このところ毎年秋にサロン・ドートンヌとル・サロンに出品するための2枚の100号をパリまで運んでいる。
一ヶ月以上も先のル・サロンを観ることは無理だとしてもサロン・ドートンヌだけでも観てから帰るためには搬入から始まるまでの一週間から10日をフランスで過ごすことになる。
その間いつもいつもパリの美術館見学というのでも良いのだけれど、せっかくだからというのでパリ周辺の佐伯祐三の足跡を訪ねてみよう、と思い立ったのがもう何年前になるだろうか。
モランやクラマールといったところは佐伯祐三でしかない場所だが、佐伯祐三を訪ねてオーヴェールに行くと、そこにはたくさんの画家たちの足跡がある。
ドービニー、ピサロ、セザンヌ、ヴラマンクそしてゴッホ等々。
それなら佐伯祐三の次にはゴッホの足跡もと、一昨年はアルルとサンレミ・ド・プロヴァンスに足をのばした。
そしてその時にまだ見切れなかったプロヴァンスを今回は歩くことにした。
ゴッホがあの忌まわしい<耳きり事件>を起こした6日前、ゴーガンがゴッホを伴って見学をしたモンペリエのファーブル美術館。
もともとはアルフレッド・ブリュイアスという富豪のコレクションであろうか。
他ではあまり観られないモンペリエ出身のファーブル(1766-1837)という画家の作品が一堂に集められてこの美術館の名前が理解できる。
01.彫刻家/1812/ファーブル
02.聖サウル/1803/ファーブル
パトロンのA・ブリュイアスはたくさんの画家や彫刻家たちに自身の肖像画や肖像を作らせている。
この作品も一種の肖像画と言えるのであろう。
田舎道でスケッチに行く途中のクールベとブリュイアスとその執事がばったりと出会って挨拶を交わしている、
クールベの「ボンジュール ムッシュ クールベ」(クールベさんこんにちは)はこの美術館の目玉だ。
03.クールベさんこんにちは/1854/クールベ
04.ブリュイアスの肖像/1853/クールベ
ドラクロアまでもがこのパトロンの肖像を何点も描いている。
ファーブル美術館ではなくてブリュイアス美術館でも良いのではないか、と思える程この人の肖像がたくさん展示してある。
ゴッホとゴーガンがどんな気持でこれらの作品を観て回ったのであろうかと想像しながら観てゆくのも楽しいものである。
この美術館にはゴッホやゴーガンが観たであろう作品(ファーブルの他にラファエロ、ボッチチェリ、ジオット、スルバラン、テオドール・ルソー、プーサン、ドラクロア、クールベ、コロー等)と、それ以外、ゴッホとゴーガンが見学した以後の作品もたくさん収蔵されている。
ドガ、カイユボット、ヴァン・ドンゲン、ボナール、マティス等と珍しくユトリロの母、スザンヌ・ヴァラドンの作品、そしてデュフィや現代美術も展示してある。
がしかし残念ながらゴッホとゴーガンの作品は一点もない。
ゴッホが船や教会、荷馬車を描いたサント・マリー・ド・ラ・メールへも足をのばした。
教会はそっくりそのままの姿で残っているが、もちろん望むべくもない荷馬車は今はない。
漁船の形もすっかり現代風に変わってしまっていて、その当時の船の形や色彩はむしろ我がセトゥーバルに面影が残っている。
05.サント・マリーの漁船/1888/ゴッホ
06.サント・マリーの教会/1888/ゴッホ
07.馬車/1888/ゴッホ
サント・マリー・ド・ラ・メールは当時から寒漁村にちがいないが今はリゾート化が進んでいる。
パリなどと比べると随分暖かく、その時も10月だというのに海水浴を楽しんでいる親子連れがいた。とはいってもポルトガルよりは気温は低いのだが…。
ゴッホにとってこの温度と夏の様な光線は余程うれしかったにちがいない。
滞在した5日間にたくさんの作品を残している。
それと今回の旅でぜひ観たかったのが、マルセイユ美術館のモンティセリ。
モンティセリはその重厚なマティエールでゴッホに少なからず影響をあたえたマルセイユの画家だ。
以前にオルセー美術館で静物画を一点だけは観ているが、ゴッホと同じ眼で是非ともこのマルセイユのモンティセリを観てみたかったのだ。
6点の小さな作品と40号ばかりの婦人像で計7点。
その内、ある1点、6号くらいの縦の風景画を観て、僕は思わずニャッとしてしまった。
それはあまりにもゴッホが、サンレミ精神病院の前庭を描いた作品に似ていたからだ。
08.サンレミの病院の前庭/1889/ゴッホ
ゴッホとゴーガンがモンティセリのこと、そして1888年12月17日、ファーブル美術館でのドラクロアやレンブラント、さらにクールベの作品の前で闘わしたであろう議論。
112年前のそんなことに思いを馳せながらのゴッホの足跡を訪ねる旅になった。
ついでにと言ってはなんだが、エクス・アン・プロヴァンスにも足をのばした。
この地はセザンヌが生まれ育ち、終焉の地でもある。
アトリエは大切に保存されている。
セザンヌが繰り返し描いたサント・ヴィクトア-ル山がある。
その山が見たくて足をのばした。
セザンヌの足跡を訪ねるには、以前にも何度も訪れているオーヴェール・シュル・オワーズと昨年訪れたマルセイユ近郊のレスタック、そして、ここエクス・アン・プロヴァンスで完結という訳である。
佐伯祐三、ゴッホ、セザンヌと足跡を訪ねて、次はゴーガン。
とは言ってもゴーガンの場合そう簡単にはいかない。
ノルマンディーのポンタヴァンには来秋にでもすぐに行くことはできるだろうが、タヒチやマルチニック島、さらにはパナマ運河にはそうはたやすくは行けない。
以前、南米コロンビアから中米に向かう時、パナマは避けてカリブ海に浮かぶサン・アンドレス島を中継点に選んだ。惜しいことをした。
ル・サロンは300年以上も続いている世界一長寿の展覧会である。
かつてドラクロアも金メダルを獲っているし、後には審査員も務めている。
一方クールベはその当時の古典的なル・サロンには常に挑戦的で「写実派」という新しい作品を出品し続け、そして審査員たちからは常に非難を浴び続けた。
「ボンジュール ムッシュ クールベ」にもそんな姿勢が伺える。
その姿勢は印象派や野獣派にも受け継がれ、やがて 1904 年にはル・サロンに反してフォービズムの画家たちの発表の場としてサロン・ドートンヌが起こることになる。
時代は変わってル・サロンもサロン・ドートンヌもすっかり様子は変わってしまっている。
VIT
(2000年12月17日発行の不定期紙「ポルトガルのえんとつNO.94」に書いた文を2005年8月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に転載した文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)
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