我が家のある地区ではしょっちゅう工事や何かが行われていて、騒音の絶えることがない。ブルドーザーの音。芝を刈る音。チェーンソーの音。救急車やパトカーのサイレン。列車の音。船の汽笛。でもいずれの騒音も遠くから丘を昇ってくる様な騒音で気になる程でもない。むしろ生活音と言ったものだろう。そして夜は夜で近所にうるさ過ぎる犬が居て、夜中じゅう吠えている。夜、寝静まった頃になるとごみ収集車がやってきて、がらがらがら~と騒音をたてる。
ごみは普通の燃えるゴミの容器が3つ。それの他に分別用、紙専用が2つあり、ガラス専用、プラスティック専用が一つずつ、それぞれ専用のトラックが収集にやってくる。背丈ほどもある高さと幅、奥行きも1メートル以上はある大きな容器だが、トラックの運転手が1人でクレーン操作をする。
その場所は市水道局の向こう側にあり、我が家の南側のベランダから南西下方向50メートル程のところに見える。
その辺りで先日は大規模に道路を掘り起こしての工事があった。水道管の老朽化で新しいのに付け替えた様だ。舗装も終わり、歩道の石畳も終わって、全て終わったな、と思っていたら、又、工事のクルマがやって来ていた。
気にも留めないでアトリエに戻り油彩を描いていた。絵にひと区切りが終わって南のベランダに来てみると、両方の車線とも、綺麗に横断歩道が出来上がっていた。横断歩道を作るのには騒音はなかった。ペンキを塗るだけである。そしてもう既にクルマが横切っている。素早く乾くものなのだ。それだけ絵を長く描いていたということだろうか。油彩はなかなか乾かない。色によって違いがあるが、早くて48時間、乾きの遅い色だと1週間もかかる。僕が好んで使う赤色系統は特に乾きが遅い。
新しく描かれた横断歩道とゴミ収集車
こんな住宅地に、まさか横断歩道が必要だとは思わなかったが、あったほうが良いのだろう。見ているとゴミを捨てにしょっちゅう人が横断をしている場所だ。その真ん中には中央分離帯があり、そこは近隣住民の駐車スペースとなっている。早速、乳母車が通っているが、横断歩道とは違うところを横切っている。歩道は石畳で横断歩道の中央分離帯にも石畳があるので、それを避けて平坦なアスファルトの車道のみを斜めに横切っている様だ。
ポルトガルには日本ほど信号機はない。最近は信号機が少なくなって、ロータリーが増えている。日本でも昔はあちこちにロータリーがあったが、殆ど全てが姿を消してしまった。ポルトガルではそのロータリーがどんどん復活している。
ロータリーは便利だと思う。クルマも人もあまり待たなくて済む。道を間違えても次のロータリーまで行き引き返してくることもできる。又、道が確認出来るまでロータリーをぐるぐる何回でも周ることもできる。
そして信号機のない横断歩道も多くある。横断歩道で人が渡ろうとするとクルマは必ず止まる。
宮崎でもたまに信号機のない横断歩道がある。そこで渡ろうとして待っていても一向にクルマは止まってはくれない。少しばかり横断歩道に踏み出して渡ろうとしても止まらない。止まるどころか大きく右車線にはみ出して、歩行者を睨みつけながら通り過ぎるクルマもいるくらいだ。危なくてしょうがない。とにかく日本のクルマは信号機がないところでは止まらない。信号機のない横断歩道自体滅多にないものだから止まる準備が出来ていないでいる。そして日本人には歩行者優先という意識は薄らいでいる様に思う。
日本人はクルマに対して遠慮しすぎだ。小学生が下校時に横断歩道を渡っている。クルマに待たせない様にと走って渡る。あれは危ない。右左確認しながらゆっくり渡るべきだ。そして渡り終えると待ってくれたクルマに対してお辞儀をする。大人からその様に指導されているのであろう。それは良いことだと思うが、あれには感心する。
ポルトガル人で急いで渡る人はいない。歩行者優先だから当然なのである。そして半分渡ったところセンターラインのあたりで必ず反対車線を確認する。クルマを決して信用はしていない証拠だ。でもそれが必要なのだと思う。そして渡り終えてちょっと片手を挙げたりして会釈を返す人もいる。感じが良いと思う。信号機のある横断歩道ではそうはいかない。
日本では反対車線のクルマの陰から歩行者が走り出してくるのを警戒して徐行する。でもポルトガルでは走り出す人はいないからそこまで神経を尖らせる運転手も居ない。日本の方が危険だと思う。もしポルトガル人が日本で運転をすれば必ず人身事故を引き起こしてしまうのではないかと思う。
ロータリーが増えているのと同時に信号機のない横断歩道も今後増えていくのかも知れない。
セトゥーバルで恐らく1番大きな、信号機の付いた横断歩道。
勿論、信号機のある横断歩道も多くある。でも信号が赤でもクルマが来ていなかったらどんどんと渡る。セトゥーバルのメルカド近くの横断歩道などは団体で渡る。とにかく歩行者優先なのだろう。クルマが来ていないと分かれば、お巡りさんだって赤信号でも横断歩道を渡る。お巡りさんが赤信号で渡るものだから、僕たちも一緒になって渡る。でもお巡りさんは僕たちに注意をしない。クルマが来ていないと判断できれば渡っても良いのだろうか。
我が家の南のベランダから見える道は『ルア・デ・ノッサ・セニョーラ・ダ・カルモ』という長い名前が付いている。『我らが聖母カルモ道』とでも訳せるのだろうか。だらだらと長い坂道だが、道の始まりの角に小学校があり、横断歩道が2つある。そして更に下から昇ってくる道と交差し、それを過ぎたところにも横断歩道がある。下から昇ってきたクルマは右折してすぐの横断歩道だから運転は慎重にしなければならないところだが、この横断歩道は割合横断する人が多い。一旦止まってギアをローに入れなおして、サイドブレーキをかけ、発進することになる。
我が家から見える新しい横断歩道までの間に、もうひとつ横断歩道がある。合計5つになったが何れにも信号機はない。そこにもゴミ箱のスペース、そしてバス停があり、横断する人も多いのだろう。でも曲がってすぐの横断歩道ほどではない。
その横断歩道では時々、犬が横断しているのを見かける。放し飼いにされているのか、元々、野良犬なのか。セトゥーバルにはそういった自由にしている犬が居る。そんな犬が実に賢い。道を斜めに走ったりはしない。道を渡るのに横断歩道を使う。横断歩道の真ん中を通る。人が渡るときは歩調を合わせる様に一緒に渡る。決して走ったりはしない。クルマも犬を跳ねたくはないから、一時停車する。停車して待ってくれたからと言って前足を挙げて挨拶をしたりはしない。
信号のある横断歩道で犬は青信号になってから渡る。犬は色盲だと聞いたことがある。青も赤も判らないのかも知れないが、クルマが止まるのを待ってから横断するのであろう。犬もどこまで解っているのであろうかと感心するが実に賢い。
我が家の近辺には猫が多い。先日も水道局の空き地で子猫が6匹も生まれているのが確認できている。子猫も大きくなれば親離れしてどこかへ行ってしまう。そしてそのまま居残っている猫も居る。
猫は道の縁ぎりぎりを通る。そして目的地まで斜めであろうが一目散に道路を横切る。猫が悠然と横断歩道を渡っているのは見たことがない。
横断歩道といえばビートルズの『アビイ・ロード』を懐かしく思い浮かべる。それが発売された1969年頃、僕はアート音楽出版、別名音楽舎、別名URCレコード(株)に居て、レコードジャケットのデザインやコンサートポスター『フォークリポート』という雑誌の表紙、イラスト、レイアウトなどをしていた。
『アビイ・ロード』のレコードジャケットは仲間内でも話題となった。先頭を歩く白いスーツ姿のジョン・レノンは牧師。黒いスーツのリンゴ・スターは葬儀屋。素足のポール・マッカートニーは死者。そしてジーンズ姿のジョージ・ハリソンは墓堀人。アビイ・ロード・スタジオのすぐ前の横断歩道で撮影したらしいが、ポール・マッカートニーのアイデアだそうだ。
アビィ・ロード・スタジオは多くの名盤を生み出しているスタジオだ。エイミィ・ワインハウスがトニー・ベネットとデュエットで歌った『Body and Soul』はエイミィ・ワインハウスの最後の録音となって話題となった。
ビートルズのアビィ・ロードが発売された、ちょうどその頃、東京から遠藤賢司が大阪事務所に遊びに来ていて、僕とMUZは遠藤賢司の写真を撮影しておこうと外に連れ出した。何れレコードジャケットやフォークリポートに使えるかも知れないと思ったからだ。横断歩道を幾つも渡って、気が付けば、古いレトロなビルが多く残る、堂島あたりまで来てしまっていたのを覚えている。その時の写真は確かフォークリポートには使ったと思うが、僕は遠藤賢司のレコードには携わらなかったのでレコードには使っていない。東京事務所制作で作ったのだと思う。その後の活躍は耳にしていたが、これを書いている10月25日に遠藤賢司が亡くなったというニュースが飛び込んできてしまった。ご冥福をお祈りしたい。
最近、日本ではスクランブル交差点などという横断歩道が流行っていて、宮崎などにもお目見えしている。日本発の方式ではないらしいが、海外では日本的な風景の一つとしてスクランブル交差点を人々が一斉に動き出す映像が紹介されたりもする。
そして最近の横断歩道にはLEDが埋め込まれたところなどもある。緑とか赤とか、まるでクリスマスのイルミネーションの如く美しいがそれに見とれていては危ない。何気なく赤とか緑とか書いたが、あれは信号と連動しているのであろうか。
セトゥーバルには昔から白い石と黒い石を組み合わせた石畳横断歩道などもある。人や犬が渡っていなくても停まりたくなる横断歩道である。VIT
白い石と黒い石を組み合わせて造られた横断歩道。
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