最近はあまり日本の子供と付き合う機会はないので判らなかったのだが、時たまニュースなどで目にする子供の名前をみて奇妙に感じている。
時代の移り変わりによって日本人の名前も随分様変わりしているようだ。
男の子の名前は僕たちの時代よりもかえって古めかしく、江戸時代の町人の名前のように感じるのは僕だけだろうか。
これが新しいのであって古めかしいなどと言っては笑われるのだろう。
一馬、太一、大助、祥平と言った感じだがそれもまた違うのかも知れない。
逆に女の子の名前はまるで少女漫画から抜け出してきたような名前が多い。
僕たちの時代では7~80%に「子」が付いていた。
「優子、洋子、道子」などが今は殆ど見あたらないようだ。
僕たちの親の時代には「子」はかえって少なかった。
その時代ともまた違ってきている。
もちろん祖父や祖母に時代の名前とも違う。
MUZの祖父の名前は「運平」といった。
かえって現代の子供にありそうな名前である。
それをポルトガルに目を転じてみると名前のバリエーションは随分少ないように思える。
友人の「ペドロ」のお父さんの名前はペドロさんという。
ややこしくてかなわないように思うが、呼ぶ時は「パイ(お父さん)」「フィーリョ(息子よ)」と言うのだから問題はないようだ。
ペドロの友人でセトゥーバルの湾内に船を出してイルカウォッチングの仕事をしている友人もペドロという。
僕たちは「イルカのペドロ」と言って区別している。
そんな名前も宗教上によっているのだから流行もあまりないのかも知れない。
600年も昔の大航海時代のさきがけを作ったエンリケ航海王子(1394年3月4日生まれ)という、ポルトガル人にとっては最も歴史上有名な人物がいる。
その一つ上の兄がペドロと言った。
一時期暫定的な国王にもなった人物で利発で思いやりも深く国民から慕われていた。
それより二世代前の国王もペドロと言う名前だ。
だからといって国中ペドロかというとそうでもない。
セトゥーバルのパソコンショップの若い技術者は「ヴァスコ」という。
あのヴァスコ・ダ・ガマのヴァスコである。
そういえば政治家にその名も通してヴァスコ・ダ・ガマという人もいる。
政治家といえばソクラテスという人もいる。
でもソクラテスは苗字で名前はジョゼという。
「ジョゼ」という人もポルトガルには多い。
ニュースキャスターのジョゼ・ノグェイラがジョゼ・ソクラテスにインタビューをしている。
女性の名前では「マリア」さんも多い。
僕たちの住むマンションの1階にマリアさんがいる。
マリアさんのお向かいのロドリゲスさんのところに立て続けに女の子が生まれた。
最初の子は「フィリッパ」という。
生まれた時からにこ~とほほ笑んでまるで天使のような可愛い子だ。
その妹が「レオノーレ」という。
これもまたお姉ちゃん譲りで可愛い。
フィリッパというのはエンリケ航海王子やペドロ暫定王の母上の名前だ。
そして巷にはフィリッパはそこら中にいる。
レオノーレはエンリケとペドロの兄上で王位を継承したものの、身体が弱く早くに亡くなったドアルテ王の奥方の名前である。
その他の世代にもレオノーレ王妃という人もいる。
とにかく同じ名前が多くてポルトガルの歴史を勉強する人にはややこしくてかなわないだろう。
「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」が歴史上、何人もいるようなものなのかも知れない。
そして現代社会でもそこら中に秀吉がいたりする。
「イルカの秀吉」などと区別しなければならないのかも知れない。
VIT
(この文は2005年2月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)
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