ~二五オ〕
とあって、『和名類聚抄』編者源順の名を以て茲に説く。