絵を描きはじめのころ、セザンヌのリンゴの絵を見て不思議に思っていた。
子供の時から食べていたリンゴとは少しイメージが違うのだ。
今から考えてみると日本のリンゴの方が変わっていて、品種改良の成果だと思うが、立派なのだ。
立派すぎるといっても過言ではない。
そして栽培にかなり手をかけているのが判る。
たぶん気候風土のせいでそうせざるを得ないのだろうとも思う。
子供のころ、おふくろは「国光」とか「インドリンゴ」などと品種名をいっていたのを覚えている。
戦後間もない頃でも品種改良は進んでいた証拠だ。
町には毎年、トラックで青森あたりから、リンゴ売りが来て、よくおふくろはリンゴ箱ごとを買っていた。
木箱にはモミガラが詰っていて、その中から立派なリンゴが姿を見せる。
空き箱は親父の日曜大工の材料になる。
中学生の時、僕もそれで鳩小屋を作った。
東京に出た時にはリンゴ箱いくつもに荷物を詰めて送った。
それはそのまま食卓になり、勉強机になり、絵を描く台になった。
僕にはそのリンゴのイメージがある。
高校で美術部に入ってまだ初めの頃、顧問の先生から「ビュッフェの映画が来ている」と教えられて映画館に足を運んだ。
梅田にあった「北野シネマ」でだった。
メインの映画はジャン・コクトーの「オルフェの遺言」で高校1年生だった僕には難しくて訳が判らなかった。
それに、短編映画としてビュッフェが絵を仕上げて行く過程を、ドキュメントしたものがひっついていたのだ。
豚の頭とワインの瓶、それにナイフといったものがテーブルの上に置かれている。
せりふはない。40号くらいのカンヴァスに直接、木炭でデッサンをして、それに殆ど無彩色の油彩で塗られてゆく。
木炭や絵筆の音がカシャカシャと心地よい。
それだけの映画だが、僕には油彩を描き始めた頃だから感動もし、影響もされた。
それからすぐの頃にあった高校展にビュッフェのやりかたで40号の静物画を描いた。
豚の頭ではなく、瓶やポット、リンゴ、レモンなどを配したものである。
無彩色ではなく、パステル調に色彩を豊富に使った。
リンゴは立派なインドリンゴになった。
最近は「インドリンゴ」や「国光」などよりもっと大きい「むつ」とか「富士」、たしか「新世界」などという馬鹿でかいリンゴも日本のスーパーなどでは売られている。
とても一人で一個は食べきれない大きさだ。
それらは日本名だから日本で品種改良されたものだと判る。
それにアメリカあたりから輸入されたリンゴも売られているようだが、日本向けなのだろう。
それもニューヨークなどで売られているのより立派なものが多い。
ポルトガルは暖かい国だがリンゴも出来る。
そして売られているリンゴも種類が多い。
でもそんなに馬鹿でかいものはない。
一番大きいものでも、日本で売られている一番小さいものより小さいくらいだ。
赤いの、黄色いの、緑の、そして茶色いのと用途によって使い分けるようだ。
品種名も国際的に通用している「スターキング」や「ジョナゴールド」といったものと、「ガラ」とか「レイネタ」といった品種がある。
「ガラ」という名前が付いているから品種改良されたものだろうが、素朴で丸くセザンヌのリンゴに似ている。
「レイネタ」は一見したところでは「長十郎梨」のように見えるが中味は立派にリンゴだ。
それはポルトガルだけではなくてヨーロッパ中で売られているが、これが濃厚な味で旨い。
その他に季節になると市場にもっと小さな少し平べったいリンゴが並ぶ。
品種改良もされていないようなセザンヌのリンゴよりまだ原始的なものだ。
ゴルフボール程しかないものもある。これもあっさりとした上品な味で旨い。
数年前ブルターニュを旅行した。
ポンタヴァンでゴーギャンのモティーフになった『黄色いキリスト』を見に行く途中『愛の森』を通り抜けた。
前夜の嵐で森の道いっぱいに栗の実とリンゴが落果していた。
ゴルフボールくらいの大きさのリンゴだった。
ブルターニュではブドウは採れない。
したがってブルターニュの飲物はワインではなく、リンゴから作ったシードルだ。
ブルターニュではシードルばかりを飲んでいたが、小さなリンゴはシードル用なのかも知れない。
海外暮らしを始めるようになった最初、スウェーデンに住んだ時、すぐにセザンヌのリンゴと出合った。
そして、ニューヨークでもパリでもどこに行ってもセザンヌのリンゴはあった。
確かめるまでもなかったことだが、「エクス・アン・プロヴァンス」の広場の果物売り台にもそれはあった。
セザンヌが生まれ育ちそして晩年を過ごした町である。
その町外れにセザンヌのアトリエが残され、一般公開されている。
そこにはリンゴと並べて描かれた様々なモティーフが保存されている。
セザンヌはそのアトリエで壺や瓶、布などをテーブルの上に配し、繰り返しリンゴを描いている。
リンゴを描写する、ということよりも、不動で腐りにくいリンゴは、「自然を円筒や球、円錐に換えて表現する」という、セザンヌの持論を立証する上で格好の素材で、光の偶然の戯れがリンゴに作る効果と、その結果現われる色彩のヴァリエーションを研究するにはもってこいのモティーフであったに違いない。
そして従来の一点遠近法ではなく、幾つもの視点から描くことにより、その後に続くキュビズム(立体派)への暗示を与えたことになったわけだ。
セザンヌは
『デッサンと色彩は、はっきり区別することはできない。彩色するに従って、デッサンもできてゆくし、色彩の調和がとれればとれるほど、デッサンもより明確になる。色彩が豊かになると、形態も充実する。色調の対照と相互関係、これこそデッサンと肉付けの秘密だよ。デッサンしなさい。物を包むのは反映であり、光は、その全体的な反映によって物を包むのです。』と言っている。
セザンヌやゴッホの良き理解者で絵具屋のタンギー親爺は、貧しい画家たちには、絵具代は請求しないで、当時売れもしない絵を預かっては絵具屋のショーウインドーに飾っていた。
タンギー親爺の奥さんはそのことを常づね疎(うと)ましく思っていた。
ある日、通りかかった客がセザンヌのリンゴの静物画を観て買いたいと申し出た。
ところが、持ち合わせのお金が少し足りなかった。
そこでタンギー親爺の奥さんは、「ええ、よござんすよ!分けて差し上げます。」と言ってセザンヌの絵のリンゴを一個づつに切り分けてしまった。
本当か嘘かわからないはなしだが、『ゴッホの手紙』に出てくる有名なエピソードである。
ポルトガルでの僕たちの朝食は、パンとチーズ、ミルクコーヒー、少しの野菜、
それにカスピ海ヨーグルトの中に刻んだリンゴ、それに蜂蜜をたらしたものを毎朝食べている。
だからリンゴは欠かしたことがない。
銘柄品ではなく、ポルトガル国産の小さな一番安価なものを買っている。
それが一番旨い。セザンヌのリンゴだ。
昨日買ったポルトガル国産のリンゴは1キロあたり1ユーロ(138円)であった。
この国に来て、たっぷり食べることができる幸せを噛みしめている。
VIT
(この文は2005年3月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)
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