『聖徳太子傳』の「くに【國】」字
現在では、「國」と「国」の字は、旧字と常用漢字とに識別され、旧字の「國」は、書記文字として書くことは少なく、寺社などの旧跡、扁額、古書などの文字として訓むことで用いられる。これに対し、「国」字は、常用漢字として広く読み書きに活用されてきている。
此の両文字が本書『聖德太子傳』には併用されていて、その対比は「國」〔四三六例〕、「国」
〔三九九例〕とあって、「國」字が稍上回っている。
○此三人の臣下(しんか)をの/\諸(しよ)国のまつりごとを天奏(てんそう)し給ひけれは、崇峻(しゆしゆん)天皇(てんわう)おほきに御感あつて、詔(ミことのり)してのたまハく、それ上代をたづねてきこしめせば、人皇(にんわう)十代崇神(しゆじん)天皇の御宇(ぎよう)に天下に舩車(ふねくるま)をつくりはしめ、衣裳(いしやう)履(くつ)冠(かんふり)等をつくり出し、諸國に社(やしろ)を作り、大小の諸神をあかめたてまつり給ひき。〔卷第四〕
※実際、「国」の字体は崩し書きとし、「國」は「囗」構えを明確にした「武」字で記載する。本文翻刻文字化の際に、此の両用漢字表記をかな漢字表記体で版本に刷られていることを見逃してはなるまい。
他に、
○まことに人皇(にんわう)卅九代天智天皇の御宇(きよう)大和國(やまとのくに)より近江國(あふミのクニ)へ遷都(せんと)あつて、一十ケ年を經て又大和国高市郡(たかちのこほり)𦊆本(をかもと)の宮へ都をうつし給へり。〔卷第十〕
大和國(やまとのくに)
⇔
大和国
○これによつて、今日本国中の諸寺(しよし)・諸山(さん)に堂塔(たうたう)供養(くやう)、大なる佛事(ふつじ)・法會(ほうゑ)にはみな舞楽・管絃(くわんけん)をとりをこなふ事、聖德太子四十一歳(さい)より、我朝(わかてう)日本國にはしめてをこなハれけり。
全て「國」字で統一記載の一文例も見えている。
○天竺の國より五万余里の海上をさつて、五の國あり。これを震旦(だん)國(こく)・百濟國(はくさいこく)・任那國(にんなこく)・衡刕國(かうしうこく)・蒙古(もうこ)國となつく。〔卷第四〕
【國】字総数四三六例
1国称:「異国」と「異國」5例。
2国名:「大和国」と「大和國」31例
3国名:「近江国」と「近江國」8例
4国名:「日本国」と「日本國」36例
5国名:「百濟国」と「百濟國」28例
6国名:「新羅国」と「新羅國」13例
7国名:「河内国」と「河内國」4例
8国称:「諸国」と「諸國」10例
9人倫:「国王」と「國王」14例
10指示:「この国」と「この國」7例
11官職:「国司」と「國司」9例(付訓一例「くにのつかさ」)
12国称:「小国」と「小國」9例
13畳字:「国々」と「國々」5例