ゴッホは黄色い家に移ったとき、実に12脚もの椅子を買い揃えた。
それまで、賄いつきの安宿に投宿していたゴッホは、ラ・マルティーヌ広場に面した黄色い家が貸しに出されていたのを見つけた。長く誰も住んでいなかったとみえて住むまでには多少の手直しが必要だった。家具は何もなかった。なけなしの金をはたいて、或いは弟テオの援助によって、先ずベッド2つと、上等の鏡、それに12脚の椅子を買い入れた。
ベッドはゴッホ自身が使うものと、やがてやってくるゴーギャンの為にもう一つ。鏡は自画像を描くのに必需品だ。
しかし、それ程広くもない家に椅子が12脚も…。何故だろうと疑問に思ってしまう。
古道具屋から「12脚セットだから」と無理やり売りつけられたのだろうか?いや、そうではない。
ゴッホの絵に残されている「ゴーギャンの椅子」と「ゴッホの椅子」はデザインも素材も何もかも違うのだから、別にセットという訳ではないだろう。
恐らく、お客がたくさん集まる場所になるのだから…とゴッホは夢みて買い揃えたのかも知れない。
日本人で椅子にこだわる人は少ないのではないだろうか。絨毯に寝転がったり、フローリングの上にあぐらをかいたり。別に椅子などなくても何とか暮せる。もちろん畳ならまったく必要はない。
欧米ではそうはいかない。外出から帰ってもそのままの靴で家の中を歩く。日本人が考える以上に椅子は必要な道具なのだ。
僕はポルトガルに移り住んで20年になるが、アトリエに椅子はない。椅子に座って絵を描くことはしない。
イーゼルも使わない。キャンバスは空き缶を並べた上に置いて壁に立てかけて、立って或いは床に座って描く。立てかけたり、床に寝かせたり、色んな手法を駆使して描くので、イーゼルを使うより、使い勝手が良い。イーゼルはあるのだが…。
とにかく、床に座ったり、立ち上がったり、腹ばいになったりと、みっともなくて描いている姿はとてもお見せできるものではないが…。そうやって20年、描いてきた。
それがこのところ、その方法のせいかどうか、夜寝るときにふくらはぎがこる様になった。年齢のせいかも知れない。
先日から、試しに椅子を使うようにしている。
最初はキャンプ用の小さな折りたたみ椅子を使ったが、それでも高すぎるので、チタニューム・ホワイトの5キロ入り空き缶に座ってみた。高さは良いが、お尻がはみ出してしまう。それで小さなダンボール箱に詰め物をして使い始めた。これは縦、横、高さが異なるので、3種類の高さで使える。
でもあまり安定が良くはないので、描いているあいだの半分以上は無意識だが中腰か何かだ。ダンボール椅子は気が付けば遠くに追いやられていることもある。
それでもふくらはぎのこりはなくなった様に思う。
家に椅子がないわけではない。
台所用の椅子が4脚。ダイニング用が6脚。これは革張りだ。寝室用が1脚。これは寝台の後背と同じ木彫デザインで赤いベッチン張り。それにロッキング・チェアーが1脚。読書にはこれが按配が良い。その他に3人がけのソファー一つと1人掛けソファーが二つ。これも革張り。それだけが引っ越してきた当初からあった。
それ以上は買う必要はないが、我が家にはそれ以外に背もたれの付いた屋外用折りたたみ椅子を2脚と、ビーチ用の寝椅子なども買った。時たま、ベランダに出してコーヒーを飲んだり、本を読んだり。
他人が見たら首をかしげるかも知れないが、テレビを観る時はその屋外用折りたたみ椅子をソファーの前に置いて使っている。ソファーに座ってテレビを観ると寝てしまうからだ。
椅子としては使っていないが、台所の高い戸棚の踏み台用に、露店市で子供用の手作り木製椅子を買った。もう随分昔に買った物だが頑丈で永年愛用している。
ゴッホの黄色い家ではないが家中椅子だらけの様相。
椅子といえるかどうか判らないが、ヴィアナ・デ・カステロのロマリオ祭りで場所取り用に、2脚5ユーロで買った折りたたみ椅子もクルマのトランクに入ったままだ。
たくさんの椅子があるにもかかわらず「帯に短し襷に長し」アトリエでは使えない代物ばかり。
実はパソコンをするのに台所用の椅子を使っている。古いパソコンMEの時は屋外用折りたたみ椅子。2台を使うときは高さの違う2脚の椅子を移動する。
5つクルマの付いたパソコン用の椅子を使えばもっと快適だろな~。などと思いながら、電気量販店のカタログを恨めしく眺めている。安いのだ。
何でも安いからと言ってすぐに買い込むと家は荷物に占拠されてしまう。チラシとカタログは危険だ。
デザインの優れた、座り心地の良い椅子をたくさん配置できる、広~い家などに住むのは、欧米人にとっては憧れなのかも知れない。僕も広~いアトリエは憧れだ。
ポルトガルに移り住んだ20年くらい前には家具屋の店頭に素晴らしい家具がたくさん並んでいたのを懐かしく思う。
それが最近は<IKEA>や家具スーパーなどが流行り始めて、安価で機能的、北欧的だがポルトガルらしさがなくなって、趣のない家具が占めるようになってきている。
それに連れて露店市の家具も随分様変わりした。
オルセー美術館には美術品としてたくさんの椅子が展示されている。
アールヌーボーの時代のものだ。
それまではバロック風やロココ風の一点ずつ手作りの家具から、ある程度大量生産できる家具がデザインされる様になった。
アールヌーボーのデザイナーは曲線が持ち味の椅子に腕を発揮した。
ポンピドーセンターの監視人が座る椅子はジャコメッティの彫刻がそのまま椅子になった様なデザインでさすがだ。
それやこれや関係のないはなしが続いたが、さて、アトリエの椅子、どうしたものかと考えながら、きょうも絵を描いている。VIT
(この文は2009年10月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)
武本比登志のエッセイもくじへ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます