フトク【婦徳】たをやめ
室町時代の印度本系『節用集』
弘治二年本『節用集』
手弱女(タヲヤメ)万 婦德(タヲヤメ)毛/定 婦人(同)毛 嫥(同)同(毛)〔多部人倫門九一頁2〕
永禄十一年『節用集』〔学習院大学蔵〕
手弱女(タヲヤメ)万 婦徳(同)毛/定 婦人(同)毛 嫥(同)毛〔多部人倫門九一頁2〕
とあって、標記語四種を順に記載し、各々の文字に読みの訓を添えるのだが弘治本は、「手弱女」と「婦德」に「タヲヤメ」とし、永禄十一年本は、「手弱女」だけに付訓し、後の語は「同」とする。注記箇所には各々語の引用書名の冠頭字「万」「毛」「定」「毛」「毛」と記述していて、それは、『万葉集』『毛詩』『定家仮名文字遣』なる書名を指す。このなか、標記語「婦人」は『毛詩』を拠り所としているとする。だが、此のことは下記に示した国語辞書中では一切見えていない。また、別字「婦徳」「嫥」についても見出せない表記といえよう。
印度本系『節用集』には、他写本となる「黒本本・永禄二年本・尭空本・経亮本・高野山本」などがあるものの、此の「タヲヤメ」の語例を未記載にする。此の点について別論することになるので、茲では触れない。
小学館『日本国語大辞典』第二版
ふ-とく【婦徳】〔名〕婦人として守るべき徳義。古代中国において、婦人が修めなければならないとされた四行(しこう)の一つ。*文華秀麗集〔八一八(弘仁九)〕中・奉和傷野女侍中〈桑原腹赤〉「柳絮文詞身後在、蘭芬婦徳世間伝」*翁問答〔一六五〇〕上・本「宗族を和睦し、家人におんをほどこすは婦徳(フトク)の大がいなり」*読本・椿説弓張月〔一八〇七(文化四)~一一〕拾遺・五三回「白縫王女、亦頗る婦徳あり」*感情旅行〔一九五五(昭和三〇)〕〈中村真一郎〉五「日本流の婦徳と云う奴も〈略〉このような最悪な結果を生むんだな」*周礼-天官・九嬪「掌二婦学之法一、以教二九御、婦徳・婦言・婦容・婦功一」【発音】〈標ア〉[ト]〈京ア〉[フ]
※標記語「婦徳」を「タヲヤメ」と付訓する初出語例は、印度本『節用集』(弘治二年本・永禄十一年)となって、その拠り所を『毛詩』と『定家仮名文字遣』とする点を検証すべきことになる。
実際、『定家仮名文字遣』〔古辞書資料叢刊第十一卷、天正六年本写〕
たをやめ 手弱女人/婦徳(タヲヤメ)毛詩〔を部66・二一頁1〕
と記載し、その記載が得られる。『毛詩』→『毛詩注疏』漢・毛亨に、
○但有華色又有婦徳之子于歸宜其家室𫝊家室猶室家也〔卷一・五四ウ〕
○箋云古者婦人先嫁三月祖廟未毁教于公宫祖廟既毁教于宗室教以婦徳婦言婦容婦功教成之祭牲用魚芼之以蘋藻所以成婦順也〔卷二・一三オ〕
○此師教女之人内則云大夫以上立師慈保三母者謂子之初生保養教視男女竝有三母此女師教以婦徳婦言婦容婦功皆昏義文也(夾注)〔卷一・三九オ〕
○者女師教以婦徳婦言婦容婦功祖廟未毁教于公
○師女師也古者女師教以婦徳婦言婦容婦功祖廟未毁教于公宫三月祖廟既毁教于宗室婦人謂嫁曰歸箋云我告師氏者我見教告于女師也〔卷一・三七ウ〕
○婦徳無厭志不可滿凡有情欲莫不妬忌唯后妃之心憂在進賢賢人不進以為己憂不縱恣已色以求専寵此生民之難事而后妃之性能然所以歌美之也(夾注)〔 卷一・二三オ〕
○不茍於色有婦徳者充之無則闕所以得有怨者以
○周禮注云世婦女御不言數者君子不茍於色有婦徳者充之無則闕所以得有怨者以其職卑徳小不能無怨故淑女和好之見后妃和諧能化羣下雖有小怨和好從化亦所以明后妃之徳也 (夾注)〔卷一・二六オ〕
○此師教女之人内則云大夫以上立師慈保三母者謂子之初生保養教視男女竝有三母此女師教以婦徳婦言婦容婦功皆昏義文也。彼注云婦徳貞順婦言辭令婦容婉娩婦功絲枲天官九嬪職注亦然二注皆以婉娩為婦容内則注云婉謂言語也(夾注)〔卷一・三九オ〕とあって、「婦徳」の語を確認する。
とあって、「婦徳」の語を確認する。